第18話 邂逅②


 氷華に危機が訪れているとも知らず、太一はブリュタルの街中で死闘を繰り広げていた。激しい剣激を掻い潜り、隙を見てアキュラスに斬りかかる。


 ――――ガキィンッ!


 アキュラスの剣幕に耐え、太一は即座に彼の視界から消えた。アキュラスは瞬く間に太一を見失い、一秒だけ判断が鈍る。一方の太一はその場でしゃがみ込みながら思い切り足払いを決め――アキュラスは体制を崩すものの、刀を離して掌を地面に突き立てる。その反動で跳ぶように起き上がり、どうにか転倒を免れた。一進一退の油断も隙もない攻防が続く。


「っ――竹刀一本の割にはやるじゃねぇか」

「そりゃどーも!」


 太一はアキュラスが丸腰になったと思い竹刀を下ろしたが、その判断は軽率だった。アキュラスは隠し持っていたナイフを太一に向かって投げたのだ。


「!」


 太一は無理矢理顔を動かし、間一髪で直撃を免れたが、彼の頬からはつうっと赤い液体が流れ落ちる。ほんの少しでも判断と行動が遅ければ――脳天に直撃だったかもしれない。


「実戦で情けは不要……その通りだったよ、カイ……」

「いい事言うじゃねぇか。そいつとは気が合いそうだ」

「いや、きっと合わないよ。お前みたいな奴」

「闘いは甘くない。いや……」


 太一の言葉を聞く様子もなく、アキュラスはニッと笑って言い直した。鋭い殺気が矢のように突き刺さり、太一は身体を強張らせる。


「殺し合いは甘くないぜ!」


 ―――バリバリィッ!


 その時、突然の雷鳴が木霊した。この闘いの激しさを物語るような、そして何だか嫌な予感を思わせる雷で――ふと仲間の顔が脳裏を過ぎる。太一が何かを考え込む中、先に口を開いたのは意外にもアキュラスの方だった。


「あの雷……“精霊”が引き起こす雷じゃねえな」

「は? 精霊? 顔に似合わずメルヘンだな、お前……」

「…………」


 アキュラスは至極面倒そうに太一に視線を送る。アキュラスは自分の発言を正当化する為、敵である太一に真実を教えてもいい気になった――が、自分では簡潔に説明できる自信がなかったので、三秒考えて喋る事を放棄した。


「もしやと思うが、近くに魔術師が居んのか」

「魔術師?」


 次は太一がびくりと肩を上げる。その過剰な反応をアキュラスは不審に思い、目を細めて怪しむ一方、太一の額からはつうっと冷や汗が流れていた。


 ――まさか、何かあったのか……?


「何だ、精霊は信じねえのに魔術師は信じるのかよ?」

「ちょっと、訳ありでね」


 そして、太一はじりじりとアキュラスから距離を置き始め――。


「野暮用思い出したから今日はこの辺で帰る!」

「なっ――てめっ、待ちやがれ!」

「決してお前に負けた訳じゃないからな! 俺が用事あるだけ! じゃ、またな!」


 太一はアキュラスに背を向け、全力で走り出す。予想もしなかった太一の“逃げ”という行動を前に、アキュラスは一瞬だけ出遅れたものの――欠片の情報を訊き出していない事を思い出し、すぐさま太一を追いかけた。



 ◇



「どうしよう、どうしようっ!」


 セリは闇雲に街中を逃げ回っていた。鋭い刃物を握ったロフたちに追いかけられ――必死に恐怖心を抑え込みながら、太一を捜して全力で走り回る。


「待ちやがれガキ!」

「兄貴っ、どこだよ兄貴!」


 周りを気に留める余裕すらなく走り回っていた為、セリは道の判断を誤ってしまった。目の前には巨大な壁。セリの背より高く、絶対に登れない高さだ。後ろからはロフ。彼等はじりじりとセリとの距離を詰め始める。


「行き、止まり……!」


 もう駄目かと諦め、セリは頭を抱えながらその場にしゃがみ込んだ。最愛の両親と、自分が兄貴と呼び慕う太一と、自分を逃がす為に捕まった氷華――そして最後には兄の姿が浮かび上がる。


「ガキ……死にな!」

「氷姉……兄貴…………兄ちゃんっ……!」


 ――――ザシュッ


 その時、セリの視界が不自然に暗くなった。謎の人影が、自分を襲おうとしたロフに斬りかかっている。長めの髪を一本で結び、セリの見慣れた動きでロフを次々と切り崩していった。背が高く、大きな背中。セリの好きだった背中だ。彼は人を斬る事を何とも思わないように、まるで何事もなかったように振り向き――セリに「大丈夫か?」と声をかける。しかしその声に、セリが好きだった優しさは感じられない。


「にっ……兄ちゃん……!?」



 セリは実兄と一緒にとぼとぼ街中を歩いていた。それは今まで渇望していた事なのに、どこか素直に喜べない。実際には、久しぶりの兄との再会の喜びより――氷華に対する不安の方がセリを支配していたからだ。


 ――氷姉……。


 それに、昔とは別人のように変わってしまった兄。再会を喜んでくれる訳でもなく、笑いかけてくれる訳でもなく、彼は無表情を貫いていた。まるで自分の存在は見えていないようで、セリは一抹の不安を覚える。今の兄は、憎きフォルスのような雰囲気に近いとさえ思えた。

