第20話 それぞれの闘い②


 ――――バキィッ!


 太一とアキュラスは激しい剣戟を繰り広げながら、勢いよく襖に突っ込んだ。バキバキッと悲惨な音を立てながら崩れる襖を気にする暇もなく、二人は目にも留まらぬ斬り合いを続けている。互いの額から汗と共に鮮血が流れ、身体の至る箇所には無数の傷が生まれていた。


「はあ……はあっ……」

「っ……息が、上がってんじゃ、ないのか?」

「てめえも、じゃねえか……」


 アキュラスはペッと口に溜まった血を吐き出し、太一も視界を邪魔する血を袖で拭った。常に気を張り巡らせながら闘う太一に、アキュラスも好戦的に応戦する。全く余裕はなかったが、互いに口元を吊り上げていた。内心では闘いを楽しんでいる事も否定できない。


「只の人間かと思ったが――期待以上だな、北村ァ!」

「お前も、只の人間にしては……やるじゃん。アキュラス」


 特に深い意味も考えずに返しただけだったが、アキュラスはその返答に対して何故か閉口していた。太一の発言がどこか引っ掛かっている様子だ。しかし今の太一にはその理由がわかる筈もなく、そのまま「不謹慎な事が頭に浮かぶよ」と続けていた。


「さしずめ、この闘いが楽しいとか思ってんじゃねえのか?」

「……命と欠片が懸かってなければいいのにな」

「捨ててもいいんだぜ? 命も、欠片も」

「はっ――どっちも譲れないね!」


 太一は勝負を楽しむように声を張り上げる。死にそうなくらい追い込まれていても尚、余裕そうな表情を見せ続ける太一に、アキュラスは苛立ちを覚え始めていた。


 ――何故だ……こいつは、只の人間なのに……どうしてそんなにッ!


「てめえ……何故そんなに余裕で居られる! 何故死に対して恐怖しない! 何がてめえをそこまでッ!」

「俺は世界を救いたいから……ってのは実は建前で、本音は単純にお前に負けたくないから」

「…………」

「俺も訊いていいか? 何故お前は世界を脅かす事に加担する? お前の上に居る奴は世界をぶっ壊そうとしているらしいじゃないか。お前には護りたいものとかないのかよ!」


 太一の問いにアキュラスは俯く。太一は相変わらず全てを決意しているような、強い眼差しだった。アキュラスは、希望に満ち溢れているその目が大層気に入らない。


 ――恵まれた環境、約束された生活……そんな生活を送ってきた奴とは……俺は違うッ!


「俺は、護りたいものなんてねえ……あるとしたら」


 心の内で燃え盛る怒りと本心を曝け出したい気になったが、アキュラスは無理矢理全てを飲み込み、太一を強い眼差しで見下した。射抜かれたように、太一の身体は一瞬だけ硬直してしまう。


「あるとしたら、それは……自分自身だ! 俺は強い奴と闘いたいって欲望を満たす為に、この闘いを楽しむだけだ」

「何だよそれ! だったら、別にそっち側に加担しなくても――」

「それに、てめえみたいに無知な奴は気に入らねえ。知らないんだろうな。あの虚無感を」


 アキュラスは右手をすっと横に突き出し、ぶつぶつと何かを唱え始めた。太一はそれを直感で危険と察し、咄嗟に刀を構える。


「『火炎よ。我が契約の下、力を示せ』」

「なっ――」

「お喋りはここまでだ」


 ――魔術!?


「『さっさと出てきやがれ、でかい炎の矢』!」


 ――――ボワァァア


 そして、轟々と赤く燃える炎がアキュラスの掌に溢れ出していた。太一は一瞬だけ「熱くないのか?」と疑問に思いつつも、本能的に「これを喰らったらヤバイ」と察知する。灼熱の炎は雄叫びと共に一段と燃え上がり、アキュラスは太一に向かって勢いよく掌を突き出した。炎は矢の如く変形し、太一目掛けて物凄いスピードで襲い掛かる。


「死ね! ワールド・トラベラー!」

「ッ!?」


 太一は咄嗟に刀を盾にして防ごうとするのだが、近付く炎の矢は予想以上に強大で――めらめらと燃え上がる業火が、太一の身体を飲み込んだ。



 ◇



「どうしたんだい? 逃げてるだけじゃないか、小娘」


 氷華は謎の女の攻撃から必死に逃げ続けていた。元ロフからの情報だと、女は厨房に控える調理師で、フォルスの側近でもあるらしい。女性の氷華から見ても美しいと思う程の美女が、鋭利なナイフやフォーク、そして大量の包丁を自分に向けて次々と投げてくる。氷華は重い着物を引き摺りながら必死に女の攻撃をかわし続けていた。フォルスの能力の正体を気付かれた事で、女は氷華を排除すべき敵と判断しているようだ。


