第14話 Mの悩み

 普段、屋上のドアには鍵がかかっている──と、思われている。

 だが、ドアレバーを下げて前へ押すと普通に開いた。二つある鍵穴には引っかいたようなキズがいくつも付いている。自分で開けたのだろうか。


 外は薄曇りだが、涼しい風が吹いて気持ちが良かった。校内で一番高い校舎なので学校が一望できる。しかも学校自体が高台にあるので、反対側をむけば街全体も眺めることができた。


 俺は梅雨に洗われた美しい緑と街のコラボの遠景に引き寄せられるように足が動いて、反対側の手すりに掴まった。


「あ、吉留、くん……」


 後ろで小さな驚きが聞こえた。

 振り向くと、出てきた階段室の裏側の壁に真島がもたれかかって床にペタッと座っていた。


 ターゲットは発見した。色々聞かなければならないが、いい風景と清風のせいでさっきまでの興奮はすっかり冷めてしまっていた。


「いい所見つけたな。てっきり入れない場所だと思ってた」


 真島も穏やかな口調で言った。


「スペアキーを拾ったんだ。返そうとしたら、もう新しい鍵が作ってあって」

「シリンダーは変えなかったのか。お金がかかるからかな」

「さあ。でも、変えられなくてよかった。一度来たら静かないい所で」


 真島が目を細めた。遠くの景色を見通そうとしているようだ。


「そうだな。わかるよ。いい場所だよな」


 真島は何も言わず、言葉が途絶えた。


 言わなくてもいい。俺も偶然ここを見つけたなら、黙って景色を眺めて過ごす。あのへんなダークフェアリーの声も聞こえない。ここにいることは知っていても、この場所に一緒にいなければ、誰の視線も届かないだろう。スナイパーにでも狙われなければ、完全に一人になれる。


 もっとのんびりしていたかったけれど、真島の貴重な孤独を壊してしまって、彼もこれからどうしようか考えているだろう。

 俺はまだるっこしい駆け引きは苦手だ。


「立川先生が気にしていたよ。最近保健室にも教室にもいないって。何が悩みがあるんじゃないかって」

「それで、君が探しに来たのか」

「そうだよ。君が俺を探していたって聞いたからな。悩みは無理に話さなくていいけれど、俺を探していた理由は知りたい。その権利はあると思うけど」


 物憂げだった真島がちょっと笑った。


「探していたっていうか……まあ、そうだね。君が夢を見たっていうから、ああ、みんなそんな夢を見るんだなって思って。もう少しその話を聞いてみたかった」

「じゃあ、悩みっていうのも、夢のことなのか」

「まあ、そうだ」

「ゲームの夢じゃないんだろうな」

「うん、そうじゃない。違うのが出るんだよ」

「何が?」

「君が」


 俺の夢見てるのか!

 予想外の答えに手すりにガタンと体をぶつけてしまった──手すりがなかったら落ちている──今までそんなに話もしたことなかったのに、俺が夢に出てんのか。真島こいつの夢に? 俺が? 俺が……夢に出るとはどういうことだ?

 俺は頭が瞬時にフル回転すると、再びガタンと手すりにぶつけてしまった。


「大丈夫か、吉留くん」

「ちょ、ちょっと待った。俺? 本当に俺?」

「まあ、そんな感じ」


 真島は冷静に頷いている。その真面目な態度がかなり本気に見える。それなら生半可な返事じゃダメなのではないか──。


「悪い! 俺はその気持ちには答えられない。今まで全部断ってきてるんだ。君だけじゃない。本当だ。全部断っているんだ」


 真島の目が驚きで大きくなった。


「全部っていうことは、これまでけっこうあったって事かい?」

「すまん。話を盛ったかな……二、三回くらい」

「二、三回も⁈ 今までに?」


 真島がますます目を丸くした。

 しまったと頭を抱えたくなった。俺はまだ発展途上の十四歳だった……。


 勇者の時はモテた。女にも男にも。なんて言っても『勇者』だからな。ちびっ子から若者まで、強くなりたい奴、そして強い奴と付き合いたい奴の憧れの存在だった。沢山の熱い視線を浴びてきた。


 そして、戦場など明日をもしれない状況になると、自分の思いのたけをぶつけにくるやつがいた。モテる事は悪い気はしなかったけれど、自分の意思に反することは相手の本意でもないと割り切って、なんとか気持ちだけは聞いてやった。


 戦場では、何が生きる希望になるかわからない。それにその状況を乗り切った後の士気や統率にも影響しそうだったから、あまり傷つけないようにしたかった。そんな事が二、三回くらいあった気がする──そう説明したかったが、俺の転生やら何やらどう今すぐ説明したらいいんだ!