 するとセリの兄は、目を細めながら「どうして奴等に追われていた?」と問いかける。


「それは……茶屋でロフに絡まれちゃって、セリを逃がす為に捕まった人が居るんだ。助けたかったけど、セリには駄目だった……」

「……どんな奴なんだ?」

「氷姉は、えっと……琥珀色の髪の綺麗な人で――」

「俺は、これから奴等のアジトへ行く」

「――え?」

「俺たちの仇は、この街に巣食うロフの頭だ。力を付けた今の俺なら、奴を殺せる。ついでなら、その女を助けてやってもいい」


 たった一人の家族は、優しかった瞳を復讐の色に染め上げ、じっと遠くを見ていた。その瞳には自分の姿は一切映っていない。瞳に映るのは憎き仇だけのようで、セリは今にも泣き出しそうな表情で俯く。


「兄ちゃん……セリは……」

「わかっている。お前もあいつが赦せないんだろう? 俺が奴を殺す。大丈夫だ、お前は安心しろ」

「っ……」


 ――違う、違うんだよ……兄ちゃん……。


 昔とは別人のような兄の変貌に畏怖し、はっきり否定を主張できなかった。セリが本当に望んでいる事は、復讐なんてやめて、また一緒に暮らしたいだけ。それなのに、目の前の兄には本心を打ち明けられない。人が変ってしまったような、復讐に囚われている目を前にすると、足が竦んで動けない。声も震えた。もしも兄に自分の願いを否定されたらと思うと、怖くてたまらない。


「しつこいんだよ、俺は急いでるって言って――」

「じゃあ大人しく欠片の情報だけ吐け! そうしたらてめえなんてもう追いかけねー!」

「誰が敵に教えるかっ! バカかお前は!」

「バカだと……?」


 聞き慣れた声に、セリはハッと顔を上げた。目の前の十字路から、太一と昨日の赤髪の青年が、何かを激しく言い合っている。どうやら太一は青年から逃げている雰囲気だった。


「兄貴ッ!」

「セリ!?」


 太一はセリの存在に気付くと竹刀で攻撃をかわしつつも一瞬だけ視線を送った。しかし、少しでも油断するとアキュラスの攻撃が襲いかかる。即座に視線をアキュラスの方へ戻し、太一はセリに「悪い! 今ちょっと忙しい!」とだけ叫んだ。


「お前たち、何者だ」

「ち、違うんだ! 兄貴は――」


 セリが咄嗟に太一の事を説明しようとするが、彼は既に太一とアキュラスに向かって斬りかかっている。セリが「違うの!」と必死に止めようとするが、鋭い一閃は止まらない。それを防ぐように太一は竹刀をぶつけた。間一髪で軌道を逸らす事ができたが、太一の竹刀は上半分が飛ばされてしまい、虚しく地面に転がっている。

 続いて間に割って入るようにアキュラスが刀で振りかかるが、太一と兄は即座に距離を置いて剣戟をかわした。三つ巴の態勢となりながら、互いを睨み付けながら、一進一退の姿勢を保つ。


「兄貴、この人はセリの兄ちゃん。兄ちゃん、兄貴は前にセリを助けてくれた恩人だよ」

「へえ、お前がセリの兄貴か」

「キリヤだ」


 そう言って、セリの兄――キリヤは静かに刀を下ろす。つられるように太一も竹刀を下ろしたが、キリヤは太一を鋭く睨み付けて冷ややかに言い放った。


「こいつを助けた事には例を言う。だが、これ以上危険な目に巻き込むな」

「危険な目?」

「ロフに追い込まれ、殺される寸前だった」

「なっ!」


 太一は驚愕の表情を見せると同時に、セリと一緒に居た筈の氷華の姿がない事に気付く。アキュラスはいまいち状況が掴めず、じっと二人の様子を傍観するだけだった。


「兄ちゃん、そんな言い方……ッ!」

「俺は事実を言ったまでだ」

「確かに巻き込んでしまった事は謝る。すまなかった。だが――今までセリを放っておいたあんたも、俺はどうかと思う」

「…………」


 太一の指摘にキリヤは目を細めるが、何も反論できずに背を向ける。セリは「兄ちゃん!」と呼び止めるものの、彼は黙って足だけを動かし始めた。ロフのアジトの方角を一瞥し、セリたちの前から立ち去ろうと足を動かす。


「兄ちゃん……!」

「またセリを放っておくのか!? 今までセリがどんな想いで生きてきたのか、あんたにはわかんないのかよ!」

「…………」


 太一の問いに答える事なく、キリヤは黙って姿を消してしまった。


 ――やっと会えたのに……やっと、会えたのに……!


 セリはぎゅっと唇を噛みしめ、俯く。そんなセリを心配そうに見つめる太一だったが、重要な事を思い出して問いかけた。


「セリ、氷華は?」

「!」


 その言葉にセリはビクッと肩を跳ね上げ、泣きそうな顔で太一を見上げる。慌てながら口を開くものの、上手く言葉が出ず――太一に「落ち着け」と諭され、数秒後にやっと伝えることができた。


「兄貴! 大変なんだ! 氷姉が、フォルスにッ!」

「なっ!?」

「セリを逃がす為に……あと、兄貴たちが言ってた石、あいつの剣にあったよ!」

「「!」」


 その言葉に反応したのは、太一は勿論――今までつまらなそうに傍観していたアキュラスも同じだった。アキュラスはニヤリと口元を吊り上げ、太一とセリに背を向けて嫌味混じりに呟く。


「ありがとな、教えてくれて」

「ッ、お前まで乗り込む気かよ……!」

「当たり前だろ? 俺の目的はそれだけだからな」


 太一も今すぐに二人と同じ行動を取りたかったが、今のセリをひとりにするのは危険と感じて思い止まった。悔しそうに、ロフのアジトがある方角をじっと睨み付ける。


「先に行ってるぜ、ワールド・トラベラー」


 空は相変わらず鉛色で、これからの闘いを表すかのような雲行きだ。ギリギリと奥歯を噛みしめている内、太一の口内にはじわりと鉄の味が広がる。


「これからが本番、ってところか」


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