第56話 護りたい約束


 壮絶な闘いから数日――リナやレナたちの傷は氷華の魔術の甲斐もあってすっかり回復し、元のような元気さを取り戻していた。

 しかし、当の氷華は床に伏せったまま動こうとしない。氷華の傷も徐々に回復の傾向を見せているのだが、なかなかよくならなかった。そして何よりも“心の傷”が深い。


「ノア……」


 氷華は必死に涙を堪える。ノアが遺した神力石の欠片をぎゅっと握りしめながら、静かに瞳を閉じた。



 ◇



 闘いから約一週間後、太一と氷華は自分の世界へ戻る事を決意した。一刻でも早くゼンに神力石の欠片を届けなければならない。太一は未だに落ち込んでいる氷華の手を引き、先導するように歩き出した。


「氷華、大丈夫か?」

「……うん。早くゼンに、渡さなきゃ……」


 氷華は辛そうに呟き、ゆっくり地面に手を置く。瞳を閉じたと同時に足元には巨大な魔法陣が現れ、魔力を集中させる素振りもなかった行動に、太一は目を丸くさせて感服していた。


「詠唱とかしなくてもできるのか?」

「うん。いつの間にか……できてた」


 氷華は壮絶なあの闘い以来、何故か詠唱をしなくても魔術が発動できるようになっていた。闘いの緊張感と感情の爆発からできた事なのだろうと考えていたのだが――その後も、高度な魔術でも特に詠唱せずに発動できる事が判明した。理由はわからなかったが、今の氷華はその事を重く考えてはいない。


「――じゃあ行くか」

「待って、タイチ様! ヒョウカ!」


 二人がくるりと振り返ると、リナとレナ、ミラの姿が映る。ミラは太一の肩をパシンと豪快に叩きながら、いつものようにへらへらと笑いかけていた。


「黙って行こうとするなんて水臭いじゃん!」

「全くだ」

「そうだよ、酷ーい!」


 三人が並んだ時、どうしても一人足りない事が目立ってしまい、氷華は改めて現実を痛感する。ノアはもう居ない現実を。

 ミラがへにゃりと笑い、リナが太一に抱き付く。太一は呆れたような表情を見せるが、心の内ではどこか楽しそうだった。そしてレナは、氷華が未だに沈んだ表情をしている事に気付き、“あるもの”を氷華に託す。


「ヒョウカ、受け取れ」

「これ――」

「ノアがずっと大切にしていたものだ。血が付着していたから洗濯しておいた」


 以前、自分がノアに贈ったハンカチをぎゅっと握り、氷華はポロポロと涙を流していた。無表情のままだったが、レナは氷華の身を案じて静かに口を開く。


「ノアは「これは、初めて他人が僕にくれたものなんだ」と嬉しそうに話していた。ヒョウカ、元気を出せ」

「レナ……」


 レナは氷華の前に人差し指をピンッと突き出し、それを自分の頬に当ててみせた。そのままぎゅっと頬を上げ、無理矢理笑っているような表情を作っている。


「辛い時こそ、笑え」

「!」

「いつまでもヒョウカが落ち込んでいたらノアも悲しむぞ」


 レナの言葉と行動に、氷華は沈んでいた顔をゆっくり上げた。


 ――そうだ、私がずっと落ち込んでいたら、きっと……。


「こんなんじゃ……ノアにも怒られちゃうよね……ッ!」

「そうだ、それでこそヒョウカだ」


 その時、風なんて吹いていない筈なのに氷華の手元のハンカチがふわりと宙を浮く。ハンカチはひとりでに氷華の目元に飛び、流れる涙を優しく拭っていた。謎の光景を前に、レナと氷華は呆然としながらハンカチを見つめている。


「えっ――」

「レナの言う通りだ、全く……」


 懐かしい声に、氷華とレナ、そして太一とリナとミラも驚いて顔を上げた。彼等も氷華たち同様に、ハンカチがひとりでにふわふわと浮いている光景を見て、思わず目を点にしている。