 独り頭の中でパニクっていると、真島が真顔で話を続けた。


「俺も何回かあるんだ」

「え? あるの!」

「ファンレターでなんだ。メールとか郵便とか。ファンレターには個人的に返事を出さないようにしていたからそのままにしてあるんだけど。君はちゃんと本人と話をしたんだね」

「それでよかったかどうかはわからないんだが。君にはファンクラブがあるんだったな。えっと、けっこう大きな……」

「五歳の頃、年齢ごまかしてジュニアの部で優勝した時にできたんだ。道場を若い人にもアピールしたいからって後援会の人が作って。ほんの飾りぐらいなものだけどね。小さくてもそんな窓口があるから、色んなのが届くんだ」


 聞いていて、つい唸り声が出た。飾りなんて軽いものじゃない。ほとんどダークフェアリーなんだから……いや、妖怪だ。純産の魔物と言っていい。


「たまに真剣なものが届くと、ちょっと対応を考える事もあるんだ。君は真面目そうな人だから、そんな手紙が届いたら相談にのってもらおうかな」

「まあ、相談くらいなら。相談された事もあるし……」

「じゃあ、俺の今の悩み事も聞いてもらえるかい?」

「ああ、まあ、聞くだけなら……て、え? 今から悩み事なのか?」


 ハッと顔を上げた俺を、奴はニヤリとして待ち受けていた。


「見かけによらず、君は優しい奴だよな。頼まれて来たって言っているのに、けっこう真剣に聞いてくれる」


 どうやらはめられたようだ。こんな話で人を試すとは……意地の悪い鬼武者だ。俺が今消費して疲労に変わったエネルギーとすり減った神経を治して欲しい。


「こういう話で人を試すのは感心しないな。もしアホな悩み聞かせたら、帰って二度と口きかないからな。ダークフェアリーがどんなに喚いたって知るか」

「ダークフェアリー? なにそれ」

「説明なんかしてやらん。いいから話せ。自分から聞いてくれって言ったんだぞ」

「悩みってさ、他人から見れば、たいていアホな事なんじゃないかな」

「うるさい。話せ」


 俺に睨まれて、真島は目をそらした。膝を立てて、頬杖もつく。だが、俺は容赦なく睨みつけて威圧した。

 真島はよそを向いたまま、一度深呼吸をしてから口を開いた。


「だから、夢に出たんだよ」

「なにが。俺と言ったらぶっ飛ばす」

「美しい人が」

「アリサ姫か」

「違う。もっと美しくて……かわいい。全てが。本当の姫だ」


 真島はまた深呼吸をした。


「いっそアリサ姫だったらよかったんだよ。ゲームをするたびに会えるんだろう。一度鮮明に見て以来、あとはぼんやりとしてよくわからないんだ」

「いつごろ見たんだ」

「あの日……同じ学校の女子を追いかけていた男を打ちまくった日だ。一カ月くらい前かな。夢の中でも助けたが、手を取った相手が全く違う人だった」


 俺は真島の隣りに座った。


「どんな人だ」

「とにかくかわいくて……でも、幼いんじゃないんだ。俺と同じくらいか少し年上みたいな。品もあって『姫』と呼ぶのがしっくりくる。小さい顔に金の巻き髪がかかって、澄んだ目で俺を見てる。声もかわいくて、古い言い方だけど、鈴のようで……なんと言っているかわからないんだが、その人も俺の事が好きなんだって思うんだ」

「なんだか絵本に出てきそうな姫だな。他には? スタイルなんかはどうだ」

「うーん……首も手も腰も細いけど柔らかそうで、ドレスから見える胸元なんか深くてふっくらしてつやつやしている。絵本なんてもんじゃないんだ。天使かハリウッドスターかっていう……とにかくきらきらしてかわいいんだ」

