第21話 それぞれの闘い③


 太一と氷華が現場に駆け付けた時、キリヤとフォルスの闘いは佳境に入っていた。


「あの人が、セリの――」

「キリヤさんっ!」

「お前等……」


 太一はフォルスとキリヤの間に割って入り、すぐさまキリヤ側に加勢した。氷華も二人の背後に立ち、いつでも魔術を発動できるように身構える。


「後は俺に任せてくれ、キリヤさん」

「っ、邪魔をするな! あいつは、俺が、殺さなければっ……!」

「あんたがここで無残に死んだらセリが悲しむ!」


 そう叫びながら、太一は自分の刀でキリヤの刀を叩き割った。真剣な表情で、言い聞かせるようにキリヤへ向き合う。


「教えてくれキリヤさん。あんたは何の為に闘う?」

「俺は……両親の仇を、そしてあいつの悲しみを晴らす為に……ッ!」

「その復讐はあんたの心を満たす為のものだ。セリはもう復讐なんか望んでいない。本当にセリの為を想ってるなら、もう復讐なんかやめろ! それでもやめないって言い張るなら、セリを復讐の理由に使うんじゃねえ!」


 太一の言葉を聞いたキリヤは、目を見開かせながら固まっていた。何かを思い詰めたように目を伏せ、消えるような声で「俺は、あいつを……言い訳にしていたのか」と呟く。


「あんたは、何もわかっていない。復讐に囚われて、セリをひとりにして……それがセリに、どれだけ悲しい想いをさせたかを。セリは、あんたと一緒に暮らす事を一番に望んでいるのに」

「あいつは……そんな、事を……」

「もう一度言う。後は俺に任せてくれ、キリヤさん。これ以上あんたが傷付けば、セリはもっと悲しむ」


 その言葉を聞いて、キリヤは緊張の糸が途切れたようにすとんとその場に座り込んだ。キリヤからはもう刀のような殺気は感じられない。自分の過ちに気付き、哀しみを隠すように目を伏せている。太一は氷華に「キリヤさんを頼む」と告げると、決心したように立ちあがり、目を細めながらフォルスを睨み付けた。


「ここからは俺が相手だ」



 ◇



 座り込んでしまったキリヤを見て、氷華は小さな悲鳴を上げた。彼の左腕からは、洪水のように赤い液体がどくどくと流れ続け――。


「そ、それ――」


 肘から下がなくなっている。大量の血液がぼたぼたと落ち、畳に真っ赤な染みを描いていた。キリヤの顔は真っ蒼で、呼吸も酷く荒い。今にも出血多量で危険な雰囲気だった。


 ――どうしよう、どうしよう……っ!


「……石化を、回避……しようとして……この様だ」


 それだけ言うと、キリヤはどさりと力なく倒れ込む。氷華は自分のジャンパーを脱ぎ、キリヤの傷口にぎゅっと巻き付けた。止血のつもりだったのだが、溢れる血は勢いを止めない。


「せめて、血が止まればっ……こんな時は……冷静に考えろ水無月氷華ッ!」

「っ……最期に、もう一度……あいつを……」

「何言ってるの! 最期なんて言わないでッ!」

「“セリカ”を――」


 氷華は必死にキリヤへ呼びかけ続ける。流れる血は真っ赤で、キリヤの顔は真っ蒼だった。



 ◇



「次の相手はてめえか」

「ああ。最後の相手だよ」

「あの男の代わりに死ぬなんて、人がよすぎるなぁッ!」


 フォルスは自らの大剣で太一に向かって斬りかかる。激しい剣幕に押されながらも、負ける訳にはいかない太一も負けじと刀を振るった。フォルスの一太刀は重く強いもので、防ぐ度に太一はびりびりと衝撃を受ける。少しでも力を緩めては吹き飛ばされてしまいそうだ。対するフォルスの方も、太一を普通の青年かと思っていたが、軽い身のこなしや素早い剣技から只者ではないと察し始めていた。キリヤとは少し違う強さを感じ、フォルスは眉を顰める。