「あ、危なっ!」

「こんなに投げてるんだから、一本くらい当たってくれてもいいじゃない?」

「一本でも当たったら危ないから……そんな危険物は投げるものじゃないよお姉さん!」


 綺麗にセットされた髪も崩れ落ち、氷華は「せめてこの重いのを何とかできれば」と着物に視線を移す。


 ――恥を捨てて、いっそこの場で脱ぎ捨てちゃおうかな……?


「じょ、嬢ちゃん! 逃げろ!」

「安心しなよ、裏切り者のあんたも小娘の次に料理してあげるからさぁ」

「ひいっ……!」


 氷華に助けられた元ロフが勇敢に声を上げるものの、すぐに女の殺意によって情けない悲鳴を漏らした。氷華はじっと女を睨み、挑発するように口を開く。


「安心して、素直に料理されるつもりもないから」

「粋がらないで小娘。ちょっとフォルス様に気に入られたくらいで……調子に乗ってんじゃないわよ」


 どうやら女は、氷華がフォルスに気に入られたと錯覚し、激しく嫌悪しているらしい。彼女はフォルスに好意を寄せており、氷華に対してめらめらと嫉妬の炎を燃やしていたのだ。雰囲気で何となくそれを感じ取った氷華は、至極面倒そうに溜息を零す。


「大丈夫だよ。私、あんな人に興味ないし。かっこいいって思わないから。私がかっこいいって思うのは、王子様みたいにキラキラしてて、優しくて強くて、私の事をわかってくれる……例えるなら――」


 ――そう、正に……って、今はそんな事を考えている場合じゃなかった。


 そして氷華は飛びかけていた思考を現実に戻した。一方の女は顔を真っ赤にさせ、怒りを表しながら「っ……舐めた口叩いて……あんたなんて、ちょっと若いから気に入られただけよ!」と氷華への罵倒を続ける。


「いや、絶対違う理由だよ」

「お黙りなさいっ!」


 女は悔しそうに氷華を睨み付け、ある意味熱い視線を浴びた氷華はうっと怖気付く。氷華は今の状況に何故か既視感を覚えていた。これは、確か――数秒間悩んだ氷華は閃いたように手を叩く。


「あ、お昼のドラマ」


 氷華が呑気に考える向かいでは、女は包丁をくるくると回しながら「きっと、その顔をぐちゃぐちゃにしちゃえば……フォルス様はあんたみたいな小娘忘れるわ!」とヒステリックに叫んでいた。


「いや、だから私はフォルスとそんな関係じゃないし、顔じゃなくて私の能力が気に入ら――」

「あんたなんか、あたしよりちょっと目が大きいくらいしか取り柄はないわ!」

「あのね、私なんかよりお姉さんの方が綺麗だよ。い、今は凄い形相してるけど」

「うるさいわね! だからその舐めた態度やめろって言ってんのよ! この性格ブス!」

「…………」


 そして女は氷華を貶す言葉をひたすら叫び続けた。氷華は顔を俯かせ、わなわなと震えていたが――反論せずに黙って聞くだけで、一言も喋らずに沈黙を貫いている。次第に氷華を中心に周囲の空気が冷たくなっていき、元ロフは過去の闘いでの恐怖を思い出していた。


