第1章 ワールド・トラベラーが生まれた世界

第2話 北村太一と水無月氷華の日常


 ダダダダッという効果音と共に、ひとりの女子生徒が朝の街を全力で駆け抜けていた。

 琥珀色の髪と、ぴょこんと立っている逆毛が慌ただしく揺れる。髪と同色の瞳は、少しばかりの焦りの色を浮かべていた。今にもずれ落ちそうなスクールバッグを肩から下げ、人々の間を器用に駆け抜けながら大通りを飛び出す。入りこんだ住宅街へと風景が一変し、肩から下がってくるスクールバッグをぐいっと乱暴に上げた。


「全く、何で金曜に始業式なの……今日も休みでいいのに!」


 彼女は今、新学期の始業初日で遅刻寸前という緊急事態である。

 さて、ここからは一般的な“お約束な展開”へ突入する事が予想できるだろう。この場合の“お約束な展開”とは、さっくり焼けた温かいトーストを咥えながら遅刻寸前で登校中、美青年と曲がり角で正面衝突。一瞬で恋に落ちた後、教室に入ってきた先程の美青年――転校生と運命の再会を果たす――なんて展開だろうか。

 しかし、その“お約束な展開”との共通点を探せば――残念ながら遅刻寸前という一点しかない。

 通学途中の女子生徒、水無月氷華(ミナヅキヒョウカ)は朝からトーストという生温いものではなく、キンキンに冷えたアイスキャンディを咥えていた。ちなみにそれは彼女にとって至って普通の朝食である。


「今日もアイスかよ。ほんと、毎日毎日飽きないな?」


 耳慣れた声に、氷華はぱっと顔を明るくさせながら自分の後ろを振り返る。スポーツ用のバッグを氷華と同じように肩にかけ、墨色の髪を無造作に跳ねさせている青年が颯爽と走っていた。少しの寝ぐせと、寝不足によって目が虚ろな部分を除けば――青年、北村太一(キタムラタイチ)は爽やかな好青年という部類に入るだろう。ちなみに太一の方は“お約束な展開”風に、焼き立てのトーストを咥えていた。


「太一!」

「あーあ。こんな事なら昨日、調子乗って夜中までゲームしなかったのにな」

「見事に二人共忘れてたからね」


 太一と氷華は、所謂幼馴染の関係である。家が隣同士、互いの部屋から窓を開ければ会話可能で、まるで“お約束な設定”をそのまま表したような環境だ。思春期特有のすれ違い等はなく、基本的には学校でも親しげに話している事の多さから、一部からは恋人同士と噂される程。しかし、噂は噂である。実際の様子を間近で見ているクラスメイトたちは、それがあくまで噂でしかないという事を痛感していた。

 実際のところ、太一と氷華は恋人というよりも――コンビ、相棒、親友等の表現が相応しい。


「だけどあれは魔王が悪い。あんな風に挑発されたら受けて立つしかないだろ」

「確か……「くくく……倒せるのか? 人間如きに、この俺がッ!」だっけ」

「うわっ、全然似てない」


 太一と氷華は前日、正確には今日までテレビゲームに熱中していた。

 前日、二人は溜め込んでいた休み中の課題を一気に片付け、やっと気兼ねなく始業式に参加できる状態を迎えたのだ。課題からの解放感で太一と氷華はそのままテレビゲームを始め、見事に時間を忘れてしまった。

 ゲームの内容は“主人公が救世主となって魔王を倒し、崩壊していく世界を救う”という王道ストーリーである。日付が変わった辺りで「区切りのいいタイミングで止めよう」と意気込んだものの――結局タイミングを失ってしまい、魔王を倒す展開まで進めてしまった。ちなみにゲームクリア時、時計の針は四を過ぎていた。

 現在の時刻に気が付いた太一と氷華は慌てて自室へ戻り、すぐに布団へ潜った。互いに「始業式は週明けから。今日はこのままゆっくり寝ていよう」と思い浮かべながら。だが、太一と氷華は揃って大きな勘違いをしていた。始業式は週明けではなく、金曜である今日だった事を。

