第55話 荒廃した世界の中心で②


 次に氷華が目を覚ますと、荒廃した世界の中心に戻っていた。ノアの身体は血塗れで、酷く傷だらけで――ぴくりとも動かない。いくら呼んでも、動力源を抜かれたロボットのように、動く気配はなかった。


「ノア……」


 崩れ落ちそうな砂の城に触れるように、氷華はノアの身体をそっと寝かせると、静かに立ち上がる。


 ――――ドクン、ドクン


 氷華の身体もノアと同様にボロボロで、肩や口からはだらだらと血が流れていた。しかし氷華は痛みに顔を歪める事なく――静かに瞳を閉じ、再び開く。眼球は完全に瞳孔が開いていた。その様子を見て、アガルは氷華の事を挑発するように笑いかける。


「突然消え……逃げ出したのかと思いきや、そんな身体で再び抵抗する気ですか?」


 ――――ドクンッ


「……黙れ」

「仲間は死に、今のあなたはひとりだ。この数を相手にするのは、無謀にも程がある」

「ノアは死んでいない」

「いいえ、死にました。残念ながらこれは真実です」


 そして、氷華の中で“何か”が爆発した。


「こんな世界……こんな真実……」


 ――――ドクンッ!


「私が、全部壊してやるッ!」



 ――――ドガァアアァン!



 氷華は勢いよく右手を横に突き出す。その拳を放すと同時、数体のロボットは勢いよく爆発して四散していた。アガルと、上空から観察していた科学者たちは目を見開かせて言葉を失っていたが、怒りで我を失っている氷華は止まらない。


 続けて氷華は乱暴に地面に手を付くと、瞬時にロボットたちの足下から何本もの氷の棘が襲った。アガルは跳躍でどうにかそれをかわすが――ロボットたちは一体残らず無残に貫かれ、爆発音だけが周囲に響き渡る。

 人間の筈なのに、アンドロイドとは違う人間離れした力を前に、科学者たちは氷華に対して強い恐怖心を覚えた。


「あの女を! あの女を一刻も早く殺せ!」

「…………」

「奴は本当の化け物だ!」


 普段の氷華からは想像し難い、矢のように鋭い眼光で――氷華は上空を見上げる。すると“戦闘機のモニターから”氷華の姿は一瞬で消え失せてしまった。


「なっ……どこに行った!?」

「ここだよ」


 直後、氷華は一瞬で小型戦闘機の内部まで空間転移魔術で移動すると――今まで高みの見物をしていた科学者たちを氷のように冷たい瞳で見下していたのだ。ノアたちと闘う時よりも強烈な殺気を浴び、闇から這いずるような無数の黒い影がゆっくり近付き、科学者たちはガタガタと震えている。

 人間業とは思えない未知の力を使い、悪魔のような冷徹さで他を圧巻する今の氷華は、本能的に絶対に敵わないと悟った。


「ま、待て……我々はあの方の……」

「お前も、わ、我らと同じ……人間だろ?」

「私を、お前たちと一緒にするな」


 それだけ呟き、氷華はゆっくりと手を翳す。そのまま憎しみに身を任せ、科学者たちへ魔術を放とうとしたのだが――何故か氷華の動きは固まっていた。


 ――「てめえ等は俺たちみてえに堕ちんな」


 氷華の中では、救世主を目指していた先輩という立場から言われたフォルスの忠告が頭を巡る。その言葉を思い出し、氷華は酷く苦しそうな表情で「消えろ……今すぐ消えろッ……」と言葉を振り絞った。


