第3話 運命の出会い


 教室の扉を開けると、クラスメイトたちの視線が一気に集中した。太一と氷華は小さく手を上げ、控えめに挨拶を交わす。扉から現れた人物が教師ではなく太一と氷華という事を認識すると、クラスメイトたちは「なんだ、北村と水無月か」と再び視線を各々に戻していた。


「氷華ちゃん今日も遅刻?」

「あと一歩だったんだけどね、ギリギリアウトだったよ」

「ああ、私見てたわ。今日もいい跳びっぷりだったわね。あんたも、北村くんも」


 太一と氷華がそれぞれ自分の席に着くと、既に始業時間に突入しているにも関わらず友人が寄ってくる。その行動と、周りのガヤガヤとした慌ただしさに、普段とは違う何かを感じ取った氷華は首を傾げた。何故担任の教師は居ないのか? 始業式は? 憶測を立ててみるものの、一行にそれらしい確信へ辿り着かず――ここは素直に友人に事情を尋ねようと口を開く。


「先生は? そろそろ始業式なんじゃ――」

「何かね、今凄い状況になってるみたいだよ」

「凄い状況?」

「不審者が校内に入ったらしいの。で、センセたちはそいつを捜索中。連絡があるまで教室から絶対に出るなって言ってたわ」


 日常離れしたような出来事に氷華は思わず眉を顰めた。いまいち信憑性を疑ってしまう内容に、氷華は「え」と声を漏らす。


「不審者が学校に侵入なんて、まさか現実で直面する事になるとは……」

「絶対に夕方からのローカル番組でニュースになるわ。下手したら全国ニュースかも」

「ちょっと非現実的って思っちゃうよね。夢でも見てるみたい。それか昨日のゲームの続きとか」

「だけど先生たちが動くぐらいだし、夢ではないんだよね。不審者って相当な変人なのかな」


 氷華が頭を悩ませていると、友人たちは「やっぱり信じられないわよね。センセのひとりが見つけたってだけで、あたしたちは実際に見てないし……ま、こうして自由時間が増えるのはいいんだけど」「私は怖いなぁ、不審者」とそれぞれの意見を述べる。

 その会話を聞きながら、氷華はふと隣の席に座る太一へ視線を移した。太一自身も先程の会話を聞いていたようで、くだらないと呆れたような表情で鞄を下ろしている。


 ――不審者、ねぇ。そういえば朝に見た二人組もかなり怪しかったな。


 太一と氷華が見かけた謎の二人組。彼等は文字通り“突如”、太一と氷華の前に姿を現した。


 ――確か、空間がぐにゃって歪む感じの変な感覚がして……。


 氷華が丁度あの時の事を考えていた瞬間、それは唐突もなく現実へと変化する。


 ――――シュンッ!


 何かが、空を切った気がした。再び訪れた、一瞬にして視界と空間が歪む感覚。それを感じ取った氷華は反射的に振り向くが、後ろには見慣れたロッカーしか存在しなかった。氷華は「気のせいかな」と思いながら再び溜息を零す。隣に座る太一は氷華の行動に首を傾げ、彼の視線に気が付いた氷華は再び太一の方を向き直った。


 ――うーん。あの謎の二人組、何だったんだろう。


「ね、太一もそう思うでしょ?」

「いや、俺に読心術とかそういう類の技術はないから」

「朝会った謎の二人組の……あれ? 太一、後ろ」


 その時、太一が座る椅子の背もたれ部分に謎の紙切れが貼ってある事に氷華は気が付く。腰かけた時には存在しなかった筈のそれを不審に思いながら、太一は「ん? いつの間に」と椅子の後ろに手を伸ばし、まじまじと眺めていた。次第に太一の顔が歪んでいく様子を見ていた氷華は次第に興味を抱き始め、ひょいっと後ろから張り紙を覗き込む。


「ラブレター? 果たし状?」

「……何だ、これ」

「え」


 その紙の上には、幼児が書くような歪な文字で――不可解な文章が並べられていた。


「“ふナこいでこり、お>じようでまつ”?」



 散々頭を悩めた結果、太一と氷華はある答えに辿り着いた。正解している自信は限りなく少なかったが、どう頑張ってもこの答えにしか辿り着かない。


「読みにっくい平仮名の中に、不自然に混じる片仮名の“ナ”。これは次の“こ”と混ぜ“た”になる。で、こいつ……“い”と“り”を逆似書いてる」

「この謎の不等号“>”。これは“く”と間違えて書いちゃったと仮定。そして“よ”が他の字よりも若干小さめだから……」

「「つまり」」


“ふたりでこい、おくじょうでまつ”

