第7話 僕、酒場で犯罪奴隷について考える

 夕闇が迫る中、街の門が閉まる前にどうにかそこを潜り抜けた僕たちは、当然ながら宿も取れず、仕方なく酒場にやってきている。


 ヘンリエッタ曰く、流石に今の時間になって店を開けているのは酒場と娼館ぐらいのもので、他の店は日が沈み切る前に店じまいをするのが普通らしい。知らなかったので今度からもう少し早く街に入ろうと心に決めた。……というか、今思えば夜移動する手も……無いな。ロバくんが寝る。


 ……話を戻そう。ヘンリエッタが言うには酒場の中でも、看板に三日月のマークがある店は夜から朝まで営業している深夜型の酒場で、酒さえ飲めるなら夜を凌ぐのに使えるとのこと。


 というか、ぶっちゃけ連れ込み宿に近い個室の酒場が多いそうな。タオル生地のカバーが掛かったソファとローテーブルが置いてあるのが基本らしい。


 そんなわけで、ちょうど夕食も食べたかった僕たちは、そんな酒場の1つにやって来ているのだ。……のんびりと酒を楽しみたいところだが、今はお腹が空いているオーティスのお腹を満たすのが先決である。


「オーティスは何が食べたい? ……ああ、店員さん、僕はエールと、何か合いそうなおつまみを」

「あ、旦那さん! 俺、このミートローフっての食べたい! 名前が美味そう!」


「名前が、って事は、知ってるわけではないのか。挽肉を固めて焼いた奴だよ。肉屋の息子に『教えてもらった』。……ヘンリエッタはどうする?」

「……オーティスは野菜食べなさそうだから、ラタトゥイユにするわ」


「優しいお姉ちゃんだね、君は。……じゃあ、店員さん、ラタトゥイユとミートローフ1つで。飲み物は……酒精の弱いラガーとかあります? あるならそれで」


 夜の酒場というだけあってか胸元が大きく切り込まれた扇情的な衣装の女性店員に注文を告げ、僕は改めてオーティスとヘンリエッタに向き合った。


「オーティスはさ、こういう所に来たことないの?」

「ないよ? 俺、男娼だったんだけど、同伴とかそういうのはやったことないんだ」

「ヘンリエッタは?」

「私は逆に、娼婦だったから酒場に同伴ってのはよくあったわね」

「男娼と娼婦で違うの?」

「世間の目があるからね。男娼との遊びは隠したがる人が多いわ」

「面倒だねぇ、人間社会って」


 そんな会話をしていると、僕にエールと干し肉や炒り豆、オーティス達の前にラガーとミートローフとラタトゥイユが置かれ、僕たちは軽く乾杯してから雑談のついでの情報交換を続行する。


「ほうひへは……むぐっ……う、ごめんよ姉さん、えっと、そう言えば旦那さんは人間なんですか?」

「ヘンリエッタ、無理矢理飲み込ませて喉に詰まらせないでね? ……で、オーティス。その質問が出るってことは答えは薄々勘づいてるでしょ? ……まぁ、君たちが言ってたように死神っぽいものかな? 世界に生み出された装置とか、神に遣わされた天使とかでもだいたいあってる。……なんにせよ、人間じゃないのは確かだよ。」

「ほへーすごいなぁ…………オーティス、『ほへー』は流石にあんまりにもバカっぽいわよ? ……ねえ旦那さん、証拠みたいなのって……いえ、ごめんなさい」

「なんで謝るのさヘンリエッタ。……証拠ね。……よく見といてよ?」


 そう言って僕は自分の眼窩に指を突っ込み、目玉を抉り出す。ちょっと痛い。……いやまぁ、人間なら超絶に痛いのだろうが、僕の再生力は並みではない。一滴だけ血の涙を流した僕の眼窩の中で、見る間に目玉が再生していくのを見て、オーティス達はゴクリと生唾を飲み込んだ。


