第4話
「我がシルヴァーンよ。悪意はなくても、よそ者のすることはたいてい悪となる。この女はあなたへの恩を仇で返すことになりましょうよ」
少女の声は厳しく響く。まるで年下ではないかのような物言いだ。
「この人の死こそ、禍をまねくだろう」
男の声は冷たく返す。
どうやら自分のことを話題にされていると気がついて、ミラは驚いて起きようとした。
しかし、体が動かない。焼けつくような痛みが胸に、そして背中に走る。
一角獣に襲われてけがをしたことは、夢ではない。真実らしい。
「おい? 気がついたようだ」
誰かがミラの顔を覗き込む。
ミラのかすむ目に映ったものは一角獣の冷たい瞳。しかも、なんと三つの目が睨んでいる。
ミラは驚いて声をあげそうになった。
それは少女の瞳だったのだ。
一角獣のように澄んだ青い冷たい瞳をしている。しかも、そこに浮かんでいる憎悪の念は、あの獣とまったく同じものだった。
そして、目だと思っていたものの一つは、額に埋め込まれた青い宝玉だった。透明な結晶の中に青色を閉じ込めた冷たい水晶。身も凍るような寒々とした光を放っている。
少女は白い肌に銀色の長い髪を持っている。木の葉のように尖った耳は、注意深くこちらを向いている。
エーデム族でもウーレン族でもムテの人々でもない。だが、間違いなく純血を保つ魔族だった。
リューマ族にはないかすかな魔力を感じて、ミラは自分よりも明らかに年下の少女を恐れた。
少女は、下らないというようなそぶりで、つんとそっぽを向いた。
「よそ者の女。早くよくなり、早くこの村を出てゆくことだ。我が村と我がシルヴァーンに禍を与えるなら、私はおまえを殺す」
威圧的な声だった。
少女が出て行ってしまったあと、小屋にはミラと男が残された。
男も、少女と同族らしい。兄妹のようによく似ていた。
少女の言っていた『我がシルヴァーン』という不思議な呼び方。おそらく、彼がシルヴァーンなのだろう。
彼は、銀糸のように滑らかな髪を見事な細工のサークレットで押さえ、その細工に負けないほどの美しい青い瞳を持っていた。
彼はミラが横になっているベッド脇に薬湯を運んできた。
「我がグリンティアのいうことは、気になさらぬよう……。でも、早くよくなり、早くこの村を出てゆくことは、あなたにも我々にもいいことです」
そういうとシルヴァーンは、ミラをそっと抱き起こして薬湯を差し出した。
今までミラが知っている男性、つまり脂ぎった座長や痩せぎすの小間使いとは違う、何か不思議な存在だった。
無駄な肉のない腕ではあるが、やせ細っているわけでもない。ミラを支える腕は、固く引き締まっていたが、けが人を支える優しさを持ち合わせていた。
しかし、それでも激痛だった。けがはかなり重いらしい。命があることすら奇跡に感じた。
ミラはごほごほとむせてしまい、ますます痛みに顔を引きつらせた。
「無理をしないで……。ゆっくりと……」
薬湯から、かすかな木の香りが漂う。心を落ちつかせ、痛みを和らげる香りだ。
一口、二口と、やっと飲んで、ミラは再び横になった。
そして、あっという間に、再び眠りに落ちていた。
夢ではなかろうか?
次に目を覚ましたとき、ミラは今度こそ一座の天幕の中で目覚めるのだろうと思った。
だが、夢は一座のほうだった。少し前に経験したことが夢となって繰り返され、ミラを苛んでいたらしい。
寝込んで罵られ、ひどく蹴られた。それは、実際にあったことだ。
一座の女に責められて、散々謝るミラを救ったのが、結局は様子見していた座長だった。だが、それから数日後の夜、育てた恩やら救ってやったことを延々と語られて、無理矢理、座長の天幕に連れこまれたのだ。
他の女たちが何をされてきたのか、知らないミラではない。いつかは我が身に降りかかることと、恐れおののきながらも覚悟はしていたはずだった。生きるためには仕方がないことなのだから。
何をされても我慢と思っていたのだが、体はまったく別の反応をした。酒の臭いのする口づけだけで、気持ち悪くなってしまい、気がつくと座長を水差しで殴って逃げ出した。
そこまでは現実だ。
だが今は? すべては夢と変わり果てた。
自分の身を包んでいるものが、肌ざわりで上質な生地であることがわかった。ミラには手にしたことがないものだった。都会でご婦人が好んで身につける絹というものだろう、見ると穢れのない白だった。
ベッドも旅の一座には寝ることのできない柔らかなものだった。繊維の長い木綿を使っているのか、シーツがしなやかだった。
夢のようだが、この肌触りは夢ではない。今は、どうやら現実なのだ。
天井の木もそのままだった。ミラは、誰かに助けられ、見知らぬ家で介抱されている。
ふと覗き込む人の気配を感じた。
一瞬、ぎくりとしたが、あの少女でも一角獣でもなかった。先ほどの青年・シルヴァーンだった。
薬湯を飲んだ後、いったいどのくらい眠っていたのか、ミラには見当もつかなかった。その間、ずっと側にいてくれたのだろう。
そして、この人が自分の命を助けてくれたのだと思うと、胸の奥が熱くなった。
激痛ゆえに出なかった言葉が、やっとミラの口元に上がった。
「ありがとうございます。おかげで助かりました。私は、どうしてここへ? ここは……いったい?」
我がシルヴァーン……と、先ほどの少女は言った。
話しかけたその人は、年端もいかぬ少女の主人なのだろうか?
二十歳はすでに越えているだろう。純血種は長命な種族が多いので、もしかしたらもっと長い時を生きているのかもしれない。
「そのようなことを気にしてはなりません。あなたはよくなって、ご自分の国に帰ることだけを思えばよいのです」
シルヴァーンの瞳がやや曇る。
そこには、すべての詮索を拒絶する強さがあった。
彼は美しい銀髪をなびかせて、ベッドの横から離れていった。
怒っているのではなく、思いのほかミラの調子がよいと判断して、食べるものを用意しているようだった。やがて、粥の香りがかすかに流れてきた。
なぜ、助けてくれたのだろう?
死にかけた旅人など、種族が違えば、普通は助けないのが魔族同士なのだ。ましてや、血の交じり合った種を嫌う純血種は、リューマ族にはとどめすらさしてくれるものなのに。
多くの純血種が、滅びの道を歩んでいる。
その原因は、人間の血を取り込んだリューマ族のせいだと思っている者もいる。
リューマ族は、人間同様の繁殖力を持って、純血を脅かしているのだ。
おそらく、この種族も、今や稀となり、国も持てないほどに珍しくなった純血種に違いない。さぞや、リューマ族は嫌いだろうに。
やがて、シルヴァーンが粥を運んで来た。
細く美しい指先が、銀のスプーンをうまく使い、そっと息を吹きかけて冷ましてから、ミラの口元まで運ぶ。
食べたことのない不思議な味だったが、まずくはなかった。しかし、まだ傷が痛むミラは、三口食べてその後は受け付けなかった。
彼は無理強いはしなかった。だが、ミラは圧倒される。
美しく優しげに見えて、どこか有無を言わさない威圧感があるのは、純血魔族が持つ魔力のせいだろうか?
もう食べないと悟ると、シルヴァーンは何も言わずに立ち上がり、即座に粥を下げてしまった。
ごめんなさい……の一言も言わせない。
何の弁解もお礼の言葉すら、受け付けない。
ミラはすがるべきものに見放されたような感覚に陥り、ぞくっと震えた。
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