第2章 メルクルの世界

第12話 舞い降りた希望①


 ――あれ? 私は、確か……。


「そうだ、魔術を発動したんだった!」


 意識を失っていた氷華が勢いよく跳び起きると、周辺は奇妙な空間が広がっていた。

 目が眩むような陽光を放つ白。果てしない暗闇に不安を覚える黒。それが合わさって織りなす灰。ぐるぐると変わっていく色と空間に、氷華は眉を顰める。底知れぬ不快感を覚え、氷華は「何ここ……気持ち悪い」と声を漏らした。


《ここは時空の狭間だ》


 氷華の呟きに、どこからともなく聞こえるゼンの声が答える。どうせ自分の脳内に直接語りかけているのだろうと察した氷華は、ゼンの姿を探そうとはせずに耳だけを澄ましていた。同じようにゼンの声を感じ取ったのか、隣で倒れていた太一もむくりと上体を起こす。


「太一、大丈夫?」

「ああ。これが――異世界なのか?」

「ねぇ、ゼン。時空の狭間って何?」


《数多の世界と時間を繋ぐ境界線だ。ここで迷うと一生抜け出せない。気を付けろ》


 ゼンの言葉を合図にするように、太一と氷華の周りには無数の光り輝く道が現れた。どこに、どこまで続くかはわからない。遥か遠くまで続いている、長い長い光り輝く道だった。


《氷華、私と共に魔術を発動したお前ならばわかる筈だ》


「わかるって言われても、全部同じにしか――」


 氷華は無数の道をぐるりと見渡す。暫くして、氷華はある一点を見つめたままぴたりと動かなくなった。その行動を不審に思った太一は「わかったのか?」と問いかける。


「たぶんわかった。きっとあの道だ」


 一つだけ異様に光り輝いている道へ向かい、氷華はぐいぐいと太一の腕を引っ張りながら足を動かす。この件に関してはどうしようもない太一は氷華の直感に一任すると決意し、大人しく彼女に従っていた。

 途中で、氷華は足を止めてくるりと振り向く。


 ――大丈夫、太一と一緒なら。ゼンたちだって待っていてくれてるし……大丈夫。


「きっとこれが、私たちの進むべき道だよ」



 ◇



「ねえ」


 光り輝く道を進んでいた筈なのに、いつの間にかまた意識を失っていたらしい。氷華が再び意識を取り戻した時、目の前は真っ暗になっていた。半分寝ぼけながら、氷華は瞼を上げずに思案する。


 ――ああ、これから私の手元には闘える仲間が居なくなって、病院的施設に飛ばされてしまうのだろうか……。


「ねえ、生きてる? 起きてよ!」

「氷華、朝だぞー」


 声が聞こえた。後者は聞き慣れた太一の声だったが、前者の声はわからない。一体誰だろうと思いながら、氷華は観念してゆっくり目を開けた。強い日差しで頭がくらくら揺れる中、謎の声の主をじっと見つめる。


「あ! こっちも起きたね、兄貴!」

「どうやら着いたみたいだぜ、目的地」


 氷華の目の前には、太一と――太一の事を兄貴と呼ぶ謎の子供が笑っていた。


「……兄貴?」



 数分後――太一と氷華、そして謎の子供はブリュタルの街を宛てもなく歩き続けていた。

 ブリュタルの街は摩訶不思議な場所で、太一と氷華的には“ザ・和洋折衷”という風に捉えていた。建築物は和風で、華やかな着物を着た人々。しかし街を歩く人々の大半は見慣れた黒い髪や瞳――ではなく、それこそ着物のように色鮮やかだった。初めは戸惑ったものの、ゼンやカイ、ソラという規格外の仲間を思い出し、太一と氷華は比較的すぐに順応している。


 ――和風と西洋風を織り交ぜた感じ……不思議な場所だなぁ。


「ところで」


 そう言って氷華は足を止め、太一たちに振り返って人差し指をびしっと突き出した。その指先は、名前も知らない謎の子供に向かって伸びていく。


「君は誰? 新入り?」

「セリって呼んでよ! 氷姉!」


 目をキラキラさせながら氷華を見つめる謎の子供――セリは、まだ幼さが残る子供だった。年齢は十を越えて間もないくらいだろうか。頭の上部で藍色の髪を一つに結び上げていて、その髪は多少重力に反している風にも見える。動き易いであろう簡易な着物を纏い、にこにこと笑っていた。