「うわぁ……旦那さん、本物だ……。オーティス、私達、思ってたのよりもっと凄いご主人様に買われたみたいね……。うん……」

「ふふふ。そこまで驚かれるとなんだか誇らしいね? ……あ、そうだ、これ、食べる?」

「え」


 指で摘んだ僕の目玉は、別に死んだわけではない。うねうねと視神経を蠢かせ、僕の指に絡みついて周囲をギョロギョロと眺めている。


 それを差し出して食うかと聞かれた2人は、一瞬反応に詰まったようだが、やがて緊張した面持ちで、ツバメの雛のように「あーん」と口を開いた。そこに飛び込んだ目玉君は、ほぼ丸呑みの状態でミートローフと一緒に胃の中で消化されている。本体ではないが故に再生能力が消化力に負けているので、そう遅くないうちに胃液と膵液でドロドロに溶けてしまうだろう。


 何故わかるのかといえば、あの目玉は僕の目玉なので、見えているのだ。……これ、思いのほか便利なのではなかろうか。……いやまぁ、なんに使うのかという話ではあるけれど。……偵察とか?


「……ふふふ、俺、旦那さん食べちゃった。…………いや、オーティス、そんな夢見心地の顔で蕩けないでよ」

「オーティスは好きな人を『食べちゃいたいぐらい好き』な子だからねぇ。……ヘンリエッタは嫌だった?」

「そういう訳じゃないわよ。でも食べ癖がついたらアレじゃない?」

「オーティスが食べたくなるようなのが現れなければ大丈夫じゃないか? 僕への感情は呪いによる強制的な好感度上昇なんだし、それレベルのことがない限りは平気でしょ」


 なんて会話をしながらも、オーティスとヘンリエッタが料理を食べ終えたので、飲み物のお代わりを頼むついでに皿を下げてもらう。


 と、オーティスがおもむろに、席を移動して僕の隣へとやってきた。


「ふふふ、旦那さんの隣〜」

「オーティス、君、酔ってる?」

「違うわ、オーティスが単に甘えん坊なだけよ。……もう良い大人のはずなんだけれど、この子私が死んじゃったショックで心が子供に戻っちゃってるから……」

「なるほど。…………オーティス、ヘンリエッタが喋ってる隙に僕の内股を撫で回すのはやめてね?」

「えー」


 しなを作って寄り添ってくるオーティスは、鼻先を僕の鎖骨に擦り付けて不満そうに抗議する。潤んだ瞳、取り込んだ姉の影響からか柔らかな曲線を描く肢体。楊枝程度なら余裕で数本載せられそうな太く長い睫毛と、酒精と情慾で桃色に色付いた白磁の肌。その上を這う奴隷紋が妖しく煌めく様は、淫魔の類にすら見える。


 ……と、分析してみたものの、生憎と僕は色香には疎い。というかそもそも単一種故に生殖本能が無い。一応男性として製造されたので、男性器はある程度擬似的な機能を有するが、そもそも『種無し』なのだ。


 まぁ、死なないのだから種を維持する必要がないのは当然だろう。


 とはいえオーティスの艶姿を美しいなとは思うので、可愛がるのは吝かでは無いのだが。頭や顎先を撫でられて喜んでいる様はどこか猫っぽくて庇護欲求を唆られる。


 ……だが、しかし。


 奴隷紋というのはつくづく恐ろしい代物だ。もとより犯罪者用と割り切っているのか、人倫を無視し、対象の人格を凌辱するような呪術が平然と用いられている。魂への介入、精神改造、感情の操作、無条件かつ完全な主人への隷属。犯罪奴隷とは人狼刑——人権の完全剥奪——に端を発するものだと、奴隷商人との雑談の中で聞いていたが、成る程、狼を品種改良して『犬』に変えたというわけだ。


 オーティスとヘンリエッタが僕に懐いているのも、オーティスが今僕に慾情しているのも、全ては奴隷紋が原因だ。『所有者』から心象を読み取り、それに応じて奴隷の精神を『主人好み』に改造する。……僕にははっきりと、大量の呪が魂に干渉して改造していく様が見えるから、間違いない。


 そんなものを見てしまえば、せめて可愛がってやらねばという義務感を覚えてしまうのも仕方ないだろう。僕に触れられるたび、呪がオーティスとヘンリエッタの魂に強烈な多幸感を叩き込んでいるのが判っているのだから。


 ……だがオーティス君、膝枕をしてやるのは吝かでは無いけれども、うつ伏せなのはどうかと思うし、出来れば深呼吸しつつ時々痙攣するのはもっとどうかと思う。強化された嗅覚で股間を嗅がれるのは流石に恥ずかしいのだけれども。……というか、止めない辺りヘンリエッタも発情してるな?


