番外編1 続・ゼンの挨拶


「ところでゼンさん、一つだけいいかな」

「はい。何でしょうか、祥夜さん」


 祥夜に呼び出されたゼンは、彼に案内されるがまま、静かにリビングから離れる。隣の部屋の扉に手をかけた祥夜は、少し深刻そうな面持ちで「実は――」と口を開いた。同時に、開かれた扉の先で奇妙な光景を見る。そこは、部屋の中心にピアノだけが置かれている奇妙な部屋だった。


「ゼンさんは家族全員出席して欲しいと言ったが……実は、水無月家にはもう一人家族が居る」

「では、その人は今……」


 言い出し辛そうに目を逸らす祥夜を見て、ゼンは咄嗟に「まさか、故人?」と疑う。無礼を承知で祥夜の心境を探ってみると、彼の頭の中には一人の青年の姿が浮かび上がった。悲哀の感情は感じられなかったので、故人という訳ではないだろうと結論付ける。


「現在は国外に居る。氷華の兄だ」

「一応、全員に許可を取りたいので……では、明日の朝一を狙って会いに行きます」

「いや、それはやめた方がいい」

「?」


 その複雑そうな表情を見て、ゼンは読心術を使わなくても、何となく“嫌な予感”を察する事ができてしまった。


「三つ。アドバイスをしてあげよう」


 部屋の中心で、堂々と存在感を放つピアノを見て――どこか遠くを見つめるような瞳で祥夜は助言する。


 一つ、寝起きは避けるべき。

 二つ、先程のような挨拶だけは絶対に避けるべき。

 三つ、氷華同様にアイスが有効。特に黒蜜きなこ味。


 そして祥夜は、意を決したように、至極真面目な表情でゼンに告げた。


「つまり、ちょっとシスコン気味のお兄ちゃんです」



 ◇



 祥夜の助言を聞いたゼンは、急遽その日の内に氷華の兄の元へ向かう事にした。ソラ以上の規模の瞬間移動を行い、ゼンは瞬く間に海を越える。物陰に隠れながら地上に降り立ち、石畳の道を自然に歩き出した。


「こちらは昼をすぎたところか……まあ、流石に寝起きではないだろう」


 氷華の兄が暮らしている住所が書かれたメモを片手に、ゼンは一歩ずつ階段を上る。こほんと咳払いをした後、ゼンは緊張した面持ちでインターホンを鳴らした。


 ――――ピンポーン


 しかし、扉が開く気配はない。留守かと思ったが、扉の向こうに人間の気配を感じ取ったゼンは「居留守だな」と確信した。というより、気配を感じ取る以前に――普通にガタリと生活音が聞こえる。ゼンは氷華の兄にどうにか接触する為、最度インターホンを押した。


 ――――ピンポーン


「宅配便です!」


 声を張り上げて主張すると、小さくだが、初めて氷華の兄が声を発する。


「頼んだ覚えはない。差出人は?」


 冷たい印象を与える声だったが、それは相手に警戒心を抱いていたからだろう。祥夜から、彼は職業柄、自宅の住所はマネージャーと家族以外に明かさないと聞いている。よって、彼が暮らしているこの場所には、宅配便が届くとすれば家族以外にはありえない。その事を知っていたゼンは、静かに「……水無月、氷華さんからです」と答える。

 すると、すぐに扉は開いた。


 どこか氷華に似ている、整った顔立ちの青年は、ゼンを怪しむように琥珀色の瞳を細める。不機嫌そうな表情を浮かべ、静かに「お前、宅配便の奴じゃないな」と呟いた。金色の髪の中、氷華とは逆向きに一本の逆毛が揺れる。


「って事は……まあ、恐らく父さん辺りから住所訊き出したんだろうけど。俺、仕事のスケジュールは自分で把握してないから。仕事ならマネージャーに話通して」

「仕事じゃない。君に話したい事があるんだ。水無月凍夜くん」

「俺は話したくない。それじゃ」


 そう言って容赦なく扉を閉めようとする氷華の兄――水無月凍夜(ミナヅキトウヤ)に対し、ゼンは慌てて「ちょ、待て! 待ちなさい!」と叫び、扉を無理矢理こじ開けた。


「単刀直入に言う! 私は神だ! いや、正確には“だった”だけどッ!」

「何だこいつ。不審者?」

「あいたたた、閉めないで! 腕挟みそう! 本題は君の幼馴染と妹の力を借りたいという内容だ! というか、君以外の家族たちには承諾を得ているッ!」


 ゼンの言葉を聞いて、一瞬だけ目が丸くなる。しかしそれは一瞬の出来事で、凍夜はすぐに警戒心を取り戻すように琥珀色の瞳を細めていた。不服そうな表情で、彼は腕の力を弱める。


