第7話 日常崩壊①


 昇降口にて、履き換えた靴の踵をトントンと鳴らしながら、氷華はぼそっと呟いた。時刻は昼時、そろそろ腹の虫が活動する時間帯だ。


「あー、お腹空いた。太一、今日お父さんもお母さんも仕事だから帰ってくるの夜なんだ」

「奇遇だな。俺の家も今日は出払ってる」

「「…………」」


 太一と氷華は黙って互いに見つめ合う。長年一緒に居た間柄、いちいち確認を取る必要はなかった。


「「最初はグー!」」

「やあ、二人共。考えは纏めてくれたか?」

「あ、ゼン」

「ふふふ、太一くん。今回は私の勝ちのようだね」

「あーッ!?」


 昼食をどちらが作るかを賭けてじゃんけんで勝負をしようとした瞬間だったのだが――間に割って入ってきたゼンに太一は反応してしまい、そのままグーの態勢を維持し続けてしまった。それを氷華が見逃す筈もなく、キラリと目を光らせながら容赦なくパーを出す。


「畜生……!」

「私、オムライスが食べたいなぁ」

「カレー以外の材料って家にあったかな……」

「あの……おーい」


 話に付いていけない、というか忘れ去られたゼンは右手を上げながら苦笑いを浮かべていた。そんなゼンを見て、太一と氷華は悪戯を成功させた子供のような、無邪気な笑みを浮かべる。


「さっきの私たちの話も聞いてたんじゃないの?」

「どうせ、俺たちの考えなんて言葉にしなくてもわかってんだろ?」


 その挑発染みた言葉に、ゼンはきょとんとした顔を見せ――続けてニヤリと口を歪ませた。


「少しの間に随分と言うようになったな、お前たち」



 ◇



「って訳で……何でお前たちまで居るんだ?」


 場所は変わって太一の自宅、北村家。氷華は昼食の為に北村家に押し入り、太一が作ったオムライスを至極幸せそうに頬張っている。向かいに座る太一もオムライスを食べる傍ら、終始呆れた顔をしていた。その原因は、三人の来客の存在である。


「凄いな、太一が作ったとは思えない程の美味しさだ!」

「失礼だな、おい」


 ゼンが優雅にスプーンを口に運んで感嘆していた。端整な容姿もあってか、どこか絵になる風景である。太一と氷華にちゃっかり付いてきたゼンは、当然の如く氷華の隣に座って同じようにオムライス強要した。

 それだけならまだよかった。


「マジで美味いな……お前本当に男かよ?」

「おかわりってあるのかな? あるのかなー?」


 太一の左側からは動揺したような声、右側からは楽しげな声が響く。声の正体は、太一の両側に座るカイとソラから発せられるものだ。


「うるさい、今時のできる男は料理の一つや二つ余裕なんだっての。そしてもうおかわりはない」

「ちぇ、ざーんねん。カイ、カイ! できる男は料理余裕なんだって!」

「悪かったな、できない男で」


 きゃっきゃっとソラが笑い、カイが不機嫌に顔をしかめる。我が子を見護るような表情でゼンは彼等を見つめ、周りを気にしない氷華は相変わらずオムライスに夢中だった。

 太一はそんな光景を呆れたように見つつ、しかし内心では少し楽しそうに食器を片付け始める。


 ――まぁ、たまにはこんなのもいいかな。


 この時、これから先――たまに程度では済まなくなることを太一はまだ予想もしていない。



「さて、そろそろ本題に移ろうか」


 ずずっという効果音付きで緑茶を啜りながらゼンは目を細めた。しかし、対しての太一は冷静なツッコミで切り返す。


「いや、お茶啜りながらのほほんとした顔で言われても、いまいち締まらない」

「ほんとだ、言葉と顔が合ってないね。あ、茶柱立ってる」


 にこにこと相槌を打ちながら緑茶を冷ましている氷華を横目に、ゼンはコホンと咳払いをした。再び場の空気がしんと鎮まり返る。


「太一、氷華……本当にいいんだな?」

「ああ。俺、世界が壊れていくのを黙って見てるだけなんて絶対に嫌だから。この世界に生きる人間代表として全力で足掻いてやるさ」

「闘う事より、大切なものが壊されちゃう方が怖いから。大切なものを護りたい。私にできる事があるなら、私にしかできない事なら、自分なりに頑張ってみるよ」


 そして、太一と氷華は声を揃えて宣言した。何事にも動じないような、強い眼差しで。


「「だからさ……目指してみるよ、救世主」」


 するとカイはふっと笑いながら目を閉じ、ソラは期待しながら目をキラキラと輝かせた。ゼンも微笑みながら、嬉しそうに語り出す。


「それだけ聞ければ十分だ。感謝するよ、二人共」

「まあ、大船に乗ったつもりでどーんと任せとけって!」

「わかった、任せるね太一!」

「いや、お前も操縦側だからな」


 相変わらずの会話を続ける太一と氷華に、ゼンは思わず笑みを零した。だが、そんな表情も既に太一と氷華の視界には入っていない様子で――ゼンは内心で「神を無視するとは、上等じゃないか」と楽しそうに笑う。


