第15話 初戦と小さな願い②


 昨日と同じように夕飯を食べ終え、太一はぼんやりと今日の初戦を思い出す。


 ――当面の目標はロフの頭って奴だな。あのロフ曰く、頭も異形の力を使うらしい。一体どんな力なんだか。危険なものじゃないといいんだけど……ま、そうはいかないか。


 食器洗いが終わり、氷華もタオルで手を拭きながら椅子に腰かけた。タイミングを見計らったように、帰路からずっと口数が少ないセリが口を開く。


「兄貴、氷姉」

「ん? 何だ?」

「あ、のねっ……」

「?」


 セリはそわそわしながらも、何かを決心した様子で太一と氷華に改めて向き直った。


「セリね。実は……昔、ロフの頭に……会ってるんだ」


 その事を思い出すだけで心が張り裂けそうになったが、セリは顔を俯かせながら必死に耐える。セリの重い口から語られる話は、二人の想像を絶するような――あまりにも暗い過去だった。



 ◇



 セリの家庭は、父、母、兄、そしてセリの四人家族だった。茶屋で働く父、趣味で作った小物を販売している母、若いながらも剣道教室で教える側の兄、そしてセリ。彼等の生活は裕福なものではなかったが、そこまで貧しい訳でもなかった。細々としながらも幸せに暮らす姿は、近所からも温かな目で見守られている。


 しかし、そんな幸せな家庭に悲劇は起こった。晴れた日に突然起こる雷のように、唐突に。


「お父さーん、行っくよー!」

「いつでもこ――うぐっ!」


 その日、セリと父はキャッチボールをし、二人の姿を母が優しく笑いながら見守っていた。兄は剣道教室の日だったが、もう少しでそれも終わる頃合いだ。

 大抵の休日、セリは父と遊び、母が見守る。すると兄が帰宅し、四人揃って夕飯を食べる事が日常だ。その日も普段の日常通り、時間だけが過ぎていく。


「そろそろお兄ちゃんの教室が終わる時間ね」

「おお、もうそんな時間か。セリ、帰るぞー」

「はーい、お父さ……」


 ――――ピカーッ!


 暫く遊び倒し、家へ帰ろうかと思い立った瞬間、突然降り注ぐ強烈な明るさを前に、その場の全員がぎゅっと目を瞑った。瞼の奥からでも感じ取れる光がやっと収まり、雷でも落ちたのかと恐る恐る目を開ける。いつもと変わらない風景がそこに広がっていたが――一点だけ違う点があった。少し前方に、しゅうしゅうという音と共に立ち込める細い煙だ。


「な、何か落ちたのかしら? 雷――にしては音がなかったけれど」

「まさかあれは隕石か?」

「もしかしたら流れ星かも! セリちょっと見てくるね!」

「あ、こらセリ待ちなさ――」


 好奇心に支配されたセリは父と母の制止も聞かず、煙の方に――何かが落ちた方へと駈け出して行った。



「わあ……」


 煙が昇る場所では、本当に隕石が降った直後のように地面が凹み――その中心で、先程の強烈な光に似た石が輝きを発している。セリはこの石から、何故か“この世の物とは思えない美しさ”を感じ、魅せられるような錯覚に囚われた。恐る恐る手にしてみると、心も身体も軽くなる――不思議な石だった。何故か、今なら何でもできそうな気さえしてくる。

 そして、石に魅せられてしまっていたセリは、自分にゆっくりと近付く怪しい人影に気が付かなかった。


「凄く綺麗な石! お父さんとお母さんにも見せよう!」


 瞬間、セリの視界がふっと暗くなり――自分の前に現れた大きな影に、小さな身体がとんっとぶつかる。セリが顔を上げると、衣服を真っ赤な血で濡らした謎の男が、自分を冷ややかな目で見下していた。


「……ガキ……その石を寄越せ」

「えっ――」


 突き刺さるような殺気を浴び、セリはその場にぺたりと座り込む。初めて感じる、まるで心臓を掴まれるような殺気にガタガタと膝が震えた。

 逃げ出したくても、足は動かない。目を逸らしたくても、逸らせなかった。


 ――こ、わい……怖いっ!


 ――――ピカッ!


「う……あっ……」


 その時、セリの手で包み込まれる石が強烈な光を発した。この場から逃げ出したい、この男の前から消えたいという咄嗟の願いを具現化したように――謎の力によって男の身体がボールのように吹き飛ぶ。男は遠方でよろよろと立ち上がると、口から鮮血を垂らしながら「……てめえッ!」と蛇の如き眼光でセリを睨んでいた。


「それを……寄越せぇッ!」


 侮辱された感覚に陥った男は怒りに身を任せ、背負っていた大剣をセリに向けて勢いよく振り下ろした。鋭利な切っ先がセリを捉えようとした刹那――セリの横から何かが飛び込む。


 ――――びちゃぁっ!


