第6話

 セント・アリシアに帰ってきて二週間経ったくらいのときになって、町に異変が起こった。異変はピエーテルバルクからやってきた(いつだってそうだ)。真っ白な蒸気船がセント・アリシアの船着き場に入港してきたのだ。石炭と食料の積載をするあいだに蒸気船の客のなかでも最も偉い人物が要塞を訪れ、彼らの目的を語った。

「妖精資源の確保並びに調査?」セバスシアン大佐は眉を上げて、やや驚いた様子だった。

「左様です」相手の男――アンル・ヴィクスマンは言った。四十代の痩せぎすで小男、眼鏡をかけていたが、口髭はきちんと男らしい形に整えられている。コルク帽をかぶり、リヴォルヴァーを腰に差しているから、まだ探検家に見えるが、そうでなければ役所で書類に埋没している神経質な小男にしか見えない。だが、この小男は野心に溢れていた。

「わたくしどもの会社はこのように政府からの出資を受けた公社でありまして――」

「ノヴァ・アルカディア植民地開発協会?」

「はい、それが公社の名前です」

「それで奥地に行きたいと?」

「はい」

「申し訳ないが、警護の軍を付けることはできんぞ。例え政府の出資会社だとしても、一企業に軍をつけることを判断する権限はわしにはない」

「警護に関しては自分たちで行うつもりです」ヴィクスマンは誇らしげに言った。「すでに傭兵たちを雇い済みです」

「それはインディオや解放奴隷の護衛かね?」

「はい。ほかに人狼や白人もいます」

「金額の多寡でつく側を決めるような連中に命を預けるのはどうかと思うがね」

「現状としてはこれしかありません」

「探検隊の規模は?」

「百二十名ほどでこれに蒸気船が一隻、帆船が一隻、蒸気船に曳航される平底船が一隻。合計三隻の船に隊員が分乗します」

「失礼だが、これまでにこのような探検行をなされたことはおありか?」

「北アフリカで三度」

「では、ノヴァ・アルカディアは初めてというわけだ」

「まあ、誰にでも初めてはあります」

「確かにそうだが、しかし、この文書によると妖精が棲息していると考えられるグラン河沿いとリパブリック山地の裾野というのは初心者が行くには相当困難な場所だ。疫病や苛酷な環境に加えて、レダンゴ、フォイ、ナクなどの不帰順部族がこのあたり一帯に住んでいる。帰順したインディオも住んでいて、多少モザイク状になっているが、それでもここの危険度は変わらん。探検計画を見直されてはいかがか?」

「危険は承知の上です。北アフリカの植民地で水源を見つけるための探検行をしたときはこの半分のメンバーでガイドに逃げられ、喉の渇きで死にそうになりながら、砂漠のなかに残る川床の跡を追って、ついにメイベルラント領北アフリカを潤す水源を発見したのです。それに比べれば、ここは水に困りませんからな。それに不帰順部族が危ないとのことですが、そんなことは北アフリカでもそうでした。政府への帰属を表明せず反乱に打って出るベルベル人やアラブ人が大勢いましたし、彼らと戦闘したこともあります。ほらここに――」そういってヴィクスマンは上着をシャツをたくし上げて腹の銃痕を見せた。そして、服装を元に戻しながら、「こいつを食らわしたやつをわたしも撃ち返してやりました。もっともわたしは腹ではなく頭に当ててやりましたがね。と、そういうことでどうということはないのです。水源調査はわたしに名声をもたらしました。妖精調査は名声に加えて莫大な富を約束してくれているのです」

 アンル・ヴィクスマンと彼の探検隊は事件らしい事件のないセント・アリシアを大いに沸かせてくれた。この町のちっぽけな社交界がヴィクスマンを引っぱりだこにした。彼は燕尾服の代わりに必ずコルク帽をかぶった探検用の服を着て現われた。それがセント・アリシア社交界の望みだったからだ。こうした機微に敏感らしいヴィクスマンはそうやって、おそらく内心で嘲笑っているであろうちっぽけな社交界に目いっぱい自分を売り込んでやった。話が北アフリカの話に及べば必ずクライマックスには腹の傷痕を見せるのだった。そのたびにヴィクスマンはこの傷をほどこした相手に『サーベルで一撃見舞い頭を両断した』『こっちは腹のかわりに頭にあててやりましたよ』『スイスの猟兵よりも正確な射撃で心臓を撃ち抜いてやりました』といってその場の注目をかっさらっていくのだった。

 こうして、たっぷり一週間セント・アリシアにとどまった後、いかにも名残惜しいといった様子で碇を揚げて出発した。

「二週間後には我々は百万長者だ」ヴィクスマンは甲板に集めた部下たちにそう約束した。

 一週間後、交代の時期になり、フランソアは部下たちと三隻の帆掛け舟に分乗してタバチェンゴへ向かった。

 さらに一週間後、フランソアの守備隊はいつもどおりに過ごしていた。

 さらに一週間経った。そのとき、フランソアは二人の兵卒とともに最前線の十字型砦へ様子を見に行った。そのとき、詰めていたのはジェスタス少尉の友人であるロデリク・コルカ少尉だった。