 しかし次の瞬間――ハンカチはピカッと光り出し、そして――。


「お前がそんな調子では、世界は救えないだろう」

「ノア!?」


 光と共にノアが現れた。



 氷華は突如現れたノアに抱き付きながら「よかった、よかったぁ……!」と子供のようにひたすら泣きじゃくっていた。その行動にノアはうろたえるが、羞恥心の限界に達し、氷華の身体を勢いよく引き離す。


「だけど、どうして……?」

「詳しい事は僕にもわからないが……恐らく、その石の力だろうな」

「え?」


 ノアがじっと見つめた先にあるのは、今までノアの体内で原動力として稼働していた神力石の欠片だった。ノアは自分自身に起こった奇跡のような出来事について推測する。


「僕の強い思念がその石の力と反応した、のかもしれない。元の身体を長時間保つ事はできないが、どうやら魂だけはこの世に留まれるらしい」

「けど、なんでハンカチなんだ?」


 太一がハンカチを指さして呟くと、ノアはかぁっと顔を赤く染め上げてそっぽを向いてしまった。


「し、知るか! 僕だってそれは――」

「たぶん、そのハンカチに強い思い入れがあるからじゃないかな!」

「なっるほどー」


 リナが楽しそうに自分の推測を述べると、ミラはにやりと笑ってノアと氷華の顔を交互に見比べる。直後、再びノアの身体は光り出し――氷華が心配そうにノアを見つめるが、「安心しろ。またその布に戻るだけだ」という言葉を残して消えてしまった。宣言通り、その場ではふわりふわりとハンカチが宙を浮いている。


「何か、ノア……可愛くなったよね」

「なっ! 何を言うんだお前は!」


 びくぅっという効果音と共にハンカチ状態のノアは飛び上がり、その様子を見ながら氷華は再びノアをからかっていた。ハンカチ状態のノアは怒っているらしく、氷華の周りをくるくる旋回している。


「なんか、神力石の欠片って……凄いな」

「うん。だけどよかった……本当に、喪わずに済んで……よかった……」


 氷華は安心したように、とても嬉しそうに笑っていた。



 太一と氷華は魔法陣の中心まで進むと、ミラは二人に向かって手を上げる。


「タイチくん、ヒョウカちゃん、元気でな! あんた等みたいな人間も居るって気付けて、友達になれてよかったよ」

「ミラも、元気でな!」

「レナ以外に浮気しちゃ駄目だよ、ミラさん」


 続いてリナが氷華の前まできて立ち止まると、申し訳なさそうにしゅんとした顔で謝罪を述べた。


「ヒョウカ……あの時は本当に、ごめんなさい」

「それはもう大丈夫だから。気にしないで」


 花が咲いたようにぱぁっと明るく笑うリナは「ありがとう、ヒョウカ!」と告げ、次に太一を見つめる。


「そして、タイチ様!」

「ん?」

「タイチ様の事、絶対忘れないから!」

「ああ、俺もリナの事忘れないよ」

「タイチ様……だからまた一緒に走ろうね! 今度は僕の方が速くなってるから!」

「それは抜かれないように俺も頑張らないとな」

「……タイチ様、本当に……ありがとう! あの時止めてくれて、あの時救ってくれて……僕はタイチ様の言葉で救われたから……だからッ!」


 リナは少し押し黙り――続けて口にした言葉は、リナが本当に伝えたかった言葉ではなかった。


「タイチ様も頑張って自分の世界を救って!」

「おう、応援よろしくな!」


 悪戯っぽくリナは舌を出しながら笑うと、そのままくるりと背を向けてしまう。リナの震える肩をレナは優しく抱き――そのままの状態でレナが静かに口を開いた。


「タイチ、ヒョウカ。これからも頑張れ」

「レナも、今までありがとう!」

「俺、この世界で最初に出会えたのがレナでよかったって、心の底から思うよ」

「私も二人に出会えて……変われたんだ……本当に……」


 そのままレナは俯いてしまったが――次に顔を上げると、太一と氷華が驚いたように目を見開く番だった。ミラやリナも、その表情を見て目を丸くし、歓喜の涙を浮かべている。


「ありがとう――タイチ、ヒョウカ!」


 ほんの僅かにだったが、レナは確実に笑っていた。



「それじゃあ俺たち行くよ!」

「今まで、本当にありがとう」


 氷華はちらりとハンカチ状態のノアへ視線を向けた。ノアはレナたちと何やら話している様子で、太一は心の中で「ハンカチと真剣に話す図がなんかシュールだ」と評しながら苦笑いを浮かべている。


