第8話 尋問(下)

「まったく、任務とは言え編集する私の苦労も察しなさいよ!」

 人手不足ここに極まれりだな。普通は鑑識課が映像を調べるのだが。


「普通にションベンしているだけだが。まさかN国特殊情報部はスパイのションベンすら許さないのかい?」

「そう、あくまでとぼけるのね。ちなみにこの映像は、カレンダーのハートマークの日の映像よ。私を女だと思ってめない事ね」

「すまない少佐殿、俺はα国一番の馬鹿なんだ。一から十まで説明してくれないと答えようがないぜ」


 確かにトイレの下水を使って外部と連絡を取るのは古くからある手法だ。

 不溶性のカプセルにメッセージを入れて流したり、中には自ら健康な歯を抜いて、メッセージを刻み込んでトイレに流す方法もある。

 しかし最近は下水管にフィルターを取り付けて、そういった物はすべてせき止められてしまう。


 それに言い忘れていたが、俺はこの施設に連れてこられてから一度も外部と連絡を取っていないのだ。

 もっとも、外にいるエージェントがこの施設に何らかのアプローチをしてきた可能性も考えられるが、あいにくそんなの俺は知ったこっちゃない。


 だからといって、そう話したところでこの少佐殿が信じるわけない。それに


”外部と連絡を取っている”


事を匂わせるだけでも奴らを警戒させ、尋問での主導権イニシアチブを握ることが出来るしな。


「じゃあ、外堀から埋めさせてもらうわね。そもそも男性と女性には排泄にあたり、決定的に違うことがあるのよ。あ、エッチな想像は、まぁしてもいいけど」

「違うこと?」


「そう、女性は大、”中”、小とトイレットペーパーを使うけど、男性が使うのは”大”の時だけよ」

「ちょ、少佐殿、いくら何でもぶっちゃけ過ぎないか? ここは女子会じゃないんだぜ」


『はぁ? なに言っているのあんた! 女子会ってのはね、いかに自分のプライベートはひた隠しにしておいて、同席者の自慢話は華麗にスルー、逆に黒歴史を暴露させて腹の中で大笑いする、まさに切った張ったの世界なのよ! スパイごっこしているあんたとは違う、女の戦いの場よ!』


 ……どうやらこの世には、俺の知らない世界がまだ存在していたみたいだな。


「そこでこの映像よ、このカレンダーのハートマークの日、あんたは排尿しているにもかかわらずトイレットペーパーを使っているわ。これはどう説明するつもり?」


 ……そういうことか。

 いやわかっていたさ。

 しかしな、よく言うだろ、


『色男ってのは、(妄想で)抱いた女の数なんか、いちいち覚えちゃいない』

ってよ。


 ここは開き直るのが得策だ。

 俺が自分を慰めていたことを暴露するなんざ、思春期のガキが親に知られるよりも生ぬるいことだからな。 


「ああ、少佐殿の推理通り、確かに俺はこの日この時、ハートマークの日に自分を慰めていたね。いやぁ見事な名探偵ぶりだ。で、だからどうだってんだ? まさか男の慰めを見たのは生まれて初めてなわけじゃねぇんだろ?」


「そう、認めるのね。こうも簡単に墓穴を掘るとはね。これですべてがつながったわ」

「なんのことかな?」


「もう一度、このカレンダーのハートマークをご覧なさい。ある信号に見えないかしら?」

「さぁてね? 俺は通信系はさっぱりなんだ」


「このカレンダー、日付のマス目を午前と午後に区切って、あんたが自分を慰めた時にハートマークをつけているわ。中には午前と午後、両方慰めているわよね。そこでハートマークを『・』、空白を『―』にすると……」


『モールス信号!』


「よくできました。そこから導き出される信号を解読すると……」

「ちょ! 待ってくれ! いくら何でもこれは偶然だ! 神の見えざる”手”が俺に慰めろと言ってきたんだ!」


「あらぁ、ここまで来てとぼけるのぉ? 下水に流されマイクロフィルターに捕まった、あんたのかわいそうな”分身”まで調べはついているのよ。中にはマイクロフィルターをくぐり抜けて、外部の連絡員まで届いたのがいるかもね~」


 勝ち誇った女は怖い。

 今の少佐殿はどこかネジの緩んだイタイ女じゃなく、雌豹めひょうのようになまめかしく、俺を手玉に取ろうとしている。


 危険だ! 俺の全シナプスが警報を鳴らす!!


「お、俺のとは限らねぇだろ! 特殊情報部ここには男が大勢いる! 中にはあんたに発情してトイレで慰めるヤツだっているだろ!」


「こっちは部内の男性”全員”、さらに出入りの業者から清掃員まで、


”私自ら分身を回収”して

”私がDNA鑑定している”のよ! 


さすがに”採取する現場”までは踏み込まないけど、サンプルは”直接”、私の所に持ってこさせたわ!」


 ……この女、任務のベクトルが明後日の方を向いてやがる。

 いくら上司、そして美女だからと言って、いや美女だからこそ険しい顔で面と向かって


『あんたの”分身”を今すぐ出して、私のところへ持ってきなさい!』


と言われちゃ、こいつの上司か特殊な性癖でもない限り、あんたの顔がちらついて簡単には”出てこない”だろう。


 男ってのは女が考える以上にデリケートだからな。

 パートナーがいるにもかかわらず、中にはそのまま不能になっちまったヤツがいるかもしれない。同じ男として同情するぜ……。


 青ざめる俺に向かって、勝利を確信した薄ピンク色の唇が妖しく開かれる。

「どうやら観念したみたいね。ちなみにこのモールス信号を解読すると……すると……」


 なんだどうした? はん! どうせ意味のわからない文字の羅列だろ! さっきも言ったがこっちは外部と連絡を取ろうと思って”慰めた”わけじゃないんだからな!


『ス、SLEEP……MAJOR?』

「少佐と……寝たい?」


 俺のスラングな翻訳に少佐殿は頬を赤らめ、上目遣いでつぶやいた。


「……バカ」


『なんじゃそりゃぁぁぁーー!』

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