第10話 始動 善の場合
ゼンたちとの出会いから、数週間経ったある日の夜。
太一と氷華は密かに夜の学校へ潜入しようとしていた。校門の前に佇み、普段の日常をしみじみと思い浮かべる。
「いつもこの校門を飛び越えたね」
「あぁ、高跳びにも出場できるんじゃないかって我ながら思ってた」
太一はどさっとスクールバックを投げ入れ、自分も同じように校門を飛び越えた。氷華も隣で「よいしょっ」と呟きながら軽々しく校門を飛び越えている。今日は物音を立てず、なるべく静かに――まるで泥棒にでもなった気分で歩いていた。決して誰にも見つからないよう、真っ暗な校内を慎重に歩く。
「この教室にも暫く行けなくなるのかな?」
「そうだな、これから闘いが始まる」
自分たちが普段使っている教室をぼんやり眺め、太一と氷華は黙ってそこを通り過ぎた。
「よ、夜の学校って……ちょっと怖いね」
「昼間とは真逆だな。雰囲気的に」
夜の学校はどこか不気味で、何か幽霊的なものが出てきそうだ。幽霊にすら自分たちの存在が認識されないように、辺りに注意を払いながら階段を登る。
「ところで」
階段を上る足を止め、太一はふっと思い立ったように口を開いた。氷華をじろじろ眺め、自分のスクールバックと、手ぶらな氷華を見比べる。
「何があるかわからないから、俺は必要最低限のものしか持ってきてないけど……氷華お前、手ぶらで大丈夫なのか?」
「ああ、私の荷物なら大丈夫だよ。“ちゃんと持ってるから”」
「?」
謎の言葉だけを残し、氷華は太一の横をててっと駆け上がった。そのまま屋上への扉に手をかける。
「おまたせ、皆」
「やっときたか。待ちくたびれたよ」
涼しげな夜風がふわりと吹く中、ゼンたちはそこに立っていた。
◇
氷華とゼンが屋上の中心に立ち、少し離れた位置でカイとソラ、太一が二人を見守っている。
「氷華、手順はわかってるな?」
「大丈夫。できるよ」
カイは声を張り上げながら「本当に氷華と二人だけで大丈夫なのかよ、ゼン?」と問いかけた。
「問題ない。それ氷華にも任せないと、帰り道に困るだろうからな」
――流石に、初心者の氷華には高度すぎるだろ。ゼンがやった方がいいんじゃないか?
カイが不安そうに氷華を見つめる。ゼンはそんなカイに対して「まあ、見ていなさい」と優しく諭していた。その瞳は、まるで愛弟子を自慢する師のような――信じ切った表情だ。
「ゼンと氷華、今から何すんの?」
「ゼンと氷姉はね、異世界とここを繋ぐ道を作ろうとしているんだよ!」
ひとりだけ現状が把握できない事に疎外感を覚えながら、太一は隣に居たソラに声をかける。ソラは明るく応えるものの、やはりカイと同じで氷華をどこか心配そうに見つめていた。
「でも、氷姉だってまだ魔術師の卵。空間転移なんて高度な魔術……本当に大丈夫なのかな?」
一方の氷華は仲間たちの顔をぐるりと見渡す。太一だけはいまいち実感が湧かず、頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら、ぼうっと氷華を見つめていた。
――太一は実感が湧いていないみたい。
ソラはおろおろとしながら心配気に氷華を見つめる。カイもソラと同じような視線を氷華に向けていた。
――お披露目がいきなり高度な魔術だから「発動できない、失敗するんじゃないか?」とか思われてるんだろうなぁ。
「…………」
最後に向かいに立つ師匠であるゼンを見ると、彼だけは氷華を信じ切った様子で微笑んでいた。続けて氷華の中に直接響く励ましの声。
《大丈夫だ。まずは仲間にお前の力を見せてやれ!》
その言葉に氷華は更なる自信が湧いた。それと同時に氷華の中から溢れ出る大量の魔力。氷華の髪がバタバタと逆立ち、足元は徐々に輝き始める。予想外の現象に太一たち三人は目を丸くして、食い入るようにその光景を見つめていた。
「水無月氷華……行きます!」
――大丈夫、私ならできる。ゼンと修行したんだ。自分を信じろ!
真剣な表情で、氷華ははっきりと呪文を詠唱する。ゼンに叩き込まれたものをしっかりと頭に思い浮かべながら。
――過去、現在、未来、管理者メルクル、ブリュタルの街……!
「『時空よ、我が声に応えよ……光路を具現し、異界へ繋ぐ道となれ』」
――――ピカァァァッ!
次の瞬間、足元には二人を中心とする巨大な魔法陣が浮かび上がる。ゼンと氷華の魔力により、魔法陣は恒星のような輝きを放った。その幻想的な光は、仲間をも呼吸を忘れる程に魅了させている。
「『トランスポゼ』!」
氷華の言葉に呼応して、魔法陣は更に輝きを増した。
「すっげぇ……」
太一は氷華を見つめながら思わず素直な感想を述べ、氷華の事を不安に思っていたカイとソラも唖然としながら口をぽかんと開けている。
――あいつ、もう魔術をマスターしてんじゃないのか?
――氷姉……凄いっ! ゼンと一緒とはいえ、あんな凄い魔術を使えちゃうなんて!