「そうか。服が余計だな。それから?」

「あとは知らない。ぼんやりしてわからない……いや、その先があるぞ。君みたいなやつがその子を奪いにくる」

「まだ言うか」

「ぶっ飛ばすならぶっ飛ばせよ。俺をぶっ飛ばせたらな。真島神刀流は剣術だけじゃない。太刀が折れた後の体術だってあるんだ」


 真島は自分から掴みかかってきそうな気迫だ。

 負ける気はしないが、約束通り、そしてあまりに真剣にアホな話をした相手をぶっ飛ばす理由は失せた。


「話がアホすぎて力が入らないよ。なんだ、安永と変わらないじゃないか。いっそあいつみたいに開き直ればいいんだよ」


 急に真島の気迫はしぼんでいって、俯いた本人は膝まで抱えてしまった。


「アリサ姫はCGで現実にいるだろう。自分の夢の……妄想ぽい事なのに、あんなに夢中になれないよ」

「じゃあ、ウェブで動画でも探すか。似たような雰囲気のやつ。街に出てもそんな姫っぽいのは難しそうだから」

「後援会のおっさん達みたいな事を言うんだな。それで間に合わせられたらこんなに悩まないし、間に合わせようとも思わない」

「お、後援会てそんななの? 俺、真島神刀流に入ろうかな」

「段位が上がらないと相手にもされないぞ」

「大丈夫、大丈夫」


 俺は胸を張って答えた。


「俺、元勇者。ロクシア国の筆頭剣士。この世界に転生してきたんだ。すぐに上がってみせるさ」


 真島が勢いよくしかめっ面を上げた。


「どのラノベの話だよ。ふざけんな。転生するなら向こうだろう」


 俺としては一大決心の告白だったのだが、恐ろしく呆れられたようだ。


 予想できた反応だが、強く否定されるとこっちもノーダメージではなかった。胸にキュッとつままれたような痛みがはしる。

 俺も好きでこの世界に来たわけじゃない。心残りも沢山あるのだ。


 真島はそっぽを向いた。自分の相談事を俺がふざけて聞いていると思ったらしく、かなり憤慨している。ため息もついた。もう脳みそいっぱいいっぱいらしい。

 こんな人生で何度もありそうな事で、そんなにテンパりやがって……面倒な奴だ。


「そんなに思いつめているなら、いっそ叫んだらどうだ。世界の中心で。どこかに本当にいるかもしれないぞ」


 投げやり気味に俺が言うと、真島は急に立ち上がって手すりにダッシュした。

 飛び降りるんじゃないか──俺も思わず立ち上がって身構えた。


「ひめーーー! どこにいるんですか! ひめーー!!」


 まさかの大絶叫に、俺の張りつめた神経も一気に緩んで腰が砕けそうになった。世界の中心で叫べと言ったのに……思いつめすぎて、真面目脳みそがひっくり返ったらしい。


 しかし、言いたいことは言えばいい──そのシンプルな解決方法に、行き場を失った俺のアドレナリンが体内の変な神経を刺激したようだ。俺、爆笑。

 やつの叫びはまだ続いた。


「姫ー! ほんとに現れてくださいよ! せめてもう一度! だきしめたーい!」


 俺も手すりにしがみついた。俺だって言いたいことが山ほどある。


「元の姿にもどりてぇー! 早くでっかくなりてぇー! 魔物なんかコテンパンにしてやりてぇー! まためっちゃモテてぇーー!」

「朝練いやだあ! ゆっくり寝たいー! いい夢の時に起こすなー!」

「レグルスが母ちゃんなんてこわすぎるー! 巨人の股を蹴り上げたやつが、なんで俺の妹なんだー! 酒場のエヴァにまた会いたーい!」

「大人のくせに剣術弱いのに偉そうにするなぁー! 後援会のおっさんが自分の娘を押し付けてくんなぁー!」

「あいつは次の恋をみつけたのかー!ベルンドに預けた精鋭百人隊はどうなったんだぁー! 姫はあの後どうなったんだあー!」

「俺には姫がいるんだあー! 夢でも妄想でも、俺には存在しているんだあー!」


 真島は叫びつくしてから、ん?と首を傾げて俺を見た。お前にも姫がいるのか?──目がそう聞いている。