「あの女と一緒に居た……そうか、てめえが男剣士の方か」

「ワールド・トラベラー、北村太一! 覚えとけ!」


 叫びながら太一が刀を振り上げると、フォルスは大剣で軽々と攻撃を防ぎ、「てめえもあの女みてえに救世主だとかぬかしやがるのか?」と鋭い表情で問いかけた。太一はフォルスから距離を置くと、真剣な眼差しで「あぁ。この街も、大切なものも、俺の世界も……全てを救えるくらいの救世主になってみせるよ」と宣言する。その言葉を聞いて、フォルスは太一を冷めた目で見下していた。腹立たしさと忌々しさを含みながら、フォルスは一言だけ述べる。


「てめえ等は何も知らねえから、そんな綺麗事が言えるんだ」

「!」


 そう語るフォルスの言葉は、太一にとって何故か他人事には思えなかった。呆然としながら、信じられないようにフォルスを見つめる。しかしフォルスはその一瞬の隙を見逃さず、太一に向かって大剣を突き出していた。


 ――――ザッ!


「ぐっ……!」


 フォルスはニヤリと笑い、太一の脇腹を満足そうに見つめていた。そこは血が流れると同時に、みるみる灰色に変色していく。フォルスの笑みで、先程の言葉は油断させる為のものだったかと疑ったが――自分を見下す瞳を見て、彼の言葉は嘘偽りではない本心だったと判断した。


「救世主なんてのは虚像にすぎねえ。只の人間如きに、全てを救える訳ねえんだよ」


 そう言ったフォルスの目は、太一に対する苛立ちと、何かに対する憎しみを含んだような――その奥底には、もっと別の何かを押し殺しているような――複雑な瞳だった。太一はそれを見て悲哀のような印象を受ける。


「そう、かもしれない……それでも……俺は」


 太一は痛みによって顔を歪め、俯き――何故か口元を吊り上げていた。



 ◇



「こんなの、駄目だよ……」

「……?」

「あなたがセリを孤独にさせた分……生きて、セリの笑顔を護らなきゃいけない」


 氷華は小刻みに震え、氷華はキリヤを睨むように見つめる。


「セリの本当の笑顔を護れるのは、あなたしか居ない! あなたは私が死なせないっ!」


 氷華の決意の籠った叫びと同時、彼女の両手には光が収束し、眩い輝きを放つ。キリヤの左腕を、氷華は両手で包み込むように構えた。


 ――今の私には、腕の復元なんてできない。でも、せめて。


 ゼンとの修行を思い出しながら、氷華は静かに口を開く。高度な魔術を発動させる場合、それに伴う詠唱が必要だ。低度なものならば詠唱破棄でも発動できるが、威力は半減する。キリヤの怪我には、低度な魔術では意味をなさないだろう。


「『陽光よ、我が声に応えよ。太陽の慈悲で、彼の者の傷を癒したまえ。ドゥルール・エタンドル』!」


 次の瞬間、温かな光がキリヤの左腕を包み込む。心が軽くなり、身体の痛みが引いていく感覚だ。超常現象のような神業に、キリヤは幽霊でも見るような面持ちで氷華を凝視してしまう。ぼたぼたと流れ落ちていた左腕の出血も、いつの間にかぴたりと止まっている。


「これ、は――」

「もう最期なんて言わせない。あなたにはこれから、セリと一緒に生きてもらうんだから」

「……ありがとう」


 キリヤは微笑んだ。安堵したような、憑きものが落ちたような――先程までとは明らかに別人のような、優しい笑みで。それは正に、セリが大好きな昔のキリヤの面影だ。氷華の魔術は、痛みと同時に心の重荷をも癒したのかもしれない。



 ◇



「何がおかしい」

「…………」


 太一は黙って刀を動かしていた。フォルスはその行動も無駄であると悟っていたのだが、どうにも太一の表情に納得がいかない。今まで一度も石化を止められた者は居ない筈だ。これから死を待つだけなのに、未だに余裕を見せ続ける太一に対して苛立ちを覚える。


「てめえはこれから死ぬ。それなのにどうして笑っていられる?」

「……誰が死ぬかっての」


 そして太一は刀を構え、フォルスと一気に距離を詰めた。フォルスは咄嗟に太一の胴体から下に視線を送るが、灰色に包まれた石化状態が――。


「石化こそ、虚像だッ!」


 ――――パリンッ!


