第8話 日常崩壊②


 時は変わって夕暮れ時。太一の自宅である北村家に二家族+その他が集められた。太一の両親、氷華の両親、太一と氷華。そして何故かガチガチのスーツで身を固めたゼンとカイ、ソラの三人だ。ぐるりとテーブルを囲むように座り、太一と氷華は少し離れた隣のソファから彼等の様子を珍しそうに観察している。


「つまりですね」


 緊迫した表情と空気の中でセンは口を開いた。頭を下げながら、本題を直球に投げる。


「お嬢さんと息子さんを私にください」

「結婚前の挨拶かッ!?」

「あんな娘でよければ喜んで!」

「って、軽っ! お父さん軽っ!」


 氷華までも自分の父親――水無月祥夜(ミナヅキショウヤ)に対して珍しくツッコミを入れていた。女である氷華にとってはかなり重要な問題だったのだから無理もない。


「祥夜さんが許してもあの子は許してくれるかしら? まぁ、お母さんも氷華が選んだ人なら反対はしないけど……太一ちゃんもって事は随分複雑な家庭事情になりそうねぇ」

「お母さん!」


 さらっと爆弾を投下する母――水無月凛華(ミナヅキリンカ)の呑気な発言に、氷華はガタリと立ち上がった。

 一方、隣では太一の父――北村真一(キタムラシンイチ)が唸りながら頭を抱えている。


「まさか男に太一をあげる事になるとは、我が息子ながらそんな気があるなんて知らなかった…………次回の連載のネタにしていい?」

「まあ、ゼンさんはイケメンだから無理もないわよ」

「頼むからその勘違いだけは止めてくれッ!」


 氷華に続き、太一も物凄い勢いで両親に弁解していた。太一にとっては、絶対にされたくない勘違いである。

 太一の母――北村一花(キタムライチカ)は動じる事なく席を立ち、「どうぞ」と言いながらゼンに麦茶を差し出すと、彼は「ありがとうございます」と微笑む。次にカイとソラに向かって「二人はオレンジジュースでいいかしら?」と尋ねると、ソラは元気よく「お願いしまーす!」と手を上げ、カイは「どうも」と軽く礼をした。


「ほら、やっぱりゼンさんはかっこいい方じゃない。笑顔が素敵なイケメンよ」

「い、一花……ま、ままま、まさか惚れたのか……?」

「やだわね、私は死ぬまであなた一筋だから安心なさい」


 一花は笑いながら真一の後頭部をバシンと叩く。予想以上の痛さだったのか、嬉しさからなのか、叩かれた真一は震えながら顔を埋めていた。相変わらずの両親に太一は引き攣った笑いを浮かべて立ち尽くしていると、氷華は憐みの意を込めて肩に手を置きながら首を振る。


「ははは、やはり北村夫妻は面白いな」

「そうね。あ、ゼンさんもそんなに堅苦しくなくっていいのよ。そんな高そうなスーツなんて着なくてもよかったのに。ケチャップとか零したら大変だわ」


 凛華はゼンの緊張を和らげる為に呟くと、彼はその言葉を真に受けながら「あ、そうですか? それなら」と言って、一瞬で正装から普段の服装に戻っていた。それを見てカイとソラも同様にラフな服装に戻っている。


「早着替え!」

「正に神業ですなぁ~」


 呑気に拍手をしている両親たちと見ながら、氷華は「これじゃあ真面目な話なんだかふざけた話なんだかわからないね」と苦笑いで呟いた。太一も「一応、これからの人生を左右されるかもっていう大事な話なんだけど」と同意する。

 そして、氷華はふぅっと溜息を溢した。少し呆れたような、だけど少し皮肉めいたような笑みを浮かべながら。


「ま、その人生を分けるかもしれない決断を数時間でしちゃったのも私たち自身だけどね」

「そうだな……だけど、それは俺たち自身で決めた事だし、何より自分で納得してるし?」

「ふふっ、そうだね」


 いつの間にか太一と氷華の会話に耳を傾けていた両親たちは、優しく笑いながら「それなら大丈夫だな」と静かに口を開いた。今までの緩い表情とは打って変わって、真剣な表情に切り替えながら。


「太一と氷華ちゃんが、自分たちで決めた事ならば父さんたちは何も言わないぞ」

「ああ、北村の言う通りだ。前例も居る事だしな。自分の人生だ、好きにしなさい」

「お父さん……!」

「それに、氷華と太一ちゃんにしかできない事で、やりたい事なんでしょう? だったら全力で挑戦してきなさい」

「きっと止めても無駄なんでしょう? あなたたちはそういう性格だからね。だったら、諦めてお母さんたちも二人の事を応援しているわ」

「母さん……」


 両親の理解ある激励の言葉に、太一と氷華は胸を熱くした。嬉しさが込み上げ、少し涙が流れそうになる。そこに、今まで黙っていたカイとソラが率直な感想を口にしていた。


「いいお父さんとお母さんだねっ」

「ああ」

「カイ、羨ましい?」


 その言葉に、カイは林檎のように顔を赤らめていた。ソラは普段通りという様子でにこにこと笑っている。しかし、いつもの太陽のような笑みではなく、無理矢理作ったような笑みだった。どこか寂しげな様子を見ながら、太一と氷華の両親は互いの顔を見合わせ、優しく微笑む。


