第9話 才能の片鱗


「氷華、今日は部活? それともどこか寄ってく?」

「ごめん、今日も用事があるの」

「そうなの? 何だか最近氷華ちゃん忙しいね」

「やらなきゃいけない事があって……ごめんね、この埋め合わせはその内するから」


 ――修行とか言えない。言えない。


 太一と氷華の非日常的な生活が始まって数日。彼等は自主的に修行を始めていた。自分の能力と向き合う為、強くなる為――世界を救い、護る為。また、二人は修行について一切干渉していない。任務の時までは互いに修行に集中する事になり、それぞれ個別に修行に励んでいた。


「今日はこの辺にしようかな」


 氷華が通う学校の逆方向に存在する陸見山。その川岸付近で氷華はスクールバックを置き、自身も石の上に腰を下ろす。川のせせらぎだけが木霊する中、氷華は熱心に何かを読み始めた。

 氷華の修行はというと、ゼンからもらった魔術大事典を眺め、ひたすら実践してみる事だ。


「えーっと……確かあの時はゼンに「はっきりと、魂を込めろ」って言われたっけ。うーん、魂を込めるってどうやるんだろう。感情を込めながら言えばいいかな?」


 魔術大事典を置き、氷華は静かに立ち上がった。足を肩幅に開き、手を胸の前で身構える。


 自分はアクション映画を演じる役者になったと思い込み、すっと瞳を閉じた。先導する太一と仲間達は激しい闘いを繰り広げている。魔女のようなローブに身を包んだ自分は、彼等の一歩後ろで杖を構えた。魔力に呼応するように、自分の周囲には氷の礫が発生し、そして――。


「『ジーヴル』!」


 想像の中の氷華が杖を振るうのと同じように、現実の氷華は両手を前へ突き出した。


 ――なーんて、それっぽく言ってはみたものの、こんな簡単にできる訳……。


 氷華は特に期待しないでうっすらと目を開けた。しかし予想とは反した光景が一瞬だけ見えてしまい、自分自身で驚きを隠せない。


「あれ……できてる?」


 先程までせせらぎを奏でていた音は一切止み、その川はまるで時が止まってしまったように完全に凍っていた。この所業を自分がやったとは未だ信じ切れず、氷華は目をぱちぱちと動かしながら唖然としている。


「もう自力で発現できるとは……期待以上だぞ、氷華」

「ゼン」


 相変わらず突拍子もなく現れるゼンに、プライベートなんてあったものじゃないと呆れつつ――もう慣れてしまった氷華は顔色を変えずに首だけを声の方向へ動かした。ゼンは満足気に頷きながら、氷華が作り出した氷河を興味深そうに観察している。


「川をここまで凍らせる。威力も技術も申し分ない」

「あ、ありがとう……?」


 にっこりと笑いながら、ゼンは氷華の頭をわしゃわしゃと撫でて感想を述べた。褒められた事の嬉しさと頭を撫でられている事の恥ずかしさで、氷華は少し照れたように頬を染める。


「流石、私が選んだだけある。こちらとしても鼻が高いよ」

「私なんてまだまだ。でもゼンの期待に応えられるように頑張るから」

「頼もしい」

「強くなるんだ。だから、もっと……闘う為の魔術を修行しなきゃ」


 その言葉に、ゼンはうーんと唸りながら自分の顎に手を添えた。徐に考え込んだ後、妙案を閃いたようにゼンはパンッと両手を叩く。


「やはり氷華の方が適任だな。よし、氷華。今から私が特別授業をしてやろう」

「?」


 混乱する氷華には目もくれず、いつの間にか眼鏡をかけたゼンは、いつの間にか用意したホワイトボードに「とりあえず原理から」と言ってサラサラと文字を書き始める。


「氷華に与えた能力、魔術は現象を操り……一方の太一に与えた能力、魔役は物質を操ると言ったが……」

「その時にもちょっと思ったけど、現象とか物質って範囲広いよね」

「その通り。よって本気で極めれば無限の可能性を秘めている。そして、どちらかと言えば魔術の方が危険度は高い」


 ホワイトボードに“魔術は現象を利用しての破壊、魔役は物質を利用しての創造”と書いたゼンは眼鏡を光らせながら説明する。


 魔術とは様々な現象を操る。魔術大事典には主に自然に干渉して操る術、そして時空に干渉して操る術も少しばかり記載されていた。その事を思い出しながら、氷華は「あの辞典に載ってたのは、自然現象が多かったよね」と呟くと、ゼンは「氷華……」と発言に驚いているかの如く目を丸くさせる。