 ――先は思いやられそうだが……今はこの二人に懸けるしかない。


 だがゼンはこの時から既に「この二人ならきっとできる」という根拠のない確信が生まれていた。元神である自分でも何故かはわからないが、心の内で生まれる安心感に口元を緩める。


「これからよろしくねっ! 太一、氷姉!」

「氷姉?」


 氷華はソラからの呼称に少しだけ戸惑いの色を浮かべていた。一方のソラは楽しそうに笑いかけて「そ、氷華姉だから、短くして氷姉! で、太一は太一!」と述べる。


「何で俺は呼び捨てなんだ?」

「だって太一は太一兄って感じしないから! ちなみにカイもゼンも、お兄ちゃんにはあと一歩って感じ」

「何だよ、その変な理由」

「まぁ、別に呼び方なんて気にしないけど」


 太一はそう呟きながら、優しくソラに微笑みかける氷華を眺めていた。心の底から安心しているような、穏やかなこの微笑み方を、太一は幾度となく見てきた。最近は見る回数が少なくなった、懐かしい微笑みだった。


「何だか妹ができたみたいでちょっと嬉しい。よろしくね、ソラ」


 一方、沈黙を貫いてるカイを見て、太一は「お前は何かないの?」と茶化すように笑いかける。


「まぁ――これからは仲間としてよろしくな。救世主」

「北村太一だって」

「よろしくな……北村」

「太一だって、太一」

「わ……わかったよ、太一」


 カイはぽりぽりと頬を掻きながら、照れたようにそっぽを向いていた。彼は内心で、ゼンとソラ以外の友好関係を築けた事に激しく喜んでいたのだが、それを他人に悟られないようにするのに必死だった。なんとなく彼の心境を察した太一は馬鹿にしたようにニヤニヤ笑っていると、カイは「何気色悪い笑顔してんだよ!」と慌てふためく。


「太一だけじゃなくて私もよろしくね。カイも私の事、氷姉って呼んでもいいよ」

「誰が、呼ぶか! ……よろしくな、水無づ」

「氷華。氷華だよ」

「あーっ……よろしくな、氷華!」

「よくできました!」

「……てめっ」


 ゼンは我が子の成長を観察するかのように、幸せな気分でただただ彼等を見守っていた。


 ――まるで自分の子を見守る親のような心境だ。カイにソラ、それに太一と氷華。


 この出会いをきっかけに、後の世界を大きく揺るがす事を彼等はまだ知らない。



 ◇



 改まった自己紹介のような会話が終わり、太一はふと気になっていた疑問を口にした。


「そういえば気になっていたんだが……何でゼンは分裂したんだ?」


 その言葉にビクッと肩を震わせて反応していたのは、紛れもなくゼン自身だった。神の力を有している、神の片割れとは思えない程に――まるで悪戯がばれた子供のように、激しく動揺している。


「確かに……私も気になる」

「えっと、それは……絶対言わなきゃ駄目?」

「駄目。そこまで言われると、気になる」


 コホンと咳払いして、何とも言いにくそうな表情を浮かべるゼン。その目は餌を発見した魚のように、目まぐるしく泳ぎまくっている。その挙動不審ぶりから、太一と氷華は怪しいものを見るように、じーっと彼の瞳を観察していた。

 数分後、遂に観念したゼンは重い口をゆっくりと開く。


「た、大変言いにくいのだが」

「教えてくれなきゃ、協力する気ちょっと消えちゃうかも」

「……後悔しないな?」

「しつこいな。観念してさっさと教えちゃえよ」

「実は、その。アレだ」


 そして、ようやく――ゼンは、その驚くべき理由を述べ始めた。


「雷が……直撃、しちゃって……」

「はい?」

「え?」


 耳を疑いたくなるような理由に、太一と氷華は目を点にしていた。現実から目を背けるかの如く、ゼンに再度同じ内容を尋ね返す。同じ回答を聞く度、太一と氷華は石のように身を固めるだけだった。黙って話を聞いていたカイも顔に手を押さえ呆れ果て、ソラは相変わらず状況がわかっているのかわかっていないのか判断し難い笑みを浮かべている。


