第十一幕


 第十一幕



 翌朝、総領事館の中に設けられた仮眠室で眠っていた俺は、駆け込んで来た小林一等書記官によって叩き起こされた。

「加屋さん! 起きてください! 大変な事になっていますよ!」

「あ?」

 未だ寝惚け眼で頭がぼうっとした状態の俺は仮眠室のベッドから起き上がり、薄汚れたスウェットとサンダル姿のまま小林書記官に手を引かれて総領事館の廊下に出ると、彼が「あれを見てください!」と怒鳴りながら指差す窓の外を見遣る。すると小林書記官が指差す先、つまり総領事館がテナントとして入居しているテクフェンタワーの正面玄関前の石畳の広場に、一台の車輌が停められているのが確認出来た。しかもそれは、どこにでもあるような只の車輌ではない。トップルーフ上の銃座に大口径の機関銃が据えられた、迷彩模様の装甲車輌である。

「何だありゃ?」

 俺は怪訝そうに、誰にともなく車輌の正体を問うた。するといつの間にか隣に立っていたビジネススーツ姿の総領事館の女性職員、つまり小林書記官の部下である、蛍とか言う名の女性が答える。

「あの装甲車輌はここトルコ共和国に本社を置くオトカ社が開発した軽装輪装甲車で、正式名称は『コブラ』、通称『オトカコブラ』ですね。確か、1997年からトルコ陸軍が正式採用している筈です」

 ぺらぺらと淀み無い口調でもって解説してくれた蛍に対して、俺はオトカコブラとか言う装甲車に向けるのと同じくらい怪訝そうな眼を向けた。俺も日本に住んでいた頃はエアソフトガンやモデルガンを買い集めるミリタリーオタクの端くれで、そこそこ銃火器や兵器には詳しい方だが、さすがにトルコ共和国なんてマイナーな国で採用されている装甲車の車種や製造元をそらんずる事が出来るほどではない。総領事館の窓辺に立った俺がそんな事を訝しんでいると、不意に窓の向こうのオトカコブラのトップルーフが開いたかと思えば、迷彩模様のヘルメットと戦闘服に身を包んだ一人の男が姿を現す。その男はやけに毛深くて大柄なトルコ陸軍に所属する軍人、つまりは俺の二人目の妻であるヤセミーンの実兄の、ヤウズ・バヤル中佐であった。そしてヤウズはオトカコブラに搭載された拡声器でもって、総領事館の中の俺に警告する。

「聞こえているか、サイト! 聞こえていたら、大人しくビルの中から出て来い! お前の事は実の弟同然に親身になって接してやっていたってのに、よくもまあ、妹のヤセミーンを裏切りやがったな! こうなったら例えヤセミーン本人が許したとしても、実の兄であるこの俺が許さねえぞ! 妹を傷物にした責任を取ってもらうし、お前を軍隊に放り込んで一から鍛え直してやるから、大人しく出て来い! 出て来なければこのままビルの中に突入して、力ずくでお前を引き摺り出してやる! そうなったら命の保障はしねえから、覚悟しろ!」

 ヤウズの無慈悲な警告に、俺は顔面蒼白になりながらぶるっと震え上がった。その性格と人間性から察するに、彼は本気であるに違いない。つまりこのまま俺が自発的に出て行かなければ本気でテクフェンタワー内の在イスタンブール日本国総領事館に突入して、俺を力ずくでもって引き摺り出すつもりなのだ。勿論、命の保障は無いと言う点もまた本気だろう。

「いいか、サイト! 今日の正午まで待ってやる! それが期限だ! この期限を過ぎても未だお前が出て来なかった場合は、この俺が直々に部下を引き連れてビルに突入するからな! 例えそこが日本の総領事館だろうが何だろうが、構うもんか! 以上、警告はしたぞ!」

 ヤウズは拡声器の電源を切り、警告を終えた。

「……」

 俺の隣で一緒に警告を聞いていた小林書記官は頭を抱えたまま言葉を失い、文字通り絶句している。

「小林さん、俺、どうしたらいいんですか? まさか小林さん達は、俺を見捨てたりはしませんよね?」

 俺は涙眼になりながら、隣に立つ小林書記官に尋ねた。すると彼は一旦深く嘆息し、顎に手を当てて少しばかり考え込んでから答える。

「安心してください、加屋さん。自国の国民を保護するのは大使館や総領事館の義務ですから、我々外交官はあなたを見捨てるような真似だけは絶対にしません。ですが残念ながら、あちらは軍隊。それも民兵ゲリラやテロリストではなく、訓練された正規軍です。本気で突入して来られたら武装で劣るこちらに勝ち目は無く、奮戦空しくあなたを拉致されてしまう事は、想像に難くありません。……しかしまさか、いくら実の妹が離婚の憂き目に遭わされたからと言って、分別ある筈の軍人がこんな外交問題に発展しかねないような真似をするとは思ってもいませんでした」

 確かに小林書記官の言う通り、俺もまさか、あのヤウズがこんな暴挙に出るとは思ってもみなかった。いくら彼が豪胆な性格だからと言っても、部下を引き連れて装甲車で乗り込んで来るとは豪胆が過ぎる。まあつまりそれは、如何にヤウズが妹のヤセミーンを愛しているかと言う事実と、その夫である俺を信頼していたかと言う事実の反動であるに違いない。

「それで結局、俺はこれからどうしたらいいんですか?」

「そうですね……。とりあえず何とか穏便に事を済ませられないか、日本とトルコ両者の関係各所と交渉してみましょう。その上で解決策が見出せないままに期限である正午を迎えた場合は、蛍くん、その時はキミが頼りだ」

 小林書記官がそう言うと、彼に頼りにされたらしい女性職員の蛍が「かしこまりました」とだけ答えた。どう見ても一介の公務員に過ぎない彼女のどの辺りを小林書記官が頼りにしているのだろうかと、俺は訝しむ。

「それでは加屋さん、あなたは応接室で身を隠していてください。何か状況に変化がありましたら、私か蛍くんが迎えに行きます」

「分かりました」

 俺は小林書記官の指示を承諾し、身を隠せと言われた応接室を目指して総領事館の廊下を小走りで歩き始めた。そしてその道中で、何だか自分が想像していた以上に大変な事になってしまったぞと再び震え上がり、戦々恐々とする。

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