「え、私何か変な事言った?」

「あの事典をどこまで読んだ? いや、どこまで読めた?」

「一通りは眺めたよ。授業中も隠れて読んでたから。でも何となく読めるかもって感じかな。理解するにはもうちょっと時間かかりそう。あれって何語なの?」


 平然と答える氷華を見ながら、ゼンは内心で氷華の事を本当に只の人間かと疑った。魔術大事典には、日本語でも英語でもない特殊な文字で呪文が記載されている。太古の黒魔術等に使用されていた文字なので、研究の一環で勉強している者にはかろうじて読む事はできるだろう。

 それなのに氷華は、ゼンから得た魔術の能力に少し触れただけで、その才能を爆発させつつある。


 ――これも天賦の才、だろうか。


 ゼンは少し間を置いた後に「氷華、これから私は本気でお前に魔術の全てを叩きこもうと思う」と決意したように口を開いた。ゼンにしては珍しく真剣な瞳をぶつけられ、氷華は緊張した面持ちで頷く。


「だが、最初にこれだけは言っておく。闘いに囚われるな。お前が本当にしたい事は何だ? 闘う事か?」

「!」


 その言葉を聞いて、氷華は後頭部を思い切り殴られた感覚に陥った。真っ白な頭の中で、ゼンの言葉だけが鳴り響く。脳内で必死に「違う」と否定し、氷華は怯えるように「私は」と続けた。


「闘う為、じゃない。違う。私は護る為に、この力を使いたい」


 そして氷華は凛とした、まっすぐな瞳で堂々と答えた。


「私は、大切なものを護りたい」


 刹那、氷華の長い髪がふわりと逆立ち始める。氷華の足元には魔力が渦巻き、うっすらと光り輝いていた。氷華の中に眠る魔力が氷華の言葉と共に疼き、溢れ、大地に放出されている。その光景を見てゼンは「素晴らしい」と驚きつつも歓喜の笑みを浮かべている。

 正直、ゼンが抱く太一と氷華に対しての期待度は、太一の方が勝っていた。氷華に期待していない訳ではないのだが、どうしても氷華には“不可解な事”が一点だけあった上――太一の身体能力に目が行ってしまいがちだった。


 しかし、今はどうだろう。少し魔術の基礎に触れただけで、氷華は凄まじい才能の片鱗を見せている。先程から神の片割れであるゼンは、人間の氷華に驚かされてばかりだ。

 氷華の才能が開花した時、彼女はどれ程の魔術師に変貌するのだろうか? そんな期待を抱きながら、ゼンは「魔術は破壊の力。だが氷華ならば、きっと、破壊に囚われずに正しい使い方をできるだろう」と小さな声で呟き、彼女を信じるように瞳を閉じる。


「私の修行は厳しいぞ。付いてこれるか?」

「勿論!」


 どこまでもまっすぐな氷華に微笑みながら、ゼンは確信していた。


 ――水無月氷華は、将来とんでもない魔術師に進化する。



 ◇



 太一は陸見町内にある陸橋下の河原に立っていた。いつものスクールバックと共に、あるものを携えて。


「…………」


 ぎゅっと力強くそれを握ると、太一はすぅっと息を吐く。空を切るように何かの模様を素早く描き始めると、小さな風の渦が発生した。


 ――わかった事、その一。陣は何で描いても発動するらしい。


 太一はすっとしゃがみ込み、スクールバックの中から紙とペンを取り出す。ゼンに指示された時に頭の中に浮かんだ陣をさらさらと描き、それを太一の握っているものに貼り付けた。華麗にそれを振るいながら、太一は心の中で鋭い風を思い浮かべる。

 すると、それを振り下ろした瞬間にカマイタチが発生し、陸橋の壁をバキバキと傷付けた。スプレーで色鮮やかに落書きされていたコンクリートは無残な傷跡を残す。


 ――わかった事、その二。組み合わせ次第では、俺の武器に最適。


 太一は満足気に笑うと静かに腕を下ろす。


「……わかった事、その三。俺はやっぱり、剣道(これ)に頼るしかない」


 その時、太一は背後から何かの気配を感じた。勢いよく向けられた殺気にも似た気配に、太一は瞬時に竹刀を構える。勢いよく突かれた竹刀は、相手の身体に触れる寸前でピタリと止まっていた。