 一方の氷華はキラキラと輝く太陽のような視線を一身で浴び、若干押されながらも「また氷姉か……」と自分の愛称に頭を悩ませる。


「うーん……太一、どういう事?」

「いやぁ、話せば長くなるようで意外と短く済む話が」


 どこか歯切れが悪い太一に溜息を吐きながら、氷華は呆れ半分で静かに口を開いた。


「いいから、話して」



 ◇



「――はっ!?」


 氷華が目覚めるより前に、太一はガバリと身体を起こした。


 ――俺は異世界に行って任務を!


 覚醒し切っていない頭を無理矢理振り回し、すぐに状況を把握しようと周辺を見回す。

 商店街と思われる通りの中心で、隣には唯一の仲間である氷華も倒れている。商店街と言っててっも、教科書の中で見たような――どこか時代を感じさせる街並みだ。しかし、街の雰囲気は一昔前でも、売っている物はパンや野菜、西洋風の家具等、近代的。通行人は着物を着ているが、目や髪の色は様々で――和洋折衷を織り交ぜた雰囲気の奇妙さを感じた。


 街の風景や人々の雰囲気から、太一は自分の世界との違いを実感し、改めてここが自分にとっての異世界だと実感した。


「ここが、異世界か……随分奇妙な街だな」

「てめえ! 逃げんじゃねえぞっ!」


 その時、前方から激しい怒声が響き渡った。太一は顔を上げ、その会話に聞き耳を立てる。


「この落とし前、どうしてくれるんだ? ああ?」

「そっちが勝手にぶつかってきたんじゃないか!」


 どうやら幼い子供が柄の悪い男たちに絡まれているらしい。正義感の強い太一の心の中には苛立ちが生まれ、無意識に立ち上がっていた。


 ――こいつ等……くそっ。


 太一は男たちに対してだけに苛立っている訳ではない。街の通行人に対しても同じ苛立ちを感じていた。彼等は絡まれている子供に対して憐みの目を向けさえするものの、誰一人として助けようとする者は居なかったのだ。中には見て見ぬふりをして去ってしまう非情な者さえ居る。

 太一は不機嫌オーラ全開で、男たちと子供に向かってずんずんと足を進めた。


「舐めた態度してっと痛い目見るぜ、ガキ!」

「大口叩いてると痛い目見るぜ、おっさん!」


 背後から聞こえた罵声に、柄の悪い男たちは一斉に振り返る。男たちに囲まれていた子供も、大きな瞳で驚いたように太一を見ていた。男たちは顔を歪め、即座に標的を子供から太一に移す。


 ――全部で三人……相手も油断してるだろうし、たぶん大丈夫だな。


「何だぁ、オニイチャン?」

「珍しい格好してんじゃん、余所者か?」

「この街では誰に逆らっちゃいけないか知って――」

「知らねえよ。ついでにあんた、常識ってもん知ってる?」

「はあ? 何だこの野ろ――」


 ――――ドガッ!


 喋っている最中にも関わらず、太一は男の一人に華麗な回し蹴りを決める。蹴り飛ばされた男は大砲のように吹き飛び、五メートル先の壁にめり込んで意識を失った。残り二人の男と子供は信じられないものを見るように呆然とし、太一は不敵に笑いながら口を開く。


「いたいけな子供に大の大人が寄ってたかるなっての。情けなくて見てられない! そんな輩は俺が根性叩き直す」

「てっめえ……ぶっ殺す!」


 太一の攻撃に怒り狂った男の一人は大きく拳を振り上げたが、怒りに身を任せた乱雑な攻撃は太一の敵ではなかった。太一は男の拳を難なくかわしながら、その腕を掴み――足を広げて背負い投げの容量で男を地面に叩き付ける。


「ああ、ちなみにそれ俺の常識ね。俺ルール第一条ってところかな」


 残された最後の男は太一との実力差に冷静な判断力を失い、震える手で短刀を向けた。目はきょろきょろと忙しなく泳ぎ、太一をきちんと捉えられていない様子だった。獅子に睨まれた小型犬のように、ガタガタと震えながら口を開く。


「て、てめえ……何者だぁぁああぁ!」


 ――こんな奴、カイの百倍弱い! 剣術を使うまでもない!


