第22話 本当の笑顔


 セリは太一と氷華、そしてキリヤの帰りをずっと待ち続けていた。茶屋の店主は休もうとしないセリの体力を心配するが、セリの決意は固く揺るぎない。

 そして、朝日と共に三人は帰ってきた。ボロボロになりながらも、一歩ずつ確実に近づいてくる姿を確認し、セリは一目散に駆け出す。真っ先に飛びついたのは勿論――。


「兄ちゃんっ!」


 最愛の兄だった。バランスが取りにくい身体でどうにか持ち堪え、キリヤはセリの頭を優しく撫でる。太一と氷華が見た事が優しい微笑みで、セリを抱き締めていた。


「今まですまなかった……寂しい想いをさせてしまって、本当に……すまなかった……」

「兄ちゃんっ……兄ちゃん!」

「これからは一緒だ……“セリカ”」


 その言葉を聞いた太一が、まるで石化してしまったようにピシリと固まった。隣では氷華が、ぱちぱちと瞬きをしながら首を傾げている。


「太一、もしかして今まで気が付かなかった?」

「まさか、いや……まさか……」

「セリの表情を見てみなよ。ほら、あんなに可愛い」


 セリはキリヤにしがみつき、わんわんと泣きじゃくっていた。その様子は、誰が見ても――兄に寄り添う“少女”の姿である。


「セリは……女の子、だったのか……」


 セリは涙でぐちゃぐちゃになった顔で、至極幸せそうに笑っていた。


「おかえり……おかえりっ! 兄ちゃん、兄貴、氷姉!」

「「「ただいま」」」



「ははっ……嬢ちゃん、まさか本当にやってのけるとは……!」


 茶屋の店主は生還してきた太一や氷華を見て腰を抜かしていた。どことなく自分を“その気”にさせた目の前の少女とその仲間は、フォルスを倒して本当にこの街を救ってみせたのだ。その事実に店主は乾いた笑みを零す。


「だから言ったでしょ?」

「……嬢ちゃん、今日は宴だ! 皆、どれでも好きなだけ食べていきなっ!」


 その言葉に氷華は花が咲くように、ぱぁっと明るい顔をしていた。太一も「俺もいいの!?」と期待に胸を弾ませて笑う。


「ああ、何て言ったって、そこの二人はこの街の“救世主”なんだ! 遠慮せずに食べな!」

「じゃあお店にあるシューアイス全部食べていい!? なかった事にしていい!?」

「ぜ、全部はちょっと困るかな……」


 太一と氷華は目を輝かせながら、店内に並ぶ団子やシューアイスを口に運ぶ。優しい甘さが闘いで疲れた心を癒していった。先程までの闘いが嘘だったように、幸せそうな顔を浮かべる二人を見て、キリヤとセリはふっと口元を吊り上げる。


「兄貴と氷姉は、本物の“救世主”だね」

「そうだな……全く……凄い奴等だよ」


 二人に救われた兄妹は、いくら感謝してもし足りない程の想いで一杯だった。



 ◇



「氷華、大丈夫か?」

「……太一」


 その日の夜、太一は氷華の元を訪れた。今日はセリの家ではなく茶屋の一室に泊まっている。セリはいつものように太一と氷華と寝るのではなく、最愛の兄に寄り添うように眠っていた。

 氷華は眠れずに夜のブリュタルの街をぶらぶら歩き、水辺に座っていたところ、太一が後ろからやってきたのだ。


「ちょっと、眠れなくて」

「…………」


 氷華は思い詰めた様子で、夜空に浮かぶ月明かりをじっと見上げていた。黄色に輝く月と漆黒の空が、どことなくフォルスを連想させる。


「私が殺したんだ」

「本人は否定していたじゃないか」

「だけど……私が、殺したんだよ」


 月明かりが辛そうな表情を映し出していた。そのまま氷華は悩み苦しむように口を開く。


「ねえ、太一。救世主って、何だろう」

「それ、正直俺もわからなくなってて。あれからずっと考えてたよ。でも、いくら考えても、今の俺じゃ辿り着けなくてさ。だから……俺はその答えを探し続ける。それを見つけた時、俺は全てを救えるような救世主になれる気がするから」


 そう言って笑いかけると、太一は俯きながら「俺さ、たぶん沢山のロフを傷付けた。あの時は必死で、確認する余裕なんてなかったけど、致命傷で……って可能性もあるかもしれない」と告げた。氷華は何も言わず、黙って太一の言葉に耳を傾ける。


「俺、思うんだ。誰かを傷付けたって事は、その人の人生の一部を奪った事と同義だ。生きる可能性だって奪ってるかもしれない。だから、俺たちは……奪った人たちの分も長く生きなきゃいけない。今日の事は絶対に忘れないで、全部背負って、生き続けなきゃならない」

「…………」

「だから俺は死なない。無様に這いつくばってでも、何があっても、生きる。生き残ってやる。死ぬって時は……そうだな、寿命で死ぬんだ。そして……俺は何があっても、死ぬまで世界の為に闘い続ける。世界を救う事で、償い続ける」