「……カイ」

「へえ、なかなかの反応じゃん」


 カイの登場に、太一は構えていた竹刀を下ろすと、カイも太一から一歩距離を置く。無残な姿となっているコンクリートの石壁を見ながら、カイは「修行の成果を見にきてみれば――もう護身程度は大丈夫だな」と感心しながら述べた。


「剣は昔に“ちょっと”。こっちは、まぁ……ぼちぼち練習中」


 ――あの反応、明らかに“ちょっと”ってレベルじゃねーよ。


 内心ツッコミを入れながらカイは太一の竹刀をまじまじと見つめた。今度は自然な風が起こった事で、竹刀に付いていた紙がぺらりと剥がれ飛ぶ。飛んでしまった紙を見上げ、カイは「竹刀に陣を描いてたって訳か。いいアイデアじゃないか」と呟いた。


「まーな。全部思いつきの産物だけどさ。ゼンから……何だっけ。麻薬?」

「魔役。その間違いだけはやめとけ」

「そう、魔役。その力をもらったけど、やっぱ俺、小難しいのって苦手だから。竹刀で闘うのをベースにして、魔役を応用って形にするのが一番かなって思って」


 太一は昔の感覚を取り戻すように型を構えつつ説明すると、カイは少しだけ声のトーンを落としながら「だけど」と目を細める。


「さっきの一撃、実戦ではその甘さが命取りになる。俺だからよかったものの、実戦では情け不要だぜ」

「情け……」


 その言葉を繰り返し、太一は何か思い詰める様子で竹刀だけをじっと見つめていた。いつもと少し違う雰囲気の太一を眺めながら、カイは溜息混じりで「お前、何かあったんだろ」と続ける。水のように澄んだ瞳で、太一を見透かすように指摘した。


「顔に出てるぜ。情けをかけないとか、お前鬼かよ……みたいな」

「…………」

「こっちの世界で生きている先輩として、これだけは助言しておくぜ。これから起こる闘いでは情けを捨てろ。非情な鬼になれ。生き残りたかったらな」


 カイの言葉に太一は「ははっ、心しておくよ。センパイ」と辛そうな笑顔を見せた後、反撃の意味を込めてニヤリと笑いながら挑発した。


「だけど俺からも言わせてもらうけど。お前も過去に何かあったんだろ? 顔に出てるぜ。本当は俺だって普通に生きたかったけどな、みたいな感じ」

「……言うじゃん、太一」


 太一とカイは向かい合い、暫く沈黙が続く。一陣の風が吹いた時、緊張感も切れたように二人はふっと吹き出した。その場に座り込み、盛大に声を上げて笑い出す。


「ははは! もしかして俺たちって似てるのかもな! 何でだろう、カイと話してるとどこか懐かしい感覚になる」

「そうだな、お前とならいい友達って奴になれそうだ」


 すると太一はきょとんとした表情を見せ、何を言っているのか理解できないように首を傾げた。


「何言ってんだ? もう友達だろ、俺たち」

「!」


 次は、カイが太一の言葉に目を見開かせる番だった。少しだけ照れた様子で、だけど嬉しさが隠し切れていないような表情を見せている。しかしそれを見せたのは一瞬だけで、次の瞬間にカイはいつもの冷静な表情に戻った。


 ――ありがとな、太一。


 内心でそんな感謝の意を思いながら。


「さーて、太一。友達らしく、俺が直々に修行に付き合ってやるよ。疑似戦闘って奴だ」

「随分物騒な友達だな……いいぜ、やってやる!」

「だが」


 カイは太一の言葉を遮った。すっと立ち上がり、腕を組みながら太一を見下ろす。


「俺の修行は甘くないぜ? 全力で行くから、死ぬなよ?」


 ニヤリと悪戯っぽく笑うカイの背には、河川の水が轟々と音を立てながら渦巻いていた。

 只の河川ではありえない筈の水の動きに唖然とするが、太一はすぐにぶんぶんと首を振る。カイが言っていた“こっちの世界”では、これくらい日常茶飯事なのだろう。いちいち驚いてしまっては、いざ戦闘になった時に隙が生まれるかもしれない。


 ――ありえないと思っていた事が、普通にありえる世界。ここから先の世界は、常識なんて、通用しない。


 太一はしっかりと竹刀を握り直して心を落ち着けると、負けじと笑いながらカイに応えた。


「上等! 大雨でも渦潮でも、どんとこい!」


 そして、水飛沫が上がる。


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