 鮮血が舞う。

 咄嗟に閉じてしまった目を再び開くと、頬に生温い何かを感じた。恐る恐る手を添えると、小さな掌が真っ赤に染まっている。


「な、に……これ」


 セリの目の前に、血に塗れた最愛の父が映し出されていた。それを見た瞬間から、セリの頭の中は真っ白に染まり、状況が掴めずに「え……?」と声を漏らす。


「どう……して……?」

「そんなっ、あなた! しっかりして……いやぁぁあああぁ!」


 絶叫に近い悲鳴と共に飛び込むセリの母を見ながら、男は小さく舌打ちをした。ガクガクと足が震え、セリは父に近付きたくても一歩も足が動かす事ができない。まるで石になってしまったように、全く身体が動かなかった。


「チッ……黙れ」

「!」


 ――――ザシュッ!


 続けて、大きく目を見開かせた母の姿が視界を横切る。セリの眼前に倒れ込んだ二人の周りは、真っ赤に染まっていた。セリはよろよろと転びながら、必死に最愛の両親の前まで這いつくばる。その時、持っていた石が手から離れたが、そんな事はセリの眼中にはなかった。

 男は乱暴に大剣を振って刀にこびり付いた血を落とし、ぽつんと転がっている石をゆっくり拾い上げる。何かに魅せられているような――満足したような様子で口元を吊り上げ、黙ってセリの前から姿を消してしまった。


「嘘だ、嘘だぁぁあ!」

「せ、り……」


 震える手で両親の頬に触れる。真っ赤な液体と、両親の真っ青な顔色は止まる事を知らない。止まらない朱、止まらない蒼。


「セリ……お兄ちゃんと、仲よく……」

「喧嘩、する、な……よ」

「いやだ! 止まって……止まってよぉ……!」


 両親は息も絶え絶えにセリに語りかける。最後までセリと兄の事を心配をする両親だったが――二人は静かに瞳を閉じ、同時に動かなくなってしまった。


「いやだ、嘘……いやぁぁああぁ!」


 地獄絵図のような空間に取り残された、セリ。取り戻せない、時間。

 兄がその場へ駆け付けるまで、セリは絶望に打ちひしがれながら泣き崩れていた。



 ◇



「兄ちゃんは復讐に囚われ、そいつを捜してずっと帰ってこない。生活する為と強さを求めて、賞金首を狙う人斬りになった。セリの元には定期的にお金だけが届くんだ」

「…………」

「その後にわかったんだよ。ロフの頭、そいつがお父さんとお母さんを殺した張本人だって。でも、兄ちゃんには言ってない。本当に、もう――戻れなくなっちゃいそうだから」


 太一と氷華はようやくセリの事を理解した。

 どうしてこんな大きな家にひとりで住んでいるのか、金に不自由している様子ではないのか、時折見せるセリの寂しそうな表情、哀しみ――その理由が全て繋がった。今にも壊れてしまいそうな表情を見せるセリに近付き、氷華は小さな身体をそっと抱きしめる。太一もセリの頭をぽんっと優しく撫でていた。


「セリ、話してくれてありがとう。頑張ったね、辛かったね……私たちが居るから、もう大丈夫だよ。セリはひとりじゃない」

「氷、姉……っ」


 セリは涙を堪え、必死に自分の願いを主張した。

 その考えは歳相応とは思えず、とても大人びている。ひとりで生きてきた時間は、セリから子供らしさを奪ってしまったのかもれない。


「いくら、願ってもっ、もう……お父さんとお母さんは、戻らないんだ……。だけどっ、だけど……兄ちゃん、は……セリ、は……兄ちゃんと、一緒に……っ!」

「セリは、またお兄さんと一緒に暮らしたいんだね?」

「うんっ……あいつを、許した訳じゃ、ないっ、けど! ……復讐なんて、もう……いいんだ」


 氷華はしゃがみ、泣きじゃくるセリの目線に合わせてゆっくり語りかける。


「セリ。私たちはね、救世主になるんだよ」

「きゅう、せいしゅ……?」

「そうだぜ。セリみたいな子とか、この街の人とか。苦しんでる人たちを助けにきたんだ」


 太一と氷華は、セリを安心させるように優しく微笑み、堂々と公言してみせた。


「だからさ、ロフたちの事も」

「セリのお兄さんの事も」

「「俺(私)たちに、どーんと任せとけ!」」


 セリはごしごしと涙を拭い、ぎこちなくだったが、精一杯笑う。


「うんっ!」


 ――セリの為にも、絶対にブリュタルを救う。この街の救世主になるんだ。そして、自分たちの世界も……。


 ――もう喪わせちゃいけない。私たちがセリの笑顔を護ってみせる。


 太一と氷華は今日という日を経て、より一層、救世主になる決意を胸に刻み込んだ。



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