 だが、それよりも憂慮すべき事態が起こっていた。

 下の階がざわついている。

「先生、上で誰かがサカってまーす」などと言って笑う声も聞こえる。


 これだけ大声を張りあげれは、いくら授業中でも何事かと詮索され始めるのは当たり前だろう。もしかしたら眼下の街中にも響き渡ったかもしれない。学校の誰かがここへ来るのも時間の問題だ。


「吉留、どうしよう」

「とりあえず、ドアに鍵かけてしまおう」


 真島がドアに向かった。

 俺は下の様子を覗き込みながら、屋上をぐるりと回った。


「こっちだ」俺は真島を手招きした。

 端の方は資料室だったり相談室だったりで、人のいない部屋が重なっている。

 手すりに馬乗りになった俺に真島が驚いた。


「ここから降りるの⁈ 四階だよ」

「しょうがないじゃん。階段だと先生達と鉢合わせするだろ。怖かったら残りなよ。さすがに真島神刀流にボルタリングはないだろうから」

「確かにないけど、残るわけにもいかないしなぁ」


 真島も手すりに乗った。


「ここから落ちて死んだら、本当に転生できるんじゃないか?」

「ああ、もう痛いのは勘弁。魔法かなんかで行くパターンで頼む」


 俺たちは屋上からベランダや雨どいを足場にして注意深く下りていった。

 二階のベランダでジャンプして地面に下りると、互いに目配せして、別々の方向へ静かに走って行った。


 しばらく物陰に隠れていたが、腹も減ってきたので、四時間目の始まりのチャイムを待って、俺は何食わぬ顔をして自分の席に座った。

 前の席の安永がくるりと振り向いた。顔がにやけている。


「吉留、今まで何してたんだよ」

「別に。腹が痛くなって、保健室にいたんだよ」

「愛してるとか、ファンキーに叫んでいたの、お前じゃないよな」

「違うよ」


 嘘じゃない。『愛している』とは叫んでない。

 俺は教科書を広げて、教壇の先生とはなるだけ目を合わせないように過ごした。


 帰るまで目立たないように大人しくしていよう。先生にも授業以外で会わないように──そう思っていたのだが、何故だか完全にそういう訳にはいかなかった。


 教室を歩けば、画鋲を踏んで、声をあげる。

 掃除用具を取り出そうとすれば、ほうきが全部倒れてくる。

 廊下に出ると、黒板消しが飛んでくる。


 ねぇ、何があったのかしら……

 姫ってだあれ……

 詳しく聞きたいわね……


 誰かから見られているような気がする。

 そっと袖を引っ張られるような気もする。


 先生は向こうからやってきた。

 帰る前──今日は部活は休むことにした──靴箱の所で、少々怖い顔で腕組みした立川先生に捕まった。


「どうだった? 真島くんは」

「あ、いや、知りません。わかりませんね」

「会ってないの?」

「会ってないっすね。ほっといていいと思いますよ」


 それ以上食いつくなよ──俺も先生の目を睨む。

 会ったと言えば、何もかも話さないといけないだろう。叫んだのは聞こえているとして、真島としてはそっとして欲しいんじゃないかな。『妄想に恋してる』なんて、あまりかっこのつくことでもないし……。


「ぶっきらぼうな報告ね。いいわ、様子を見ましょう。私達はね」


 立川先生はくるりと白衣を翻して廊下をさっさと歩いていった。


 俺は靴を履き替えて外に出た。

 ふっと風が吹いて、ガシャーンとすぐそばで物が壊れる音がした。

 俺のすぐ後ろで、花瓶が割れている。

 どう見ても上から落とされたとしか考えられないのだが、見上げてももちろん誰もいない。

 俺もさっさとその場を離れて家路を急いだ。


 様子を見ましょう、私達はね……


 先生の言葉が脳内でリフレインする。

 どうもそれでは腹の虫が収まらない奴がいるようだ。

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