「俺ルール第三条! 俺はこんなところで死なない!」


 音を立てながら砕け散る。絶対的な死を与えてきた筈の石化状態が、いとも簡単に崩されてしまったのだ。その事実にフォルスは茫然とし、太一の攻撃にも反応できない。魔役の力で風を纏った太一は瞬く間にフォルスの視界から消え失せ――耳元で声が聞こえた。

「世界を救うまで、俺は死ぬ訳にはいかないんだ」


 ――――ザッ!


 そして、フォルスは太一の一閃によって崩れ落ちた。



 ◇



「太一大丈夫? 傷見せて!」


 フォルスが崩れ落ちると同時に、氷華は太一に駆け寄る。太一もガクリと膝を付き、酷く苦しそうに顔を歪めていた。石化を強く否定するように念じた事で、石化は無事に解けたものの――太一の傷も決して浅いものではない。氷華はキリヤに施したものと同じ魔術を太一にも発動した。陽光系魔術の力を初めて体感し、太一は「魔術って便利だな……頑張れば俺もできるかな……」と感心していた。


「よかった……切り傷だったから塞がった……失った血までは回復できないから、貧血に気を付けてね。とりあえず鉄食べて、鉄」

「そこはレバーとかほうれん草だろ……」


 フォルスは畳に顔を付けながら、太一を――そして氷華を睨み付けている。


 ――何故だ、何故あの男剣士は簡単に“これ”の正体を見破れた? 俺と会った事もねえ筈なのに……。


 その時、出遅れていた氷華の手下が「嬢ちゃん!」と叫びながらやっと現場に追い付いた。ぜえぜえと息を切らしながら、太一と氷華――そのまま驚いたように、倒れているフォルスに視線を移す。


「頭が……嬢ちゃんと剣士に……」


 彼と目が合った瞬間、フォルスは全てを理解した。

 あの男は確かに先程自分が石化させた筈だった。しかし、何故かこうして平然と生きている。

 太一とフォルスは会った事も斬り合った事もない。それなのに、太一は一発で能力の正体を見破っていた。

 あの男と一緒に現場に居たのは、自分の力を必要に観察していたのは――。

 フォルスは最後の力を振り絞り、今までにない凄まじい剣幕で氷華に向かう。


「女あぁああぁぁ!」

「ッ!?」


 氷華の手下が「嬢ちゃん危ねぇ!」と叫ぶが、距離的に間に合わない。太一も連戦による疲労で、反応が一歩遅れてしまった。


 ――殺され、る……?


 その刹那――氷華は、頭の中が真っ白になった。目の前には自分に突き付けられる死の恐怖。今まで感じた事のない強烈な殺気を前に、彼女の身体は石化したように硬直していた。

 そして氷華は瞳に涙を溜めながら、瞳を閉じ、本能的に叫ぶ。


「『トランシャン・グラソン』!」


 ――――グサァッ!


 鋭く尖った巨大な氷柱が、フォルスの身体を貫いていた。



「がはっ……」


 口から血を吐き出しながら、巨大な氷柱に貫かれて動かなくなったフォルスを見て――氷華は真っ蒼な表情でガクガクと震えていた。自分の肩を両手で抱くようにしながら、氷華は錯乱したように言葉を発している。


「私が、殺した……殺し……私がッ!」

「氷華!」

「わた、し……あ、あぁぁぁああぁ……」

「落ち着け! 氷華ッ!」


 太一は氷華の身体をぎゅっと抱き締めた。ガタガタと震える身体は、太一の温もりで徐々に落ち着きを取り戻し――氷華の瞳からはつうっと涙が溢れ落ちた。その涙は、赤く染まった畳に再び染みを作り出す。


「ころされ……るって、おも……って」

「大丈夫、大丈夫だから」

「た、いちぃぃいい……」


 慟哭のような叫びを発しながら、氷華は太一の腕の中で泣き崩れた。その場を壊すのは、氷華が殺してしまったと思っていたフォルス自身で、その声に氷華は怯えたように顔を上げる。即死かと思っていたが、フォルスはまだ生きていた。