 こうして、現在に至る。


「今日の予定って何?」

「始業式、ホームルームで終わりだって! 午前中には終わる筈だよ」

「あぁ、弁当持ってこなくて正解だった」


 通学路をひたすら走り、この曲がり角を抜ければ校門が見えるという距離まで辿り着いた。


 ――ここで転校生とぶつかる! なんてベタな展開は……まぁ、ある訳ないか。


 太一はそんな事を内心で考えるが、隣では氷華が呑気に「このコーナーを曲がればゴールは目前!」と楽しそうに笑っていた。


「コーナーって……」


 身体を捻ると同時に、ぐるりと風景が変わる。いつものように、特に変哲もない校門が見える筈だった。

 遅刻寸前という事を除けば、太一と氷華が一緒に登校する事は日常だ。曲がり角で見える風景、今から起こるであろう学校生活も、全てが日常。


 だが、この時の日常は違っていた。



 その瞬間、太一と氷華の目の前の景色がぐらりと揺れ、まるで地震が起こったかのような錯覚に陥った。立っている事も困難になり、驚きながらその場で足を止める。突如、目が眩むような光を浴びた太一と氷華は、その光から一時的にでも逃げる為、ぎゅっと目を瞑った。瞼の裏から光の気配が消えた事を感じ、数秒後に恐る恐る目を開けると、目の前に――。


「とうちゃーくっ!」

「ったく、本当にこの世界に居るのかよ……救世主」


 謎の青年と少女が現れた。



 ◇



 突然目の前に現れた謎の青年と少女に対し、太一と氷華は目を点にさせながら固まっていた。

 空色の髪を一方に流し、耳にはキラキラとしたピアスを輝かせる青年。その空色の髪はあまりの鮮やかさで目を奪われそうになる。彼は太一と氷華からの視線に気付くと、石のように身体を硬直させ、額からダラダラと冷や汗を流していた。

 もう一人の少女は、小さな身体と幼い顔立ちから小学生――または中学生、のような外見をしていた。色素が薄めな小麦色の髪をふんわり揺らし、宝石の如き青緑の瞳を大きく見開かせる。青年とは対照的に、少女は新しい玩具を見つけた時の子供のように、とても楽しそうに目を輝かせていた。


 ――……一体どんな手品を使ったんだろう?

 ――と、突然現れたよな? それにさっきの光は一体……。

 ――ヤバイ、一般人にばれた!?

 ――探しているのがこの人たち……だったらいいのになぁ。


 それぞれ四人はばらばらの事を考え、暫く沈黙が続く。疑問と不審、焦りと憶測が交差していた。しかし沈黙を打ち破るのは、太一でも氷華でも、目の前の青年や少女、という訳でもない。もっと機械的で、一方的で、現実を突き付ける音である。


 ――――キーンコーンカーンコーン


「や、ヤバイ! 遅刻! 走るぞ氷華!」

「え、あ――うん!」


 太一と氷華は始業を告げる鐘の音で我に返り、自分たちが置かれている状況を即座に思い出す。遅刻が懸かっている彼等にとって、こんなところで立ち止まっている暇は一秒もなかった。太一は氷華の腕をぐいっと引っ張りながら再び足を動かし、氷華も太一に引っ張られながら、半ば強制的に足を動かす。

 だが、突如現れた青年と少女が何故か異様に気になるのも事実。氷華は黙ったままで顔だけを振り向かせるが――。


 ――あの二人……あれ?


 謎の青年と少女は消えていた。



 ◇



 キキィッという少し錆びかけた音を奏でながら閉まりかける校門を前に、太一と氷華は全力疾走の勢いを殺さず――ガンッと校門の上端に手を突いた。そのまま手元へ体重を移し、足を思い切り振り上げる。跳び箱の要領で校門を飛び越えた先で体操選手のように華麗に着地するその技術は、運動神経と寝坊回数を重ねた長年の経験からできるものだった。


「水無月選手、八点、九点、十点」

「北村選手、十点、十点、十点」

「「よって、遅刻免れたり」」

「はいはい。水無月選手も北村選手も遅刻、と」


 太一と氷華の横をすたすたと通り過ぎる生活指導の教師は、慣れているような態度で無情な言葉を吐いた。反省文を免れたい一心の太一は教師に弁明するが、氷華の方は既に諦めているらしく後ろをゆっくり歩き出す。


「実は道端で倒れていたおじいさんを病院まで送って」

「おじいさんね。わかった、わかった」

「そうしたら突然変な光に襲われて」

「変な光ね。わかった、わかった」

「これは本当っすよ!」

「これは?」

「うっ……」

「ほら、急いで教室に向かいなさい。急いで、な」


 ――あの変な二人組に会わなかったら、ギリギリ遅刻しないで済んだかも。


 太一と氷華は二人で同じ事を考えがなら溜息を零し、自分たちの教室へと駆け出して行く。



 こうして今日も、太一と氷華にとっての何気ない日常が始まろうとしていた。 




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