「わ、わかった……すぐに消える……だからもう、許してくれ……」

「私はこうして、いつでも簡単にお前たちを簡単に殺せる……だから、私が殺す前に……早くこの世界から消えろ! もう二度とノアたちの前に現れるなッ!」


 激昂しながら氷華が叫ぶと、溢れ出た魔力が弾け飛び、機内に無数の傷を作り出す。科学者たちは頬から血を流し、恐怖の涙を溜めながら「わかった……もう、彼等に手を出さない……」と声を絞り出した。失意の目でその場に力なく座り込む科学者たちは、もう完全に戦意を喪失している。再びノアたちに手を出そうとした暁には、氷華によって植え付けられた恐怖心に心臓を鷲掴みにされるだろう。


 脅え切った科学者たちを黙って見下し、氷華はその場から音もなく消えた。



 ◇



「…………」

「見事、ですね」


 氷華は呆然としながらロボットの屍の山に立ち尽くしていた。全身から血を流し、瞳からは涙を流し――動かなくなったノアを見つめている。一時は圧倒的な力を見せたものの、氷華の身体は既に限界を通り越していた。氷華の武器である魔術を発動する為の魔力は既に皆無だ。


「まさか、ロボットどころか科学者まで撤退させるとは……これでは僕の作戦が台なしです」

「ノア……」


 氷華やノアを狙うロボットは既に全滅し、科学者はもうこの場から消えている。氷華はよろよろとノアの身体に近付くと、彼の側で力なく膝を付いた。アガルの「それに、完全に詠唱を破棄するなんて真似……あなた、本当に人間ですか?」という問いかけだけが、その場に虚しく響き渡る。


「いや、もうあなたたちは人間の域を超えていますね……ワールド・トラベラー」

「ッ!」


 その言葉に、氷華は「何で……」と声を漏らした。アガルはノアたちの仲間の、只の医者の筈と考えながら「それなのに、どうして」と呟く。


 ――いや、待って……どこが“只の医者”?


 改めて考えてみれば、おかしい点はあった。初めてノアに紹介されてから、彼は極端に太一や氷華との接触から逃げている。しかもその事実を太一も氷華も何故か疑問視していなかった。

 それに戦況が三つ巴になった時、誰もアガルの事を口にしなかった。まるでアガルという存在を忘れてしまったように、誰も彼の行動や存在を疑問視できなかったのだ。


「折角なので、本当の自己紹介もしておきましょうか」


 するとアガルは頭に巻いていた大きめのバンダナをシュッと脱ぎ棄てた。風によって、深紫の長髪が揺れ、白衣の中の黒いジャンパーが垣間見える。ポケットから取り出した眼鏡をかける姿を見て――レンズ越しに映る菖蒲色の瞳を見て、氷華は絶望した。


「……昴、さん?」

「僕は「またお会いしましょう」と言いましたよ、氷華さん」

「まさか……でも、どうして……何で」


 混乱する氷華に対し、彼はにこりと笑いながら「昴という漢字は、アガルとも読む筈です」と指摘する。そのまま彼は、自分の本当の名前を口にした。


「僕の本当の名前は、ディアガルド・オラージュ。仲間からはディアと呼ばれています」

「ディアガルド……だから、アガル……確かスティールもディアって言ってた……」

「ご名答」


 氷華は悔しそうに顔を歪め、ある事実を思い出す。彼女にはどうしても不可解な事があった。


「どうして……私たちも、アンドロイドも……“精霊の目すら”誤魔化せたの?」


 自分に近付く人間を疑うのは戸惑ったが、以前昴と出掛けた際――氷華は念の為、カイとソラに確認を取っていたのだ。アキュラスやスティールのような気配は感じられないが、もしかしたら同じ精霊ならば感じ取れる何かがあるのかもしれない、と。しかしその時、カイもソラも「特に何も感じない」と言い切っていた。どうやって精霊の目まで誤魔化したのか、氷華には理解できない。