「連中の噂は聞かないかい?」フランソアはたずねた。

「連中と申しますと?」コルカ少尉がたずね返した。

「妖精狩りの一団だよ」フランソアはパイプを吹かしながら言った。「二週間で帰ると豪語してから三週間経過した。あれだけの大人数なんだから、食料はもう食い尽くしているはずだ。順調なら追加の食料を要求する使者がやってきて、牛や豚が送られるはずだし、何よりも妖精を捕まえていれば、それを後方に送って成功の証と見せびらかすはずだ」

「そう言われれば音沙汰なしですね」

「便りがないのは良い証というけれど、この場合はちょっと違うな」

「全滅したのでしょうか」

「蒸気船付きの百二十人の探検隊が?」

「密林はそのくらい簡単に吸い込みますよ」

 フランソアは銃眼から密林を見つめた。黒い叢林と背の高い椰子は人間の侵入を拒む城塞都市のようだった。百二十人の探検隊は密林の防御をこじ開けることができず、力尽きたのだろうか? それとも疫病かインディオの襲来か? 彼らの破滅要因はいくらでも見つかる。

 さらに二週間が経った。執務室には大統領とガフガリオン将軍の写真が仲良く並んでいる。ガフガリオン派と反ガフガリオン派のギリギリの妥協が右の壁にかかっていた。

 広場に総員が集合し、点呼、物資点検を終了させ、後は舟でやってきたベケ中尉に引継ぎをさせるだけだった。ベケ中尉が帆掛け舟に乗ってやってきた。台帳等の守備隊記録文書を引き継がせ、交代要員が降りてきて、フランソアの部下の前に整列した。その後、フランソアから乗船許可が出ると、まず軍曹に率いられる歩兵隊二つが二艘の舟に乗る。そして、フランソア、ジェスタス少尉、タバークル准尉、それに砲兵と工兵が最後の帆掛け舟に乗った。出向しようとしたとき、船長が待て!と鋭い声を上げた。

 船長は上流に目を凝らした。無人のサンパン舟がゆっくり流れてきた。矢や槍が何本も突き刺さり、人気がないようだった。ヒィー、キィーと高い音が聞こえてくる。

「ありゃ一体全体なんなんだ?」タバークル准尉が言った。

 フランソアの舟の船員が鉤で引っかけて舟を引き寄せてみた。薄暗いサンパン舟には二人の人間が乗っていた。どちらも人間のヨーロッパ人のようだった。一人はすでに死んでいて、赤い大きな顎鬚に虫が棲みつき、蛆虫が口や鼻、耳から出たり入ったりしていた。もう一人は老人でまだ生きているようだったが、まるで雷に驚いた小動物のように目をきょろきょろさせて、口をもぐもぐさせながら、布で包まれた大きな椎の実型の包みを抱きかかえていた。細く、高い音はその中から聞こえてきた。フランソアとタバークル准尉がサンパン舟に乗り移り、包みを覆っている布の端をつまんで、上げてみた。

 それは椎の実型の鳥籠でなかには五匹の妖精が涙を流して、身を寄せ合ってヒィー、ヒィーと鳴いていた。妖精はどれも裸で白く小さい体に水色の髪が踵まで伸びていた。先端がくるりと軽く渦巻いているオーロラのような羽が背中から生えていて、ヒィーと泣くたびに羽がぱっぱっぱっぱっ!とハチドリのように動いた。

フランソアとタバークル准尉が妖精をじろじろ見ていることに気づくと、鳥籠の持ち主は手をバタつかせてフランソアとタバークル准尉を遠ざけた。そのとき分かったのだが、この小男は五週間前、百二十人の探検隊を率いて意気揚々と南の上流へ旅立っていたアンル・ヴィクスマンに他ならなかった。 髪が恐怖で白く変色したため、すぐに分からなかったのだ。

「お、おれ、おれ、おれのもんだ……おれのもんだ」

 ヴィクスマンはそう言って鳥籠に抱きつき、ぶつぶつつぶやいていた。

「どうします、これ?」タバークル准尉がヴィクスマンを指差した。

「とりあえずセント・アリシアまで連れて行くしかないな」フランソアは答えた。「しかし、妖精は本当にいたんだな。あの鳥籠一つで二万五〇〇〇ポンドになる」

「二万五〇〇〇ポンドになるといっても、ああなっちゃあ意味がありませんよ」

「まさにそのとおりだよ、准尉」フランソアはため息をついた。この亡霊がもたらすであろう騒擾が彼にははっきりと見えていた。老人と化した探検家にはもう誰も見向きもしないだろう。そのかわりに一攫千金を狙う冒険家がウジ虫のように湧いてくる。

 狙いは空飛ぶ五〇〇〇金ポンド。

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