 ――これは……嬢ちゃん、あの時に俺を殴ったみてえな……。


「そうよ! あたしより目が大きいからちょっと顔がよく見えるだけよ! そのアホ毛も相当頭悪そうに見えるわ!」

「…………」

「身体もまだまだだし、性格も悪いし……あぁっ、何故フォルス様はこんな小娘が気に入るのかしら!」

「…………」

「自分のスタイルには自信があるわ。それに料理だってできるし完璧よ。あたしの方がいい女なのに! それなのに、それなのにいいい!」


 どうやら女は氷華の能力を知らない様子だった。氷華自身も能力についてあまり大っぴらにしたくないと意識していたのだが、ここは異世界という事を念頭に置いて考え始める。


 ――異世界なら、別にバレても構わないよね。任務が完了したら、この世界とは別れる事になる。だから、特に隠す必要なんてないし。


 思い立ったら即行動。考えなしかもしれないが、意外とどうにかなる。氷華は静かに「さて、お姉さん……言いたい事はそれだけ?」と問いかけた。


「な、何よ……殺される覚悟でもできたのかしら?」


 女は氷華の事を「どうせ泣いているんでしょうけど」と勘違いしていたので、突然氷華が喋り出した事に戸惑いを隠せない。しかし、氷華は淡々と口だけを動かし続けた。


「言い忘れていたけど」

「は?」

「私はね、料理が少し苦手なの」


 そう言いながら音もなく顔を上げると、氷華は氷のように冷たい表情を浮かべる。例えるならば、それは――。


「こ、氷の女王!」

「ひっ……!?」


 ――――サクッ!


 元ロフは今の氷華に対する完璧な例えを言い放ち、女はあまりの眼光によって手の力が緩んでしまった。小さく悲鳴を上げながら包丁を落とし、それは足元の畳にサクリと突き刺さる。今の女にはそれを拾い上げる余裕はないようだった。氷華は両手を女に向けて静かに突き出すと、彼女の周りには氷のような冷たい魔力が渦巻く。


「料理はいつも太一に任せてるんだよね……だから」

「!」

「私は、残った料理の冷凍保存担当なんだよ……『コンジェラシオン』」


 ――――ピキピキィ!


「なっ――」


 女は悲鳴を上げながら全身の体温が下がるのを直に“感じた”。だんだん動かなくなっていく身体は、ばたりとその場に崩れ落ちる。女は畳に顔を付けながら、氷華を悔しそうに睨んでいたが――自身の身体に不自然な冷たさを感じた事で、女は“ある錯覚”に陥った。それはフォルスの能力を知っているからこその誤解である。


「も、もしかして……これもフォルス様みたいな異形の力ね! だけどこれは幻覚よ! 本当は凍ってなんかいないのよ!」

「……はっ。見縊らないで」

「こんな氷、無駄……なのよっ!」

「魔術師は幻覚で済ませる程、甘くないから」

「覚えて、なさいっ……あんた、なんかっ!」

「ああ、だけど甘いか」


 そしてパキンと音を立て、女は完全に固まってしまった。目の前には悔しそうに顔を歪ませた女の氷象ができあがり、くるりと氷華は背を向けて呟く。


「フォルスは“石化したと思わせておいての、窒息死”なんだよね。だけど私はフォルスと違って甘いよ」

「嬢ちゃん……」

「これは、冷凍保存。氷の中に強制的に冬眠させる感じ。氷はそのうち溶けるから死なないよ。たぶん起きた時に凄く寒いと思うけれど」


 氷華が最も得意とする、氷雪系魔術による氷結現象。それはフォルスのような幻覚ではなく、列記とした現実だった。



 ◇



「死んだか……」


 目の前で轟々と燃え盛る炎を、アキュラスはつまらなそうに見つめていた。その中心部には自分の敵である太一が居るだろう。普通の炎でさえ防ぐのは難しいのに、この特殊な炎の中だ。流石にこの業火は、刀一本では防げる筈がない。


「――誰が、死んだって?」

「!?」


 しかし、太一はそこに堂々と立っていたのだ。人間には五秒も耐えられない筈の、あの業火の中で。ゲホッと咳をしながらも、太一は空中に何かの陣を描いて刀を振るう。刹那――太一はアキュラスに向かって思い切り踏み込んだ。太一の生存と咄嗟の出来事にアキュラスは反応できず、一閃を諸に直撃してしまう。


 ――――ザシュッ!


「が、はっ!?」


 素早い一閃がアキュラスの身体を捕らえ、容赦なく斬り裂いた。太一は陣を描く事によって風の力を身体と剣技を乗せ――アキュラスの反応を上回る圧倒的なスピードを出したのだ。アキュラスは脇腹を斬り裂かれ、どくどくと赤い液体が流しながら、ぐっと苦しそうに息を漏らす。


「何でっ……生きて、いられる?」

「特別製なんでね、この服」

「……随分と浅い、じゃねえか」

「さあ? 気の所為じゃないのか?」

「甘いぜ……てめえ、甘すぎるっ……!」

「確かに俺は甘いかもしれない」


 太一は戦意を失ったように刀を下ろし、アキュラスに一言だけ告げた後、再び奥の部屋へ向かって走り出した。取り残されたアキュラスはぎりっと悔しそうに奥歯を噛み締めつつも、どこか楽しそうに笑って呟く。太一が駆け抜けた方向を見つめながら。