「勿論……カイくんとソラちゃんだって、ここを自分の家だと思っていいのよ?」

「そうだ、娘と息子がもう一人ずつ増えたみたいで嬉しいぞ」

「「!」」


 そして、二人は言葉にならないような表情で、嬉しさを堪えるように震えていた。ソラに至っては、一花と凛華に泣きながら抱き付き、カイも顔を伏せながら押し黙っている。カイとソラの普段からは想像できない様子を見て「何か理由があるのかな」とゼンと本人たち以外の全員は静かに汲み取っていた。


「ん? どうしたの、ゼン?」

「親離れってこういうものなのかと思って。寂しいものだな」

「いや、親離れした相手先も親だからな」


 そして太一と氷華は改めて考える。父親たちとゼンが仲よさげに話し、母親たちは夕飯の用意をし始めていた。そんな様子を見てソラはパタパタと母親たちの手伝いに駆け、カイも負けじと皿を運び始める。


「何だか、本当に家族が増えたみたいだね」

「そうだな」


 太一と氷華も嬉しそうに笑いながら、夕飯の手伝いを始めた。


「ところでゼンさん、一つだけいいかな」

「はい。何でしょうか、祥夜さん」



 ◇



「ごちそうさまでした!」

「その――美味しかった、です」

「今日はありがとうございました」


 夕飯を食べ終え、夜も更けた頃――そろそろ自分たちの家に帰宅する流れになった。全員が玄関へと足を進めると、ソラは元気よく、カイは少し照れたように、ゼンは微笑みながら礼を述べる。


「三人共、泊まって行けばいいのに。本当にいいんですか?」

「水無月家なら一部屋空いてるぞ! 勝手に使ったら怒られそうだけど」

「いえ、今日は大丈夫です」

「また今度、お世話になります!」


 カイとソラはその言葉だけをありがたく受け取りながら遠慮すると、ゼンは「では私たちはこれで」と述べ、深々と頭を下げた。


「それじゃあ、また!」

「お邪魔しました」


 そのまま三人は幻のように――一瞬で、その場から消えてしまった。あまりの奇跡的な光景に、今までの事は夢ではないかと疑いたくなったが、一日の内で何度も驚かされていた太一と氷華は既にこの感覚に慣れつつあった。


「相変わらず現実離れしてるな」

「行っちゃったね」


 太一と氷華はゼンたちが消えた先をぼんやり見つめながら呟くと、続けて祥夜が「では、こちらも解散といくか」と切り出した。


「そうだな、水無月。また今度、ゼンさんも混ぜて飲もう」

「ああ、楽しみにしている」


 そうして祥夜と凛華も戻り始め、氷華も「お邪魔しました」と言いながら自分の家の玄関へ向かう。同じく自分の家の玄関の前に立つ太一に向かって、一言だけ声をかけた。


「じゃあ、また明日」

「おう、明日な」


 他にも「これから頑張ろう」「共に闘おう」等、それぞれ想う事は沢山あったのだが――直接口にする必要はない。太一と氷華の間には、視線だけで十分だった。


 ――俺は世界を救ってみせる。


 ――私は世界を護ってみせる。


 それぞれの想いと覚悟を抱えながら、それぞれの扉を閉めた。



 ◇



 ゼンとカイ、ソラの三人は、今まで自分たちが生活していた古城に戻っていた。


「これからはこの城へ戻る事も少なくなるだろう。あいつ等の近くに居た方がいいからな」

「じゃあ氷姉たちの家にお世話になるの?」


 ソラは楽しそうに問いかけ、ゼンは「そうなるかもな」と微笑みながら返答する。


「それに、あいつ等の修行を見なきゃいけないだろう。最低でも自分の身は護れるくらいに強くなってもらわなくては。並行して欠片の情報も探さなきゃいけないし……それに……これからやらなきゃいけない事が山積みだ」

