第7話

 世界中から自称冒険家が集まり、妖精の捕獲を目指してインディオの小舟を雇って上流へと南下して行き、二度と戻らなかった。セント・アリシア駐在の軍人は口を酸っぱくして、妖精狩りをあきらめさせようとしたが、うまく行かず、行方不明者の数は増える一方だった。政府は無茶な山師を批判するかわりに妖精をダイヤモンドのような稀少資源として捉え、〈国家の使命とはまず富を増加させること〉をモットーとするサン・シモン主義者のブルジョワ議員たちが妖精を国家の富のなかに組み込むべきだと声高に述べていた。

 既に本国では野党から植民地に貴重な資源が発見されているのにそれを利用できないでいるのは政府の怠慢であるとか政府は軍を投入してでも妖精捕獲のための交通路を作るべきであるとか好き放題に言っていた。ガフガリオン将軍は妖精たちを求める遠征は決して楽なものではないが、それに参加したものこそが真の軍人として、また真の男としての価値を表明できるであろうという声明を発表して、妖精確保のために何ら動きを見せない政府を陸軍大臣という立場から暗に批判した。

 そして、ついにセント・アリシアの全軍人が恐れていた出来事がやってきた。本国政府から命令を受けたノヴァ・アルカディア総督府はセント・アリシア駐在の司令官であるセバスシオン大佐に対して、妖精捕獲で障害となりうる不帰順インディオを駆逐すべく遠征隊を編成せよと命じてきたのだ。ベケからエランまで全員が顔を蒼くした。あの十字路から先へ兵を進めるというのか? 既に海軍のスクリュー船が三隻ほど船着き場にやってきていた。そのうち一隻は馬を積めるように藁を敷き、飼い葉桶と真水の桶を置いてやっていた。馬たちはインディオたちに騎兵突撃をしかけて踏み潰すという名目で連れて行かれることになっていたが、実際には荷物運びに使われるのだった。特に重要なのは山砲でこの小さな大砲は分解すれば二頭の馬の背にくくりつけて移動できるというすぐれものだった。

 アフリカ猟騎兵連隊の連隊長であるセバスシオン大佐は先任のなかでも最も階級が上な士官だったので、彼が自然とこの遠征隊の総司令官となった。五十三歳の弱りきった、残りの年数を安穏と過ごすことを考えていた老人に不帰順インディオを殲滅させるという残酷な命令が舞い降りてきた。

 セント・アリシア要塞守備隊は一応、一個連隊からなることになっていたが、連隊を構成する小隊の規模はばらばらで十五人から四十人とかなり差があった。またフランソアのように工兵と砲兵が麾下にいるものは少数で歩兵のみで構成されている隊のほうが多かった。連隊には遠征を目的とした兵站業務を担える人員がいなかったが、本国はこんなときだけは要領よく二人の需品係曹長を送り込み、この二人と彼らの部下である事務屋たちが遠征隊の兵站を管理し輜重を維持することと決まったのだった。

 粘液質のとろりとろりとした毎日が突然、ノアの大洪水にみまわられ、愚か者どもを飲み込んだようだった。連隊の士官のうち半分はこんな遠征に意味があるのかとぶつくさ文句を言っていたし、形だけの出征でインディオの村を一つか二つ焼いておしまいだろうとタカをくくっていた。

 セント・アリシア駐留部隊の全兵士が出征するということになり、女たちは色とりどりの紙を刻み、赤い布で薔薇をつくり、途中で食べてもらえるように飛び切り砂糖を使ったビスケットを焼いた。

 全兵士は日除けの布やケピ帽にかける黒い覆いを取ってフロックコートを着た。フランソアら士官たちもこのときばかりは赤いケピとフロックコートに士官のみが着用することになっている三日月型の真鍮製プレートを首元につけ、野戦用の正式な服装で連隊長の訓示を聞くこととなった。

 要塞の閲兵用広場には各小隊ごとに並んでいる。すると連隊長が現われた。アフリカ猟騎兵連隊連隊長で五十三歳で部下に騎兵が一人もいなくて、持参金なしで二十八歳の人並みの容姿をした才気のない娘を片づけなければいけないアンソン・セバスシアン大佐はこれまで見たことのないアラビア風の軍服で姿を現した。小粋に斜めに傾いだケピ帽、真紅の生地に黒い糸を走らせたドルマン上衣、ふくらんだ濃紺に赤い筋が入ったズボン、袖には大佐を示す五本の金糸の組み紐飾りが逆巻く水の軌跡のように映えていた。星型やメダル式の五つの勲章を胸に、一つの十字勲章を首元の付け、その勲章から左右へ白いマントが広がって背中へと垂れていく。例え、騎兵がいなくとも関係はない。アンソン・セバスシアンは今まさにこの瞬間アフリカ猟騎兵連隊の大佐に他ならなかった。

「諸君」大佐は言った。「これから諸君はこれまでに経験したことのない任務に従事することになる。グラン河の奥からリパブリック山地の裾まで徒歩で行軍するのだ。途中横切るのは帰順部族の縄張りだけでなく、不帰順部族の縄張りも通ることになるだろう。そこでは戦闘も予想される。実際の戦闘を経験したことがないものは大勢いるだろうが、恥じることはない。これから三日後には諸君の名は勇者としてこの地に刻まれるのだ」