 少し無理している自分を隠しながら、太一は気丈に笑いかけた。


「もしも氷華がフォルスを殺したと思うなら、あいつの分も生きろ。生きて、そして、一緒に救世主になろうぜ」


 氷華は驚いたように目を丸くさせながら、太一を見つめる。太一は「まぁ、フォルスに関しては俺だって同罪だと思うけど」と口を尖らせていたが、氷華は優しく微笑んでいた。


「ありがとう、太一。何だか、救われた気がするよ」


 静かに立ち上がり、氷華はその場で伸びをする。月明かりに照らされながら、氷華は煌々と輝く月を見上げた。月が反射して映った水面は、キラキラと細氷のように輝いている。何かを決意したように、凛とした表情で氷華は続けた。


「もう大丈夫――私は、大切なものを護る為に生きる」



 ◇



 数日後。


「二人共、もう行っちゃうの?」

「ああ。一刻も早くこれを届けなきゃ」


 涙ぐむセリの頭を太一はポンッと撫でた。そんな傍ら、氷華は「『時空よ、我が声に応えよ。光路を具現し――』」と魔術の詠唱を始め、暫くして巨大な魔法陣が形成される。それは同時に、この街との別れを表していた。


「ありがとう!」

「またこいよ!」

「あんた等は本物の救世主だよ!」

「うちの店、サービスするから!」


 ブリュタルの街人たちは、すっかり有名になった太一と氷華に感謝の言葉を投げかける。二人がこの街にやってきた当初とは比べ物にならない程、街は華やかな活気を取り戻していた。


「嬢ちゃん、ありがとな。これからはこの街を再興させるのに全力を尽くすよ」

「もう悪さしちゃ駄目だよ?」


 氷華の手下はもう完全にロフから足を洗い、街の再興に尽力しているお陰で、離れていた家族も戻ってきたらしい。充実しているような、幸せそうな表情で太一と氷華に感謝を告げる。


「これは餞別だ。二人で食べな!」


 二人が世話になった茶屋の店主は、二人だけでは到底食べ切れなさそうな甘味を太一に持たせていた。両手から溢れる程の量を見ながら「毎食食べても三日は保つぞ」と心の中で呟く。


「ありがとな、おじさん」

「シューアイス、いつかまた食べにくるね」


 最後に、街人を代表するようにセリとキリヤが一歩前に出た。セリはいつも男物の着物を纏っていたが、今日は髪を下ろし、煌びやかな女物の着物に身を包んでいる。恥ずかしそうに赤面させている表情が可愛らしかった。


「兄貴、氷姉……あの時に助けてくれたのが兄貴で、何度も二人に救ってもらえて、セリはとっても嬉しかった! 昔に戻ったみたいに、毎日楽しくて……それで、それでッ」

「ほら、そんな顔しないの。セリにはもうお兄ちゃんが居るから寂しくないでしょ?」

「それでも……兄貴と氷姉が居ないのは、やっぱり寂しいよぉ……ッ!」

「セリ……」


 二人はセリを抱き締め、優しく呟く。


「大丈夫、また会えるよ。落ち着いたら、必ずまた会いに行くから」

「本当?」

「本当だって。俺ルール第四条、約束は必ず護る」


 小さな身体を惜しむように離すと、セリは涙を流しながらも、太陽のような笑顔を二人に向けた。それと同時にキリヤが静かに口を開く。


「俺は昔のように剣道教室を開いて、街の皆に自衛する力を伝えていく。それで、昔のロフのように――人々を護る為に闘っていこう。それが、せめてもの俺の償いだ」

「ああ。キリヤさんの剣、この世界に広めていった方がいいよ」

「セリはね、兄ちゃんを支える他に、茶屋でお手伝いもする! おじさんと一緒に頑張るよ!」

「そっか、セリなら大人気の看板娘になれる筈だね! 応援してるよ」


 二人は一歩ずつ、光り輝く魔法陣の中心に向かって歩み出す。輝きの中心まできて、くるりと振り返った。


「「セリ。その着物、似合ってるよ!」」

「ありがとう! ありがとう……ワールド・トラベラー!」


 感謝の言葉を聞きながら、二人は微笑み――ブリュタルの街を後にする。



 光に包まれながら、太一は今回の闘いを振り返り、瞳を閉じる。闘いは辛く激しいものだったが、セリと共に過ごした日常は優しく温かなものだった。自分が目指すものに迷いを生じたが、どうにか初陣は勝利を収める事ができた。その勝利と日常は、太一の心の中で確かな自信と決意へ繋がる。


 ――あの穏やかな日々を壊されない為に、俺はこれからも闘い続ける。アキュラスやフォルスにだって勝てたんだ。次も負けないように、頑張らなきゃ。俺ならできる。



 一方、氷華はセリとキリヤが楽しそうに笑っている光景を瞼の裏で思い浮かべていた。セリの頭を優しく撫でるキリヤの姿に、氷華は過去の自分とセリを重ね、静かに想いを馳せる。


 ――会いたいなぁ……凍夜お兄ちゃん。


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