「雷がね、うん。しょうがない、自然災害は防ぎようがないからな」

「「…………」」


 そして、太一と氷華はゼンに対して清々しい笑みだけを向け、黙ってその場を離れようと立ち上がった。そんな二人の肩を掴みながらゼンは必死で泣き付く。神だったとは思えないような必死すぎる行動だ。カイはもう駄目だと言わんばかりのオーラを放ち、ソラも珍しく苦笑いを浮かべている。


「「この世界、終わったな……」」

「ちょ、どこいくの!? 行くな、いや、行かないでください! 太一くん氷華ちゃん!」


 ――こんなのが上司なんて……我ながら情けない。


 カイは溜息を吐きながら重い口を開き、自分の上司であるゼンと共に必死に弁解に励んだ。



 その後、ゼンは「弱っていた時の雷の直撃で、力の制御ができなくなり神力石が砕け散った。そのタイミングであいつが分離した」と弁解する。あまり納得がいかないような表情を見せつつも、太一と氷華は黙ってゼンの話に耳を傾けた。


「あいつよりも先に神力石の欠片を集めて石を完成させ、私があいつを倒す。神力石は神の力の根源だ、それを保持していた方が主導で完全体に戻る筈だからな。逆にあいつが全ての欠片を集め、私を取り込んで完全体になってしまった時は――世界の終わりだろう」

「何となく事情はわかったけど」


 ――何かが引っかかる。何だろう、喉に小骨が刺さって取れない感じ。


 難しい顔をしている氷華の横で、太一は「つまり俺たちは神力石の欠片って奴を集めればいいのか……宝探しみたいだな」と率直な感想を述べる。


「どこにあるとかはわかっているのか?」


 太一の問いかけに、ゼンは「うーん」と唸りながら腕を組む。どうやら詳細な情報は彼自身も不明なのだろう。


「具体的にどこにあるかの情報は掴めていないが」


 次に、ゼンは太一と氷華を固まらせるには十分な発言をした。


「この世界ではない、異世界に飛んでしまったという事は確かだな」


「「い、異世界ぃ!?」」



 ◇



「い、異世界って冗談だろ?」

「そんなのって……」


 ばんっとテーブルに両手を付きながら、太一と氷華は激しく抗議した。勢いよく立ち上がったせいで椅子がガタリと倒れてしまうが、今はゼンの発言しか頭にはないようだ。


「異世界。言葉の通り、この世界とは別の世界だ」

「そ、そんなのに行く方法なんてあるの……?」

「ある。ちゃんと行けるぞ。運がよければ、この世界から見える世界もあるぞ。異世界は何個かあるんだが、中には気難しい爺さんの世界もあってな……そこにだけは飛び散っていなければいいんだが……」


 氷華は「神様が言うんだから異世界にも行けちゃうんだろうけど……」と不貞腐れながら腰を下ろす。しかし、彼女の頭の中では大きな気がかりだけが残されていた。


 氷華はゼンに協力する事に対して“闘い”をイメージしていた。襲ってくる敵を倒すという、日曜の朝に放送しているヒーローのようなもの。それが“神力石の欠片の捜索”になり、“闘い”の回数は減りそうで内心はほっとしていた。しかし敵対勢力が居る限り“闘い”になる事も必須だろうと覚悟はしていたのだが。その捜索の範囲が彼女の予想を超越する程――尋常ではなかった。世界単位での捜索だろうとは考えもしていなかったのだ。


 ――そうなると、これから……。


 氷華の考えていた事を、太一が代弁するように口を開く。


「学校とかはどうなる?」

「その件に関しては既に手を打ってあるぞ」


 ゼンはそのままカイとソラに向かって、何かを合図するように笑いかける。すると二人は黙って頷き、頭上に手を掲げた。瞬間、彼等の身体が眩い光を纏い――。


「なっ!?」


 太一と氷華の目の前には、“太一と氷華”が居た。鏡に映し出されたような自分たちの姿を前にして、驚きを隠せない。


「私がカイとソラに変身能力を託した。任務中、二人には太一と氷華の替え玉になってもらう」

「ず、随分ハイクオリティだな」

「これならバレないだろうけど……」


 太一と氷華は目の前の自分たち――基、カイとソラに興味深々で目を輝かせていた。


 ――まぁ、中身はカイとソラのままだから、少し心配だが……特にソラは。


「異世界、かぁ。どれくらい時間かかるんだろう。別の世界に行っちゃうんでしょ? 戻ってきたら何年も経ってて浦島太郎状態だったらどうしよう」

「親にバレないで済むかな……」

「いや、親御さんにはバレるだろうな。自分の子供たちだ、偽物ならすぐにわかるだろう」


 そうして、ゼンはニヤリと笑いながら続ける。見るからに何かを企んでいるような表情だった。


「お前たちの親御さんには、きちんと説明するつもりだぞ?」



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