“二人でこい、屋上で待つ”


 それが、やっとの思いで辿り着いた答えだった。



「子供みたいな間違いしやがって……何歳児だっての」


 太一は暗号解読で気疲れしてしまい、ガバッと自分の机に顔を突っ伏す。そして書かれていた文章を改めて見上げ、復唱した。


「二人でこい、屋上で待つ――って何だよ」

「え、決闘の申し込みじゃないの?」

「それはないって。俺、番長的な不良キャラじゃないし。そもそもこの学校は不良とか少なくて平和だろ。決闘なんかありえないって。隣町のその筋で有名な学校じゃあるまいしさ」

「ま、確かに……太一に喧嘩を申し込むなんて無謀な事する人は滅多に居ないだろうけど」


 氷華は苦笑いを浮かべながら、謎の文章が書かれた紙に再び目を向ける。よく見るとそれは連絡事項が記載された配布プリントの裏らしく、文字は黄色いチョークと思われる物で書かれていた。まるで校内にあるものを使い、急いで書き殴ったような乱雑さだ。


「だいたい“二人で”だから。氷華も呼び出しって事になってるからな」

「え、冗談はよしてよ番長」

「だから番長じゃないって!」


 未だに担任はこない。かれこれ始業式の予定時刻から一時間は経ってしまった頃だろうか。ずっと座っている事に疲れた太一は、静かに席を立ち上がって背伸びをしていた。その行動に、氷華は目を丸くさせながら太一を見つめる。


「行くの?」

「折角だから。行ってみないか? ここで待ってるだけじゃ退屈だしさ」

「うーん、退屈なのは同感だけど……でも」

「でも?」


 ――何となく……“ここで行かなきゃいけない気がする”のは何故だろう? そんな事言っても太一は信じないだろうけど。


 何故そんな事を思うのか、氷華は自分で自分が理解できなかった。虫の知らせというものだろうかと考えながら、少し悩んだ後に氷華も「じゃあ、行ってみようか!」と立ち上がる。

 太一と氷華は騒がしい教室をこそこそと抜け出し、屋上へ向かって歩き出した。二人は謎の呼び出しの事で頭が一杯になり、教室から出てはいけないという指示はすっかり頭から飛んでいて――本当に自分たちを呼び出す人物が居るのかどうか、それは一体どんな人物なのか――その好奇心だけしか頭になかった。