 なんというか、飼い主の太ももに抱きついて腰を振る犬を幻視してしまうが……。流石にアレなので抱え上げてちゃんと座らせる。……筈だったのだが、オーティスが抱きついてきて、向かい合わせに僕の膝の上に座られた。


 目の前に、左右の均整が取れた中性的な顔が迫る。トン、と額が触れれば、合わせ鏡のように瞳の中に瞳が映る。


 ほぅ。と仄かに酒精を帯びて吐き出されるオーティスの吐息。その生々しい香りに鼻先を擽られ、僕の中でむくりと何かが起き上がる。それは、盗賊から取り込んだ性の記憶の残滓か、僕自身が持つ食欲という名の獣か。


 或いはその両方か。


 …………と、大層に言っておいてなんだが、制御できないものでもないようなので、とりあえず押さえ込んでおいた。おそらくは、喰った人間の性欲の残滓が僕が唯一持つ食欲と連結して『性的に食う』と言った類の欲望になったのだと思われるが、まぁ元々そういう機能がないのだし、気のせいと思えば消える程度の物でしかない。


 まぁ、オーティスの方は僕とは対照的に奴隷紋が齎す偽りの恋にあっさり屈服しているのだが。その柔らかな唇で貪るように僕の唇を啄ばみ、舌を差し込んでは蕩けるような笑みを浮かべている。


「旦那さん、旦那さん、旦那さん、旦那さん……んっ……」



 交互に紡がれる言葉。微妙なイントネーションと音程の差が、ヘンリエッタとオーティスの双方からの声であるとわかるようになったのは、雑談を重ねた賜物だろう。


 ……が、このままだと流石に面倒なので、ご主人様特権を使用する事にする。


「2人の気持ちは嬉しいけれど、ごめんね。『ヘンリエッタ、オーティス。おやすみなさい』」

「…………おやすみ、なさい」


 かくり、と僕に抱き着いたまま即座に眠る2人。……睡眠という生理的活動すら掌握されている犯罪奴隷にしか通用しない荒っぽい解決策だ。


 ……しかし、出会ってすぐでコレなら、一体全体、他の犯罪奴隷の主人はどういう生活を送っているのやら。……貴族やお大尽のオッサンが少女姿の犯罪奴隷を囲ったりしているのも頷ける熱烈アプローチだ。男女逆だとしても、若い男に傅かれることを望む女性は少なくないだろう。……同性愛者や両性愛者にも一定の需要があるのかもしれない。


 人間は群を作る生き物。故に『他者を従える』事に甚大な快楽を得てしまう。犯罪奴隷とはその欲求をストレートにぶつけられる発散対象として需要がある存在なのだろうな。


 …………うむ。これ以上の考察はまたの機会にしよう。明日になれば買い物をして新たな旅に出ねばならない。……が、流石に眠るのはアレだろう。スリや置き引きの類に対してあまりに無防備だ。


 なので、徹夜する。実に論理的だ。……ま、そもそも、どうやら僕は眠くならないらしいのだが。……睡眠は瞬きする間に全身の不調を修復できる生き物には不要ということかもしれない。


「とはいえ、一人で何もせずに夜を明かすのは退屈だし、酒の飲み比べでもするかな?」


 なんて独り言を呟いて、僕はメニューを手に取り次の飲み物を吟味し始める。




 ………………この後、やってきた店員がボソッと「美少年誘い受けと優しげな青年攻め……アリね……」とか言って居たり、朝まで飲み続けて居たら会員証が貰えたり、明け方頃にオーティスの夢精をこっそり始末してやったりという些事があったが、それについては割愛するとしよう。

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