第9話 朝食(上)

”ピピ!””ピ!””ピピピ!”


 ひたいで机にキッスをしている俺様の耳元で、軽快なリズムの電子音がダンスしてやがる。

 俺の正面では、少佐殿がDJのようにリズムを口ずさみながらホログラフキーボードを叩いている。


 ちなみに、なにを打ち込んでいるのかは容易に想像がつく。

『α国トップスパイの


 『ウニチャーム、スイート極薄々スリムタイプ。セクシー下着の貴女にピッタリ! 税抜き¥298』が、


 自慰を行い、下水に体液を流すときを、モールス信号に見立てて外部にメッセージを送っていた可能性アリ。

 なお、メッセージの内容は


『小官と一発ヤリたい』


 未だこのメッセージの意味するところは不明であるが、引き続き、警戒と監視を怠らない次第である』


”ターーーン!”

「はい! 本部への送信終わり! ついでに、今日の仕事も終わり! いや~こんなに早く今日の分の仕事が終わったのは久しぶりね。あ、協力感謝するわ。どうしたの? まだ眠いの? あ、そうそう、朝ご飯ね。すぐ支度するわ」


 手錠を外され、俺は部屋の隅にある記録係が使う、向かい合わせになった机へと歩む。

 こいつは合板と鉄パイプを組み合わせた、スクールで使うような安っぽいヤツだ。

 さすがに、ハイテク機器の塊である尋問机を飯の汁で汚すのは御法度らしい。


 ”フン、フフン、フン”とご機嫌な少佐は、部屋の隅にあるキッチンシステムへと向かう。

 さぁ、わかるだろう。月並みの、手垢まみれのシチュエーション。


 ここからが拷問の始まりだ。


 オッケーいいたいことはわかるぜ。この少佐殿が糞まずい飯を出すってことだろ?


 その前にちょっと拷問についてレクチャーしようか。

 私見しけんだが、拷問には三つのタイプがある。


 一つ目は拷問と聞いてすぐ思い出す、肉体的苦痛を与えるヤツだ。例えるならむち打ちや爪をはがしたりするのだな。


 二つ目は精神的苦痛を与えるヤツだ。これは寝たら微弱な電気を流したり、頭に水滴を一定の間隔で落とすヤツだ。


 しかしこういった拷問は昨今の人権意識によって世論の非難の的になってきた。

 つまり、外部の手によって何らかの苦痛を与えるのがけしからんというわけだ。

 そこでN国特別情報部は俺に向かって”新しい拷問”を毎日行っている。


 これが三つ目の拷問、『食のロシアンルーレット』ってヤツだ。


 つまり、外部から見たらごく普通の行いなのだが、拷問を受ける側からすれば糞まずい飯による内臓破壊。

 さらに過大なストレスによって精神的に自滅に追い込む。

 トップスパイの俺でさえ毎日冷や汗が流れる拷問だ。


 つまり、少佐殿の”作る飯”が、N国のことわざでいう『“当たる”も八卦、当たらぬも八卦』なんだ。


 毎日毎日、飯が糞まずかったらこちらも対応しようがある。

 さらに俺が慢性的な下痢や餓死寸前までいけば、俺から情報を得るのが困難になり、いくら何でも上層部は考えるだろう。


 しかし少佐殿の作る飯を0から5までランク付けすると、週に二、三度、1か2がある程度。

 そのおかげか、今の俺の肉体は餓死や栄養失調という奈落の底に掛けられたタイトロープをギリギリ渡っている状態なんだ。


 ちなみに0は飲み込む量より吐き出す胃液の方が多いという意味だ。

 おっと、いまから胃が痛くなってきたぜ。


「はい、おまちどうさま」

 アルマイトの皿に入った黒い液体。

 気のせいだろうか、湯気も黒く見えるんだが?


「これは……なんだ?」

「なんだ? って、クリームシチューよ。みてわからないの?」

「少佐殿、N国の牛は黒い乳を絞り出しているのか?」

「馬鹿なこといっていないで、早く食べなさい!」


 むろん、食べないという選択肢も存在する。

 しかし、スパイのさがか、たとえ目の前あるものが食いモン”もどき”であっても、とりあえず腹に入れなければならない使命感がわき起こる。

 でなければ、いざというとき動けなくなってしまうからな。


 すでに手錠を外された俺は、このまま逃げ出してもいいんだが、今の精神状態で廊下に出れば、天の眼よりさらなるお仕置きを受けてしまう。


 スパイに食事前の祈りは存在しない。

 ましてや捕まったのならなおさらだ。

 しかし今の俺は楽に死ねるのなら、例え悪魔にでも祈りたいぜ。


 覚悟を決めスプーンを手に取り、まず視覚チェック、次に嗅覚チェック。さらに第六感によるやばい気配チェック。

 その後、おそるおそる黒い液体をすくい、ほんのわずか口に含む。


「……うまい」

「ほんと~よかった!」

「はは……うまいや」


 まさにロシアンルーレットに当たらなかった時みたいに、今の俺の顔の筋肉はだらしなくたるんでいるだろう。


「お代わりはたくさんあるから、遠慮しないでね」

 遠慮なぞするモノか! ここで喰わなければ、次はいつまともな飯にありつけるかわからない! 


 ”ケツの穴から漏れるまで”、シチューを押し込んでやるぜ! 

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