 ――ノアは……お別れの言葉、何も言ってくれないのかな……。


「俺たち、これからは協力して人間らしさを取り戻していくよ」

「もう僕たちを狙う科学者たちも居ないからね。だから、僕たちも違う世界に行ってみようかって話してたんだよ!」


 自分たちの心の整理が落ち着いたら、レナたちは揃って違う世界へ行く計画をしているらしい。初めはぶつかり合うかもしれないし、理解が難しいかしれない。でも仲間たちの言葉に耳を聞き入れてくれた彼等ならば、きっとどんな世界でも大丈夫だろう。


「そうだな、それがいいよ。もっと俺たち以外の人間と接するといい」

「もしかしたら行き着いた先がタイチやヒョウカの世界かもしれないな」

「その時は歓迎するよ。他の仲間にも紹介するし、何なら神様っぽい上司も紹介してあげる!」


 魔法陣の中心で太一と氷華は笑いながら「行こうか」と呟くと、その声に反応するように強い光が二人を包んだ。


「頑張れよ!」

「僕たちの事忘れないでね! 絶対だよ!」

「また会おう」


 ミラとリナ、レナはそれぞれワールド・トラベラーへのエールを贈り――太一と氷華は笑顔で手を振り返す。

 そして――。


「氷華!」

「――ノア!?」


 ハンカチ状態のノアが魔法陣の中に飛び込み、氷華の顔面に思い切り張り付いた。



 ◇



 ――――シュッ


 任務を終えた太一と氷華は、無事に自分たちの世界へと帰還した。太一はトンっと足をついて華麗に着地するものの、氷華は「うわぁっ」という情けない悲鳴と共にぐしゃりと倒れ込む。


 ――――ドサッ


「……大丈夫か?」

「う、うん」


 氷華は太一の手を借りながらよろよろと立ち上がると、ノアが憑依していたハンカチが足元にぱさりと落ちた。氷華はそれを拾い上げ、ぎゅっと胸の前で握り締めると、瞳を閉じながら「ノア……最後にまた、名前呼んでくれた……!」と嬉しそうに微笑んでいる。


「バ、バカっ! くる、し……ッ!」

「――あれ?」


 耳慣れた声を聞き、思わず氷華がぱっと手を離すと――ハンカチはそのままゆっくりと浮上していった。ノアの魂も、世界を越えてきちんと氷華に付いてきていたのだ。氷華は驚いたように目を丸くしながら、ハンカチ状態のノアを見つめている。


「ノ、ノア!?」

「ノア! お前付いてきたのか?」

「ああ。僕はまだ“約束”を護っていないからな」

「“約束”?」


 その言葉に氷華は心当たりがある様子で、少しだけ照れたように顔を赤くさせていた。光と共に、ノアは可愛らしいハンカチ姿から人型へと変化する。


「あ、戻った」

「一日で数分間だけならばこの姿でいられるらしい」

「何か正義のヒーローみたいだね」


 そして太一と氷華とノアの三人は声を上げて笑うと、ノアはそのまま氷華をじっと見つめて呟いた。


「言っただろ、僕がお前を護ってやると」

「ノア……」

「だから……僕がお前の“ヒーロー”になってやる」


 するとノアは照れたようにぷいっとそっぽを向き――その言葉を別の意味で解釈した太一がムキになって反応している。


「なっ……ノア、“ヒーロー”の座は渡さないからなっ! 俺、救世主になるんだし!」


 ノアと太一は未だに言い合っている様子で、その光景を氷華は楽しそうに笑いながら見守っていた。


 大切な相棒と小さなヒーローがこの場に居る事を――とても幸せに感じながら。




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