 刃物を向けてくる男にも動じず、太一は余裕の表情で笑みを溢した。


「俺? 俺は……そうだな……」


 ――――ガシャン!


 即座に腰を落とし、太一は男の腕を引いて短刀を奪い取る。そのまま回転した勢いで男の腕を捻ると、男は呆気なく地面に倒れ込んだ。振り返った太一は銀色に輝く刃を向け、にこりと微笑んでみせる。


「ワールド・トラベラー、たいっちゃん――参上」



 その後、男たちは外見とは裏腹に情けない悲鳴と共に逃げ、男たちに絡まれていた子供と太一だけがその場に取り残された。一仕事終えた太一は「さて、これからどうしようか」と迷っていると、突然の「あ、兄貴!」と響く声にビクリと肩を震わせる。


「えっ」


 太一に助けられた子供は突然叫ぶと、そのまま太一の腰にぺたっと貼り付きながらキラキラと期待の目を輝かせていた。何故自分が見ず知らずの子供に“兄貴”と呼ばれるのか理解できず、太一は困惑した目で「兄貴って……何で?」と声を漏らす。


「兄貴! セリを兄貴の弟子にして! セリも兄貴みたいに強くなりたいんだ!」

「はあ?」


 そして断ろうにも一向に折れる気配がない子供――セリを宥めながら、太一は目を大きく見開かせて「ヤバい!」と声を上げた。自分に付いてくるセリに一瞥して「しょうがないか……」と諦めつつ、太一は存在ごと忘れていた彼女の元へと急いで駈け出す。


「氷華の事、忘れてた!」



 ◇



「まあ――こんな感じ」

「とりあえず、私を忘れていた事に対しての謝罪を要求します」

「あはは、ごめんって」


 氷華は納得いかない表情で「心がこもってなーい」と不貞腐れつつ、再びセリへと視線を移す。太一の後ろをぴょこぴょこと付いて歩く姿は小動物的な可愛らしさを感じ――このままでもいいかと判断しかけるが――自分たちはこれから“闘う”事を思い出す。絶対に、無関係なセリを危険な目に遭わせてはいけない。


「事情はわかったけど――」

「セリも「付いて行く!」って一点張りだし、って言っても俺たちもまだ次の目的地の宛てがないし……どうするかなー」

「セリ。私たちと一緒に居ると危険かもしれないんだよ?」

「で、でもっ!」

「うう、その小動物オーラはやめて! 何でも無条件で許したくなっちゃう!」


 実際、セリは付いてくるなと言っても勝手に付いてくるだろう。それくらいセリは太一に懐いている様子で、太一に貼り付きながら「兄貴、氷姉もやっぱり強いの?」と期待に目を輝かせている。


 ――だったら逆に、自分たちの近くに居てもらった方が……うーん。


 それに二人はこの世界に到着したばかりで、神力石の欠片を持っていると思わしき賊についての情報が全くないのも事実だ。流石に情報がなくては戦略も何も立てられない。太一と氷華の二人しか仲間が居ないこの状況下、戦略がなければ――余程運が味方しない限り、目的を為す事は難しいだろう。


 ――この街が既に支配されているのであれば、子供のセリでも多少は賊って人たちの情報を知っているかもしれない。


「どうする、氷華? 俺は一緒の方がいいんじゃないかって思う」

「そうだね、既に人目にも付いちゃってるだろうし。ここで突き離したとして、もしも危なくなった時の方が怖いかも。あまり考えたくないけど、敵がどう出るかもわからないからね」

「って訳でしょうがない、か……。セリ、危険になったら俺たちの事は見捨てて逃げるんだぞ」

「了解っす、兄貴!」

「じゃあ新入りのセリに記念すべき初任務を与えよう」

「よーし! セリ頑張っちゃうよ!」


 氷華はにこりと微笑みながら、セリの頭を優しく撫でて目線を合わせた。


「私たちに、この街を案内してくれないかな?」


 

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