「太一くんは別にどうでもいいけど、氷華は別だ」




 どうにか自室へ招かれたゼンは、部屋の殺風景さに呆然としていた。水無月家で見たように、部屋の中心にピアノが置かれているが、水無月家の時とは違って近くにソファも置かれている。部屋の構造はワンルーム、よってこのソファで寝ているのだろうと察した。生活感が感じられない部屋で、ゼンは「随分と……殺風景だな」と言葉を漏らすと、凍夜はどうでもいいような表情で「どうせ公演の前後はホテル泊まりだし、ここにはあまり帰らない」と続ける。


「祥夜さんから話を聞いた通りだな。若き天才ピアニスト――水無月凍夜くん」


 ゼンはソファに腰を下ろし、手土産のカップアイスを凍夜に差し出した。急いで見繕った品なので、コンビニでの購入になったが――。


「突然の来訪だったからな」

「…………」

「せめてもの手土産にと思って。口に合えばいいんだが」

「……ま、話くらいは聞いてやるか」


 高級アイスで有名なメーカーの、黒蜜きなこ味のアイス。逆毛をぴょこんと立たせながらアイスを手に取る凍夜を見て、ゼンは「祥夜さんの助言通りだったらしい」と思いながら、ほっと胸を撫で下ろした。



 ゼンから一通りの事情を聞き、ピアノ用の椅子に座りながらアイスを三つ食べ終えた凍夜は、溜息混じりで「せっかく俺が危険から遠ざけたってのに……よくもあの二人を物騒な事に巻き込んでくれたな」とぼやいた。

 今のゼンは神の力を半分有している、不完全体。よって、時間の操作――過去を覗く事は難しい。できない事はないが、かなりの魔力を要する為、安易には行えない。


「私は二人の過去は知らない。だが、二人も生きるこの世界の未来には、危機が迫っている」

「その為には二人に協力してもらいたい、と」


 そして凍夜は懐に手を入れ――。


 ――――カチャリ


 隠し持っていた拳銃をゼンに向けた。護衛用に常備しているガス式のエアピストルだが、当たったら動けなくなる程の激痛を伴うよう、多少改造されている。しかしゼンは全く動じず「それで凍夜くんの気が済むのなら、撃ちたければ撃て。それに――かなり痛いだろうが、殺傷能力はないだろう」と対応した。ゼンの真剣な瞳と、凍夜の氷のように冷たい瞳がぶつかり合う。


 暫くして凍夜は静かに銃口を下ろし、「わかった。氷華と――ついでに太一くんの事、俺も“条件付きで”認めてやる」と呟いた。顔を伏せ、少し寂しそうに「氷華が決めた事なら、俺は口出しできない。たぶん俺が何を言っても、もう遅い。一度決めた事にはまっすぐだから」と続ける。


「だから、氷華が決意したなら、俺は氷華を否定しない。だが……お前が氷華に“そう決意させた”なら、俺は一生お前を軽蔑する。その事は忘れるな」

「……肝に銘じておこう」


 少し間を置いた後、ゼンは「それで、条件は?」と問いかけ、凍夜は「三つ。条件を出す」と手袋に包まれた指を三本立てた。その言葉を聞き、ゼンの中で凍夜と祥夜の面影が重なる。


「一つ、俺の事を“くん付け”しない事。気分が悪い」

「ふふっ……わかったよ」

「二つ、太一くんと氷華の活動を定期的に俺に報告する事」

「ああ」

「そして、三つ目が――」



 ◇



 凍夜への挨拶を終えたゼンは、拠点である古城に戻ってひとり空を見上げた。徐々に明るくなっているので、そろそろ夜明けという頃だろう。


「水無月凍夜、か。“ちょっと”どころか“かなり”のシスコン気味だったが……」


 実際に接触してみて、氷のような冷静さと、奥底に眠っているであろう魔力の膨大さに驚かされた。彼もまた、いずれ“こちらの世界”に足を踏み入れる事になるという確信も生まれる。


「神にも臆さないというよりも、彼は――危うい程に物事を割り切っているな」


 凍夜がゼンに持ちかけた三つ目の恐ろしい条件を思い出しながら、ゼンは黙って瞳を閉じた。


 ――光を宿す者の元に集まった……不可解な程に魔力の才を持つ、水無月兄妹……か。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る