 風が吹いた。大佐は靡いたマントを背中のほうへ押しやって続けた。「もちろん、それは決して容易な道ではないし、むしろ困難の連続だ。その結果もたらされるのは、貴族やブルジョワジーが欲しがっている愛玩動物だ。わたしは政治を知らない。ガフガリオン運動もサン・シモン主義も門外漢だ。わたしの役目は政府から命令が下り次第、どんな要請にも応えられるように軍を維持することだった。そして、今日、その日がやってきた。わたしは諸君がわたしの期待を裏切らないことを知っている。諸君はいつでも忠実であった。そして、これからの遠征にあたり、諸君らの忠誠を疑う根拠をわたしは何ら見つけることはできない。同士との結束、上官との緊密な関係、軍人としての崇高な使命に対する自己犠牲の精神に恵まれた兵士たちに恐れるものは何一つないからだ。諸君、グラン河を上ろう! そして、不帰順部族たちに我々がどんな戦士であるか見せつけてやろう! 共和国万歳! セント・アリシア駐留軍万歳!」

「共和国万歳!」兵士たちが叫んだ。「連隊長万歳!」

 フランソアもジェスタス少尉もタバークル准尉も叫んでいた。コルカ少尉やエラン中尉、ベケ中尉でさえ「大佐万歳!」と叫んでいた。

 退屈な日々の連続で弛んでいた烏合の衆を一人のアラビア装束を纏った一人の大佐があっという間に軍隊に叩きなおしてしまった。セバスシアン大佐の目はいつもの糖蜜ではなく、力強く燃える燐の光を湛えていた。光は強さの象徴だった。その目で見つめられた兵士たちの多くがこの大佐のためなら死んでもいいと思ってしまったくらいだ(船に乗るころにはその興奮も冷めたのだが)。

 大佐は馬にまたがると、早速、セント・アリシアの町へ行進を始めた。その後ろを各士官に率いられた小隊たちが続いた。女たちが集まって、刻んだ色紙や頬へのキス、ボタンホールに差した赤い薔薇の造花で遠征軍を祝福した。男たちは声援を送り、子どもたちは落ちている木の棒をライフルに見立てて、兵士たちと行進をともにした。スペイン人街に入ると左右のバルコニーから優しい香りのする花びらが舞い落ちてきた。聖堂が祝福の鐘を鳴らしていた。

 こうして花と色紙にまみれた三五七名からなるセント・アリシア駐留アフリカ猟騎兵連隊は三隻の蒸気船に乗って、上流を目指すことになった。河岸には空っぽになった守備隊陣地とその村落が見えた。最低限の留守番兵もおかずに全兵士をこの遠征軍に連れていっているのだから、当然だった。タバチェンゴ村でも二門の大砲は三つの鍵で閉じられた鉄の鋲付きの扉の奥にしまわれて、その他の物品倉庫も同様に厳重に鍵がかけられていた。一応、管理はトマス神父に任せたのだが、タバークル准尉が言うには一番手癖が悪いのはあの神父なのではないのかということだった。

「それは間違いない」フランソアは笑った。空は茜色に暮れかけて、マストの見張りは安全な停泊地を探し始めて、曲がりくねった上流のほうへ目を凝らしていた。ジェスタス少尉が船酔いで部屋で寝ていることを除けば、彼の部隊はみな健康で士気に満ち溢れていた。このあいだまで小馬鹿にしていた妖精狩りにいつの間にやら魅せられて、もし見つけたら、とっとと退役して、メイベルラントで雑貨屋を開くんだなどと将来の夢をみなに教えてまわるものもいた。

 大きく広がった淀みに三隻の船が停泊すると、船長が中尉たちを集めて、明日の朝一番には最前線の十字型砦を抜けることになると教えた。十字架の向こうにあるのは何なのか? 妖精か、それとも別の十字架か。兵士たちはまだ興奮の余韻覚めやらぬ様子だし、タバークル准尉も珍しくはしゃいでいた。ジェスタス少尉は停泊で船酔いが治り始めたのか船をぶらぶら歩いてみたりした。砲甲板では塩漬け肉と野菜で腹を満たした兵士たちがハンモックの上で鼾をかいたり、ランタンの下でカードをしたり、捕まえたフェアリーの皮算用をしたりしている。フランソアは士官室で海軍士官や同僚たちとカードをし、少し酒を飲み、明日、それともあさってかに初めて戦闘を経験するのだと思い、また酒を飲んだ。自分が戦うということが何か心のなかの青空で雲のようにぷかぷか浮いているようで実感が湧かなかった。どうやって戦うのだろう。インディオたちが見晴らしのいい土地で叫びながらこっちに走ってくるのに対して、フランソアはただ「撃て!」「装填!」「狙え!」「撃て!」と叫べばいいのだろうか? それとも探検家たちが悩まされたような至近距離まで近寄られて吹き矢を食らい、毒で命を落とすのか? これまでこんなに大勢の軍勢が上流へ向かったことはなかったから、毒の吹き矢の届く距離に近づこうとも近づけないだろう? そんなときインディオたちはどんなふうに戦うのか? 弓か? 槍か? 斧か? 他の士官たちも同じことを考えているのだろうかとフランソアは考えた。みなこの世に心配事など一つもないといった調子だ。

 実は遠征軍の多くは敵の矢が飛んできても自分だけには絶対に刺さらないという奇妙な自信を抱いていた。つまり、士官一人一人、兵卒一人一人が自分を主人公にした物語を生きているという錯覚のなかにいた。そんな人間は哨戒中に背後に忍び寄ったインディオに喉を切り裂かれ断末魔一つ上げられないまま倒れ伏すとか、毒の矢でやられて泡を吹いて死ぬなどといった死に方は絶対に想像しない。彼らは死なないし、死んだとしてももっとロマンチックに死ぬのだ。

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