「……お、んな」

「!」

「俺は、てめえに、殺されるんじゃ、ねえ……てめえなんかにッ……殺される、くらいなら」


 そのままフォルスは力なく口を開く。その動きで口からは再び、ごぽりと真っ赤な鮮血が零れ落ちた。


「“氷柱なんか”で死んで、たまるかっ……俺は“石化による窒息死”だ……」


 その言葉を合図に、フォルスの身体はピキピキと灰色へ変色を始める。何度か血液を吐き出しながら、フォルスは氷華を恨めしそうに睨み付けていた。


「てめえが、出した答え……正解だ」

「…………」

「やっぱり、てめえは――」


 フォルスは何かを言いかけようとするが、ふっと口元を吊り上げ、自らそれを遮る。痛みを通り越し、感覚すらなくなってきたフォルスは「……だが、てめえは……そんな、情けねえ面じゃ……なかった……筈だ」と続けた。氷華はごしごしと目元を拭き、赤く腫れた目でフォルスをじっと見つめる。まっすぐ、目を逸らさずに。ファルスはその表情に満足したようで、静かに笑って瞳を閉じると――石化は首元まで進み始める。


「男剣士……ひとつ、忠告してやる」

「ああ」

「救世主は、善人じゃねえ」


 太一は固まった。闘いの最中に投げかけられた言葉と、今の言葉。それは太一の心に深く突き刺さり、頭から離れない。太一が考えていた“救世主像”が揺らぎ、様々な思考が巡っていた。

 太一が憧れている“全てを救う救世主”。しかし全てを救う為には――フォルスのような男も救う為には? これでブリュタルの街人は救えたかもしれない。だが、フォルスはどうなる?

 全てを救う事を理想としておきながら、両方救う事は無理だった事実が太一の背中に重くのしかかる。恐らくこの真実は、ワールド・トラベラーが一生背負っていく重さになるだろう。


 太一が酷く悔しそうな表情を浮かべている傍ら、フォルスは再び瞳を開け、消えてしまいそうな声で「女……名前、は……?」と問いかけた。


「私は……氷華」


 氷華はフォルスに対し、初めて笑みを向ける。無理矢理笑ったような、不格好で痛々しいものだったが――敵である事も気にせず、気丈に笑ってみせた。再び瞳を開けてみたものの、フォルスの視界は既に朦朧としていて、氷華の笑顔を捉える事はできない。


「ワールド・トラベラー、水無月氷華」

「北村太一……水無月氷華……か…………」


 最期にフォルスは、復唱するように呟いた。同時に、フォルスは満足したように瞳を閉じる。

 そして、フォルスは完全に動かなくなった。



 ◇



 主を失った事でフォルスの大剣は砂城のようにボロボロと崩れ落ち、神力石の欠片だけが空しく転がり落ちる。太一はそれを拾い上げ、ぎゅっと離さないように強く握りしめた。


「その石が……狂わせたのか。この男も、この街も……」


 キリヤは積年の恨みを込めるように目を細め、太一の手に納まる欠片を見つめていた。太一は落ち着いた様子で口を開く。


「もしかしたら、この石がなくても、あいつはああなっていたのかもしれないな……今となっては、もう真実を知る事はできないけれど」


 フォルスの言葉は、彼の本心だったように感じた。だから、太一の胸には未だにフォルスの言葉が傷跡のように残っている。


「救世主は善人じゃない、か……確かに、そうなのかしれない。でも、無関係の人たちを苦しめてきたお前だって善人じゃない、悪党だ」


 動かなくなったフォルスを見て、太一は「そこには同情はできないし、お前自身に何があったかはわかれなかったけど――」と続けた。


「それでも俺は、虚像を現実にする為に闘い続けるよ。沢山の人を傷付けた事と、お前の死を背負って……俺はこれからも前へ進み続ける」



 この日を境に、ロフたちは力をなくし――組織は壊滅する事となる。

 こうして、ブリュタルの街とセリには本当の明るさが取り戻された。

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