第16話
ミラの心配はグリンティアだった。
彼女たちは、ミラの思考能力の限界を越えた存在だったし、明らかにミラを認めない態度と敵意を持っていた。ミラの幸せに影を落とす存在があるとしたら、彼女たちに他ならなかった。
今のシルヴァーンならば、彼女たちが何者なのか教えてくれるかもしれない。しかし、森の一件以来、ミラはなぜか聞くことができなかった。
『我がグリンティア』とシルヴァーンが呼ぶ彼女たち。彼女たちの正体を知ることは、シルヴァーンの隠された部分を探ることでもあるように思えた。
知りたい。
でも、知ってはいけないと、心が警告を発していた。
それよりもミラは、やっと手に入れた幸せを失いたくはなかった。
下手な刺激をして、シルヴァーンを苦しめたくなかったし、彼に嫌われたくもなかった。
今や、足が不自由でどこにも行けないミラは、ここでこうして生きるしか、道はないのだから。そして、今が今までの人生で一番、幸せだと知っているから。
それに、どのような嫌がらせを受けるのか? と心配したグリンティアたちも、あきらめたのか二人の仲を黙認している。
ミラにとっては、意外なことだった。
むしろ、シルヴァーンが出かけてしまう日中、一人きりのミラにとって、頼もしい友人たちになりつつあったのだ。
シルヴァーンが森へ出かけてしまうと、小さなグリンティアが、すぐに顔を出す。
そして、レースの編み方を教えてくれたり、本を見せてくれたりする。文盲のミラには読めなかったが、絵を見せてくれて熱心に説明する。
優しい目のグリンティアは、この村独特の料理の作り方を教えてくれた。あの時のやりとりが嘘のように、穏やかで優しい。
見たことのない穀物や野菜を運んでくるのは冷たい目のグリンティアで、彼女は要件だけ済ませると、さっさと消えてしまう。
「あれは、難しい年頃なのです」
優しい目のグリンティアがそう呟くと、ミラは不思議な感覚をおぼえた。
――グリンティアは一人……。
それは嘘ではないのだろうか?
――グリンティアは幻……。
それも違うのではないだろうか?
幸せに麻痺して忘れそうになる。
しかし、時々彼女たちと重なるべき手が触れなかったりすると、嫌でも思い出すのだ。
ここは幻の世界。もしかしたら、この日常も幻かもしれない。
家を掃除したような気になり、料理をした錯覚に陥り、食べたと勘違いしているのかもしれない。そう思うと、この村のものは味気ない食物に感じる。
何か、自分を受け入れない秘密があるのだ。
ミラは、不安を覚えた。
グリンティアたちは、常にミラの回りにいた。
時々、鋭く観察されているような視線を感じる。もしかしたら、グリンティアたちに見張られているままなのかもしれない。
仲良しだと思っていても、小さなグリンティアの瞳が光る。
ミラはうろたえた。グリンティアたちは純血種なのだ。声に出せるようなはっきりした意思ならば、汲み取られてしまう。しかし、グリンティアは、目を読みかけの本に落とした。
あわてて桶をとり、足を引きずりながら外へ出る。
窓から観察しているグリンティアの瞳を、背中にじわりと感じた。ミラは気がつかないふりをして、桶を井戸に下ろした。
水をくみ上げる井戸の横で、枯葉がカラカラと音を立て、旋風に弄ばれている。
――声が……聞こえる。亡霊の声が……。
『あぁ、我が同士よ。哀れにも幻に囚われたか』
ミラは聞こえないふりをして、手早く井戸から桶を引き上げる。
動悸がする。言葉を振り切るように、鼓動にあわせてガラガラとせわしなく桶は上がってくる。あわてすぎたのか、水は半分以下に減っていた。
小さなグリンティアが、窓の向こうで不思議そうな顔をしている。彼女には亡霊の声が聞こえない。
ミラはほっとため息をついた。
「ほう、これは面白い異物だな」
突然の男の声にミラはあわてて振り返り、残り半分の水が入った桶を落としてしまった。桶はミラの足元でカラカラと転がった。
来客だった。この村にグリンティアとシルヴァーン以外の人を見たのだ。
銀髪の男は、やはりサークレットで額を隠し、水色の瞳を持っていた。シルヴァーンよりもやや年長で、精悍な顔立ちをしているが、同じ種族であることは間違いない。しかし、着ている服は旅装束でリューマの商人たちと変わりのないものだった。
ミラは、時々集まってくるというシルヴァーンの兄弟の話を思い出していた。すぐに言葉になるような思考ならば、やはり純血種であるこの男は読むことができた。
「その通り。我がグリンティアのもと、我が兄弟姉妹は集うのだ。我が名は、エルヴィルという」
男は名乗ると腰をかがめた。
純血種が混血のミラにお辞儀をするはずがない。動揺するミラの足元に転がった桶を、何気に拾おうとしただけだった。
が、エルヴィルと名乗った男の手は、桶に触れたところで止まってしまった。ミラの足元をじっと見つめている。
「おまえは足が不自由だと思っているな」
ミラは疑心暗鬼の目で、シルヴァーンの兄らしい男を見つめた。歩いて見せたわけではないのに、なぜそのようなことまでわかってしまうのだろう。
不自由だと思っているのではない。本当に動かないのだ。一角獣に襲われた時にひねって、それ以来治らない。
エルヴィルは上目使いでミラを見て、にやりと微笑んだ。そして、いきなりミラの足首を掴んだ。
「きゃ!」
短い悲鳴とともに、ミラは体勢を崩して倒れこんだ。
「エルヴィル!」
冷たいグリンティアと小さなグリンティアが、駆け寄ってきて叫んだ時には、ミラはエルヴィルの腕の中にいた。
シルヴァーンと同じ種族でありながら、彼からは森の香ではなく、なぜか土の香がした。
それは一座の生活臭に似ているような気がした。
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