 階段を一歩ずつ登り、太一と氷華は屋上へ続く扉を開ける。

 気付かずに立っていた運命の分岐点、自らこじ開けた運命の扉の先には――日常から飛び出した世界が待っているとも知らずに。



 ◇



「私たちに決闘を申し込むなんていい度胸だなーッ! ……って太一が言ってました」

「言ってないから!」


 氷華は屋上の扉を開けながら叫び、続いて太一が弁解を叫びながら足を踏み出す。広がる空は快晴、気温は暑くもなく寒くもなく良好だ。


「遅い!」

「待ちくたびれちゃったよー」


 そこに響く二つの声。太一と氷華は声の方向、貯水タンクの上へと視線を向けると――そこには今朝に見かけた謎の青年と少女が座っている。


「あ、朝の怪しい二人組」

「太一、なんか人違いみたい。暗号もう一回解読し直そうか」

「そうだな。こんな怪しさの象徴みたいな奴に呼び出される訳がない。できれば関わりたくない系の雰囲気してるし」

「「って訳で失礼しました」」


 そのまま太一と氷華はくるりと踵を返した。怪しすぎる二人組の存在は確かに気になってはいたが、今回の暗号とは無関係だろうと一方的に判断し、再び屋上の扉へ手をかける。

 しかし、帰ろうとする二人を見て謎の青年は必死に呼び止めていた。


「いやいや、お前等だから! そこのアホ毛と寝癖!」


 青年の言葉に、太一と氷華はぴくりと肩を動かした。足を止め、くるりと顔だけ振り返る。


「「え?」」


 続けて足も青年の方へ動かしていた。


「誰がアホ毛? これは圏外でも危険に反応してくれるアンテナで凄いものなんだよ」

「この髪型はちゃんと毎朝セットしてんだよ! 寝ながら!」


 謎の迫力に青年はうろたえ、内心で冷静にツッコミを入れる。


 ――凄くないし、それって寝癖じゃん。



 どうしてもと頼み込まれ、太一と氷華は謎の二人組の話を聞く事にしたのだが――酷く現実離れしていて、思わずフィクションと疑ってしまうような内容だった。


「二人の話を要約すると……」


 太一は空色の髪の青年を指さしながら「お前がカイ」と短く言い放つ。カイは肯定を表すように黙って頷き、太一は次に少女へ視線を向けた。少女を指さしながら「こっちがソラ」と言うと、少女はにこにこ笑いながら「そうだよ」と楽しそうに答える。


「で、二人は神様の部下と言い張る――現実逃避者」

「誰が現実逃避者だッ!」

「神様は本当に居るんだよ!」

「って言われてもね」


 ――新手の宗教の勧誘、かなぁ。


 氷華も未だにカイとソラの話が信じ切れず、呆れ顔で傍観していた。反論する二人に構わず太一は溜息混じりで続ける。


「それで、俺と氷華は選ばれた人間って奴で、この世界の救世主になれるかもしれない存在。世界征服しようって企んでる奴が居るから、世界を救う為に協力して欲しい……ってところ?」

「まあ、簡単に言うとそんな感じ」

「そうかそうか」


 そして太一は卓袱台をひっくり返すような動作をしながら叫んだ。


「……って、誰がそんな話信じられるかーッ!」


 氷華は苦笑いを浮かべて「それが普通の反応だよねー。盛大なツッコミありがとう」と呟く。

 笑っている氷華の傍ら、カイは「やっぱりこうなったか……」と面倒そうに溜息を零し、静かに立ち上がった。そのまま右手を天に掲げるという不審な行動を取るカイを、太一と氷華は怪訝な視線でじっと見つめる。


「一体何を――」


 そう言いかけた氷華の口が止まる。太一もあまりの光景に目を見開いていた。

 カイが見せたのは、この世のものとは思えないような非現実的な奇跡。カイの右手を中心とするように空気中から徐々に水分が集まり、次第に巨大な水柱を形成していったのだ。ぎゅっと掌を握ると、それは音を立てて勢いよく崩れ落ち、太一と氷華に水飛沫が飛散する。氷華が「何、これ」と目を見開かせる様子を見ながら、カイは水が張り付いた髪を掻き上げ、得意気にニヤリと笑っていた。


「これが俺たちの普通。お前等の普通とは世界が違うって事。どう? 俺たちの話、少しは信じる気になった?」

「っ……何だよ、そのびっくり手品」


 太一も焦りを隠すようにニヤリと笑って虚勢を張るが、その表情にはカイと違って余裕はない。


「あ、カイばっかり! それならソラも!」


 その言葉に太一と氷華はソラを見ようとするが、“見れなかった”。先程までソラが居たフェンス付近に彼女の姿はなく、いくら周囲を探しても見つからない。


「こっち、こっち! ここだよーっ!」


 声がした方向を見ると、ソラは貯水タンクの頂上で手を振っていた。文字通りの“一瞬の出来事”に、太一と氷華はポカンと口を開ける。衝撃の連続で、開いた口が塞がらないという状況に陥っていた。一般常識的に考えて、普通の少女が一瞬で移動できる距離や高さではないだろう。太一は「どうやって……」と呟き、氷華も信じられないようにカイとソラを交互に見ていた。


「これで信じるだろ?」

「ねっ!」


 カイが挑戦的に笑ってみせると、再び一瞬にして太一と氷華の眼前に戻ったソラもにこにこと楽しそうに笑う。人間とは思えないような奇跡を前に、太一と氷華は揃って同じ事を考えていた。


 ――反論なんて、できない。

 ――これじゃあ、信じるしか……!


「そうか、信じてくれるか」


 突然響き渡る第三者の声に、太一と氷華はビクッと肩を上げて振り返る。カイとソラも驚いたように声の方向へ向き直った。

 そこにはまた新たな人物が現れたのだが――その人物を見て、太一と氷華は絶句する。


 太一と氷華の背後には、純白の衣服を纏った青年が“浮かんでいた”からだ。




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