「どう? お師匠様」
「優秀な一番弟子を持てて鼻が高いぞ。な、氷華なら大丈夫だと言っただろう?」
ゼンは自分の発言が正しかったと証明され、満足気な表情でぽんっと氷華の頭を撫でていた。氷華も照れ臭そうに笑みを溢している。
「見縊って悪かったな」
「カイから謝罪の言葉が出てくるなんて、ちょっと意外かも」
「おい、それどういう意味だ」
あははと悪戯っぽく笑いながら、氷華はカイから楽しそうに逃げていた。そんな中、ソラは瞬間移動を利用して感激のあまり氷華にぎゅっと抱き付く。
「うわ、とっ」
「氷姉、凄いよ! かっこいいよ!」
「ありがとう、ソラ」
よしよしとソラの頭を撫でながら、氷華は赤子をあやすように優しく笑みを零した。その傍らでゼンはカイに合図を送ると、カイは太一に向かって何かが入った袋を投げた。太一はそれを落とさないように慌ててキャッチすると、中からチャリンと音が響く。
「何だ、これ?」
「今から行く世界の資金」
「困らない為にと、カイが苦労しながら集めてくれたんだぞ?」
「ばっ……ゼン!」
カイはくるっと背を向けて顔を手で抑え付けていた。太一と氷華は黙ってカイを覗き込んでいると、カイは恥ずかしさを紛らわすようにガシガシと頭を掻き毟る。不器用なカイの優しさに触れ、太一は肩を組んで感謝を述べた。
「ありがとな、カイ!」
「っ……べ、別に……そんなの大した事じゃないって」
その言葉に太一と氷華、続けてソラまでもがニヤニヤと笑うと――ゼンは「あ!」と何かを思い出したように手をぽんっと叩く。次の瞬間、太一と氷華の上空にふわりと白い布が降ってきた。
「太一、氷華。それを」
「何これ?」
「服?」
それは、白を基調とした上着だった。胸元にはアルファベットのWとTを崩したような模様が描かれていて、背中には英語の羅列が記されたデザインが施されている。
「わーるど、とらべらー……?」
「そうだ、太一と氷華にはこれから“ワールド・トラベラー”として動いてもらう」
「ワールド・トラベラー……世界を旅する者……いいじゃん」
太一と氷華は気に入った様子で、すぐさま上着に腕を通した。不思議と、着ているだけで心が穏やかになり、何だか力が溢れてくる感覚になる。
「着ているといい事があるかもしないな」
「そうなのか? じゃあありがたく着させてもらうよ」
「防寒着ありがとう。でも暑いから腕捲るね」
「いや、そういうつもりでは」
ゼンは氷華の勘違いに少し残念そうに言葉を濁していた。そんな彼には視界にも入れず、ソラは「ソラからはねー」といつもの調子でニコリと笑う。
「ソラからのプレゼントはお得な情報だよ! これから太一と氷姉が行く事になる“ブリュタル”って街は、ちょっと前まで平和な街“だった”の」
「“だった”?」
「そう。ある日突然ブリュタルの街に流れ星が落ちて――数日後“異能の技”を使う賊のボスが街を支配しちゃったんだ。人々は多大な納税とか支配に苦しんでるんだって……だけど逆らっちゃうと、賊たちに殺されてしまうから……彼等は従うしかないの」
「酷い……」
「異能の技、それが神力石の欠片の力か?」
「たぶんね! ソラからの情報はこれくらいかな。危ない街だったから、調べるのに手間取っちゃった。ごめんね!」
「そこまで聞ければ十分だよ。ありがとな、ソラ」
「ソラもありがとう!」
太一と氷華にわしゃわしゃと頭を撫でられ、ソラは嬉しそうに微笑んでいた。
太一と氷華は光り輝く魔法陣の前に立つ。くるりと振り返ると、ゼンとカイ、ソラも珍しく真剣な表情になっていた。ゼンはこほんと咳払いをして、表情は崩さず言い放つ。
「それでは――最初の任務内容を言い渡す! 北村太一、水無月氷華、二人はワールド・トラベラーとして神力石の欠片の捜索、及び回収! そしてブリュタルの民を救ってこい!」
「了解!」
「任せとけ!」
「その間、カイは太一、ソラは氷華に成り替わって学校へ通え! ばれるなよ? 特にソラ!」
「はーい! ソラ頑張るよっ!」
「あぁ、了解」
――我ながら、かっこよく決まった……!
ゼンは満足したような表情で内心そんな事を思っていた。
静かに足を進める太一と氷華。遂に魔法陣の中心まで辿り着くと、その足はぴたりと止まる。ソラとカイが順々に声援を送った。
「氷姉、太一、気を付けて!」
「ちゃんと生きて帰ってこいよ!」
「ありがとな! 俺たち、欠片持って帰ってくるから!」
「留守番よろしく!」
最後に、ゼンは優しすぎる声色で口を開いた。信頼した、暖かな瞳で微笑みながら。
「頼んだぞ、救世主(ワールド・トラベラー)」
そして、魔法陣がこれまで以上に輝きを増す。そんな中、太一と氷華は声を揃えて叫んだ。
「「行ってきます!」」
魔法陣がピカッと輝き、残された三人は咄嗟に目を瞑る。次に目を開けると、太一と氷華はもうこの世界から消えていた。
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