「大変になるな。だけど、希望は見えてきた」


 カイの言葉を聞いて、ゼンは楽しそうにニヤニヤと笑っていた。それに悪乗りするようにソラもニヤニヤと笑いかける。


「な、何だよ!」

「そんな事言っちゃってー。本当は楽しみなんだろ?」

「だろー?」

「っ!」


 カイはぐしゃぐしゃと自分の頭を掻きながら面倒そうに声を荒げた。頬を赤面させ、観念し、珍しく素直に自分の意見を述べる。


「あー、楽しみだよ! あいつ等なら、何か世界を救えるような気がするからな!」

「そうだね! 太一と氷姉なら……きっと、大丈夫だよ!」


 珍しく素直なカイの言葉を聞きながら、ソラも嬉しそうに同意していた。ゼンも二人の言葉と態度に満足し、太一と氷華の事を思い出して笑う。


 自分の力を受け入れ、自分の事を受け入れた人間。自分なりに悩み、考え、答えを導いた。覚悟を決めた。そんな二人の眼差しは、本当に世界を救えるのではないかと思わせるような説得力を持つ、力強いものだった。

 彼等の瞳に魅せられたのは、カイたちだけではなく――寧ろ一番魅せられているのはゼンと指摘しても過言ではない。


「奇遇だな、私もそう思っていたところだ」


 そう答えると、ゼンは希望を抱きながら――煌々と星が輝く夜空を見上げた。


「さて、そろそろ行くか」

「え、今から任務?」

「ソラもう眠い時間だよ~」


 そしてゼンは背伸びをしながら「いや、今回は私だけでいい」とカイとソラを留める。ゼンは何故か遠い目で続けた。その瞳はまるで、今から戦場に赴く兵士のようだ。


「先程、祥夜さんから頼まれてな。海外でしか売っていない限定アイスが食べたいらしくて。ちょっと、行ってくるよ」



 ◇



 太一は自室の机の上に伏せながら、今日の出来事を振り返る。


「随分長かったな、今日は」


 今日の内に、現実離れした出来事を沢山体感してしまった。更にはその現実離れした力を自らも手にし、仲間を手に入れ――新たな人生を手に入れた。今日という日は北村太一にとって、確実に今後の人生を左右するであろう、一生に一度の日になった。


 ――救世主としての人生。もしかしたら一生ものになるのかもしれない。


「異世界で捜索って言っても、これから色々な闘いが待ち受けてるんだろうな……」


 ゼンが称する“あいつ”――ゼンとは対立的な、悪しき心の元神が居る限り、彼も神力石の欠片を狙ってくる筈だ。そうなると遅かれ早かれ戦闘になる事は必須。

 氷華の強さは太一も一目置いているものだったが、やはり男である自分が氷華を護らなければいけないと強く決意する。それ以前から、太一は氷華を護るべき人と認識してきた。


 ――本人は否定してるけど、氷華もいざという時の勝負強さは凄い。だからこれから先、きっと俺は氷華に助けられる。でも助けられるだけじゃ駄目だ。俺自身が氷華を助けてやれるくらい強くならなきゃ。


 太一はベッドの横に立てかけてあるものを見つめる。


「俺が強くなる為には、ゼンからもらったあの魔役って力を使うと同時に……また、これに頼らなきゃいけない」


 ――一度は畏怖し、手放してしまったこれに、俺は再び向き合えるのか? もう一度、これを握れるか?


 そして、太一は悩みを振り切るように手を伸ばした。


「って、うだうだ悩んでても始まらないよな……もう考えるのは止めだ。ちゃんと向き合う。しっかり握って、もう離さない」


 太一の目は、いつにも増して真剣なものになる。


「強くなる。世界を救えるくらいに!」



 ◇



 時刻は二三時五五分。氷華は自室のベッドにばたりと倒れこんだ。


「本当に、いろんな事があった。長い、長い、一日だった」


 氷華たちの日常は、ゼンによって非日常的に豹変してしまい、氷華は魔術という特殊な能力まで手に入れた。ゼン曰く、この力は一歩間違うと自らを危険に晒す力らしい。それを聞いて、氷華は自分が手にしたこの力が少しだけ怖くなった。


 ――これからは闘わなくちゃいけない時がくる。それだけでも、怖い。だけど……この世界が、大切な皆が壊されてしまうのは、もっと怖いから。


「だったら私の日常くらい壊れても構わない。この力ともちゃんと向き合って、大切なものを護る……何があっても、絶対に」


 ――そうと決まれば!


 氷華は一冊の本を取り出す。先程ゼンから譲り受けたもので、“ゼンの魔術の全て”が記載されている。その本には何かの暗号のような文字が記されて、これは普通の人間では読めないものらしいが――魔術を発動できるようになったからか、氷華には何となく解読可能だった。


「魔術大事典。もっとこの力の事を知らなきゃ。そして……もっと強くなるんだ。世界を護れるくらいに!」


 氷華がページを捲り始めた時、時計の針は零時を指す。



 この日を境に、太一と氷華の日常は終わりを遂げた。

 そして、救世主としての日常が始まる。



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