「何が、殺したらまた闘えないだろ? だ……しっかり闘いを楽しんでんじゃねえかよ、あいつも……」


 ――ちっ、ムカつくぜ……あのすかした顔。



 ◇



「確かこの辺に……あ、あった!」


 フォルスの側近の女を凍らせた氷華は、そのまま周辺の部屋を捜索し、ようやく見覚えのある一室に到達した。そこで保管されていた自分の着替えを発見し、氷華は煌びやかな着物に手をかける。その輝きは非日常さを連想させる美しさで、普通の年頃の女子らしく憧れの感情も抱いていた。ほんの少しだけ名残惜しさも感じ、写真の一枚でも撮っておきたいなんて気もしたが――氷華は「今は違う」と自分に言い聞かせる。

 綺麗な衣服を身に纏いながら、身動きが取れずに死ぬより――質素な衣服を身に纏いながらでも、闘って生きたい。


「やっと、この重くて重くてしょうがない着物を脱げ――」


 そう言いながら、氷華が着物を脱ぎ始めた時だった。


 ――――バターンッ


「「あ」」


 まるで漫画のようなタイミングで、勢いよく太一が襖を壊して登場する。太一は氷華の存在に気が付くと、数秒間固まり、林檎のように顔を赤くして顔を背けた。お約束の展開である。


「太一だ。きてくれるって信じてたよ」

「ひょ、氷華、何でこんなところにっ! ってか、その……っ!」


 太一は氷華の肌を露出している姿にかなり戸惑っていた。一方の氷華は、着替え中に現れた太一の存在に驚いたものの、「まぁ太一だから別にいいか」という理由で、特に恥じらいを感じる様子もない。


「お前っ――俺が言うのも変だけど、ちょっとは恥ずかしがれよ!」

「え、どうして? 裸って訳じゃないし、太一だし別に大丈夫かなーって」

「俺はどんな反応すればいいっ!?」

「別にいつも通りでいいんじゃない?」


 太一は赤面しながらも無意識に近い感覚でツッコミを入れ、そんな風にくだらない会話を繰り広げている間にも、氷華はいつもの服へと着替え終えていた。太一とお揃いのジャンパーにぎゅっと袖を通して腕を捲ると、氷華は「もう大丈夫だよ」と、いつものように平然としている。そのまま二人は互いの無事を確認し、安堵の声を漏らした。


「無事でよかったよ、氷華」

「太一こそ無事……ではないね? 血だらけだし、何か焦げてる?」

「ちょっとダークサイドの奴と闘ってて。この服凄いよ、着てるだけで炎の中もどうにか耐えられた。やっぱゼンの特別製なだけはある」


 得意気に笑う太一を見て、氷華は「この服、そんなに凄かったんだ……流石メイドインゼン」と感心し、自分のジャンパーを掴んでまじまじと観察していた。一方の太一も、氷華の身体には無数の切傷が増えている事に気が付く。


「お前も闘ったのか?」

「うん。危ないお姉さんと一戦交えた」

「危ないお姉さん?」

「私を料理するとか言うから、逆に冷凍保存にしてあげた」

「……とりあえず、勝ったんだな?」

「太一も勝ったんだよね?」


 二人は笑みを浮かべ、互いにハイタッチを交わした。その直後、フォルスの居場所を探る為に出向いていた元ロフが、手を挙げながら意気揚々と戻ってくる。


「譲ちゃん、わかったぜー!」


 しかし太一の姿を見つけると、元ロフは「げっ……嬢ちゃんと一緒に居た剣士!」と徐に嫌そうな顔で呟いた。


「あいつは? ロフじゃないのか?」

「あの人は私の手下になったよ」

「……手下?」


 元ロフ改め、氷華の手下は突然の位置付けに唖然とするが、同時に「あの剣士……俺の事覚えてねえのかよっ!」と複雑な心境に陥る。


「そ、それより嬢ちゃん! 頭は今、月の間で侵入者と殺り合っている!」

「侵入者……私はてっきり太一の事かと思ってたんだけど、違う人?」


 太一はハッと思い出し、慌てて氷華に侵入者の正体を告げた。


「ヤバイ――その侵入者、きっとセリの兄貴だ!」

「なっ!?」


 それを聞いた瞬間、二人は氷華の手下を置いて走り出す。後ろからワンテンポ遅れて氷華の手下が付いてくるが、二人は振り向く事なく城内を全力で駆け抜けた。

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