 するとディアガルドは「ああ、それは一種の神経麻痺ですよ」と淡々とした様子で真実を述べた。


「神経、麻痺?」


 ディアガルドはすっと右手を掲げると、それはピキピキと雷を帯びながら怪しく輝き始める。


「僕は雷電を司る精霊ですので、皆さんの感覚神経を少しこれで操作すれば――」


 ――――パリンッ


「僕が精霊だという正体は簡単に隠せる。例え超人的な感覚を持つアンドロイドでも、同じ精霊相手でも。人間相手ならばもっと容易い」


 その言葉を聞いて、氷華も同時にアガルに関する違和感の正体にも気付けた。ディアガルドは恐らく、洗脳まがいの神経麻痺で、極端に自分の気配を薄めていたのだろう。それを指摘すると、ディアガルドはまるで教師のような態度で「正解です。大変よくできました」と笑っていた。


「本当はもっと氷華さんと話していたいところですが、僕には時間がありません」


 ディアガルドは口元を吊り上げると、「さあ、氷華さん――大人しくその石を渡してください」と両手を広げながら歩き出した。


「!」


 氷華は神力石の欠片を握り、ノアの身体を護るようにぎゅっと抱きしめながら次にくるであろう衝撃に備えて目を瞑る。魔力が残っていない氷華は闘う事ができないが――ノアを置いて逃げ出す気もなかった。ディアガルドは「やれやれ……」と溜息を零し、そっと氷華の頬に手を添える。


「僕は、氷華さんを傷付けたくないんです」

「そんな事言って……私を油断させる為なんでしょ……あの時近付いたのも、今言った言葉も、全部ッ!」

「僕は――」


 しかし、ディアガルドの酷く辛そうな表情を見て――氷華は過去の言葉を思い出した。以前ディアガルドが昴として氷華に近付いた時、去り際に言った言葉だ。


 ――「これから先、何があっても変わらず……あなたは、あなたで在り続けてください」


 その表情を見て、氷華は彼の真意がわからなくなった。


 恐らく、ディアガルドはとんでもない策士だろう。きっとスティールに入れ知恵をしていたのは彼だろうし、一緒に出掛けた際には探偵並の推理力も目の当たりにしている。今回、科学者たちを利用し、戦況を自由自在に動かしていたのも彼だ。だったら、嘘を吐くくらい造作もないのかもしれない。

 しかし、あの時の昴の言葉は――とても嘘を言っているようには見えなかった。


「あなたは、一体――」


 氷華が呟きかけた瞬間、ディアガルドは何かを勘付いたように即座に後ろに飛び退いた。ガツンと氷華の前に突き刺さるのは、よく見慣れた竹刀だ。


「何者だッ!」

「……北村太一か」


 太一は竹刀を拾い、氷華とノアを庇うように前に出る。ディアガルドは太一と、彼の周りに集まるリナとレナ、ミラの姿を見てチッと舌打ちをした。


「アンドロイド三体にワールド・トラベラー……流石に分が悪いですね」

「ダークサイド側の精霊か……ってかお前、もしかして」

「ふふっ、あの時の答えは見つかりましたか?」


 すると太一は口元を吊り上げながら「俺は氷華の相棒だ。俺の相棒に手を出すなら、容赦しないぜ」と竹刀を構えながら応戦体制で告げる。太一の堂々とした応対に満足したディアガルドは「今は分が悪い、手を出すつもりはありませんよ。安心してください」と続けた。


「当初の予定ならば、この状況下で僕側に科学者やロボットが居る筈でしたが――全て倒されてしまいましたからね。誤算でした」


 ――全く、氷華さんは僕の予想を尽く……。


 眼鏡のフレームをカチャリと上げ、ディアガルドは太一と氷華に微笑みかける。


「今回は退かせてもらいます。次に会う時は――“全ての決着が着く時”でしょう」

「待ちやが――」

「では、またお会いましょう。ワールド・トラベラー」


 ――――シュッ!


 そして、ディアガルドは一瞬で姿を消してしまった。


 それぞれ、何かを得て、何かを失った壮絶な闘い。

 その結末を楽しむかの如く、氷華の手に握られた神力石の欠片だけが煌々と輝いていた。



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