第13話 M.M FC

 俺は外履きに履き替えて、入り口に立った。朝ほど激しくない、小降りの天気だ。


 傘をさして校舎の壁に沿うように裏にまわり、人気のない外階段に来ると、たたんだ傘を手すりにかけて座った。


 ポケットからさっきの桃色の封筒を取り出して、表の文字をじっと観察した。

 美文字といっていいクセのないきれいな書体で、こんなきれいな字を書く知り合い(ほぼ男子)に心当たりがない。やはり送り主は女性だろう。


 一体何の「指令」が書かれているんだか──糊付けされた蓋に沿って指を入れて、恐る恐る開けてみた。

 中には四つに折りたたまれた便せんが一枚入っていた。そっと開くと、封筒と同じ色の表面に、封筒と同じ文字で短い一文が書かれていた。


『指令内容は 妹に聞け。 M.M FC』


 はあ!? こんな仰々しい手を使って、指令内容は舞に聞けだと?


 よくわからない手間のかけ方に、便せんを握る手にグシャと力がこもり、こめかみで頭がピキッと割れそうな音がした。なんだ、M.M FCって。

 すると、目の前に握っているものと同じ便箋がひらひらと落ちてきた。

 サッと空中で掴んで広げると、また何か書いてある。


『妹はすでにダンス教室に行った。帰って待て』


 誰だよ!

 俺は階段をダッシュで駆け上がった。上でもバタバタと何人かが登っていく足音がする。


 バタンとドアが閉まる音がした。校舎に入ったらしい。

 俺も閉まったと思しき階のドアを開けて入った。


 誰もいない廊下が真っ直ぐ奥までのび、左側に暗い教室が並んでいる。

 今いる校舎の三階は、理科室や美術室などの特別室が並ぶ階で、授業時間以外はあまり生徒がうろうろしない所だ。


 クスクス……クスクス……


 人気はないのにどこからか小さく笑う声が聞こえてくる。

 さっきから勇者の力で辺りを探っているが、魔物の気配は感じられない。


「おい、出てこいよ!」


 教室の引き戸を開けようとするが、内側から鍵がかかっている。隣りの教室、その隣りの教室も──全部そうだ。


 クスクス……やだぁ……

 ねぇ。クスクス……


「おい、開けろ!」


 引き戸をドンドン叩いたが、反応もない。

 魔物でなければなんなんだ。

 だんだん怖くなってきた。


「おい、どうしたんだ」

 そばの校舎内の階段から、白衣を着た理科の安部先生が上がってきた。


「先生、教室に誰かいるみたいなんですが、ドアが開かないんです」

「え? 誰かいるのか。おおーい」


 まだ若い安部先生も力づくで引き戸を開けようとするがびくともしない。窓から薄暗い中を覗いてみるが、誰の姿も見えない。


「先生、『M.M FC』って奴のしわざらしいんですが、これって何か知ってますか?」

「M.M FC か」


 急に先生の動きが止まった。


「そうか、わかった。ここはそのままにしておこう。君は部活は? ないなら早く帰りなさい」

「待ってください、先生」


 先生は俺の言葉に反応もせず、また階段を降りていった。

 一体なんなんだ、M.M FCって。もう一度魔物の気配を探るけれど、やっぱりいないようだ。傍にいるのに感知できないということではないと思うのだが。


 先生帰ったわよ……

 ねぇ、あいつも早く帰ればいいのに……

 指令を見たのに……ねぇ……


 姿は見えないのに、こそこそと話す声は耳元に響いてくる。本当に魔物じゃないのか。まるでダークフェアリーに囲まれているようだ。薄暗い森の中や夜に活動する小さくて弱い魔物だが、集団でたかられると厄介なやつらだ。

 背筋に寒気が走った。教室に背を向けないように横歩きして、もと来た外階段に出て、家に帰ることにした。

 帰って舞に聞くしかない。舞は知っているのだろうか、M.M FCというものを……。



 × × × × ×



 リビングでゲームをしていると、舞がダンス教室から帰ってきたので、早速その謎の言葉の事を尋ねてみると、呆れた顔でこう返された。


「知らないの? M.M FC」

「知らないよ。何の意味だよ」

「お気楽ね。ほんとゲームしか興味ないんだから」

「悪かったな。指令ってなんだよ。お前心当たりあるのかよ」


 舞は冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して、コップに注いだ。今日は母さんがまだパートから帰っていない。


「じゃあ問題。FCって何の略ですか?」

「……フットボールクラブ?」

「残念。ファンクラブよ。M.M FCは、真島将道ファンクラブのことよ」

「真島将道ファンクラブ⁉︎ 」


 俺は予想外の言葉を食らって、コントローラーを落としそうになった。

 確かにあいつは顔もスタイルも頭も運動神経も良いけれど……そんなものが、芸能人でもないのに結成されるもんなのか。勇者だった俺ですら、そんな組織なかったぞ。ファンクラブなんて概念はない世界だったけど。


「その不思議組織、真島将道M.MファンクラブF Cが俺に何の用があるんだ」

「たぶん、これのことかな」


 舞はテーブルのキッズスマホを片手で操作して、画面を俺の方に突き出した。

 普段は操作しているところに近づくだけで怒るのに、これは見ていいってことだよな。俺はスマホに顔を寄せた。

 舞の親友のユミからのSNSの文だ。


『幹部のお姉様が、舞のお兄ちゃんにM様の悩みを聞いてほしいそうなの。お願い!』


「M様って……幹部のお姉様って……」

「M様はもちろん、真島先輩のこと。M.M FC は広大な組織よ。会員は学校の生徒だけじゃなくて、社会人や主婦まで。男女は問わず入会可だけど、八割方婦女子。その活動範囲は町や県を越えて全国規模で展開しているわ。真島先輩は全国の剣術・剣道大会で優勝しているからね。ありとあらゆる所に会員がいて、常に真島先輩の情報を発信し続けているの。twitterやLINE、5チャンネル、会員様限定のブログやインスタも存在するそうよ」

「それはその……真島公認なのか?」

「表の限定部分はね。HPには、真島神刀流後援会の一部門としてファンクラブが載ってる。でも、実際は後援会よりもずっと大きく強力でダークネスなのよ」

「ダークネスって……」


 舞はコップのジュースをウワバミの様にラッパ飲みで空にすると、一気に喋り出した。


「絶対的な上下関係と秘密主義! M様は全人類の共有財産! 幹部の許可なくM様とむやみに口をきいたり近づいたりしてはならない。そして、裏組織の存在を神聖なM様に気づかれてはならない……などなどの鉄の掟。破った者には恐ろしい制裁があるという。家族全員が執拗に嫌がらせをされて、この町に住めなくなるなんて噂があるくらい、とにかく、とにかくブラックでダークネスなのよ!」


 俺はあっけにとられて大口を開けたまま、舞の説明を聞いていた。そんなに怖い組織が身近にあるなんて全く知らなかった。舞は自然と拳を握り締め、汗をダラダラかいている。そんな怖い組織が俺に指令を送るなんて、まさか……。


「あの、指令を受け取っているということは、もしかして、舞がその組織に入っているとか……」

「私じゃなくて、ユミが入ったのよ」


 舞の話だと、きっかけは俺が入院していた時にあったらしい。


 舞のダンス教室のチームはレベルが高くて、近くのイベントなんかにもよく呼ばれる。ちょっとした追っかけもいるらしい。ユミもそのチームの一員なのだが、チームで一番大人っぽいルックスもあって、追っかけの一人の大学生から「付き合ってほしい」と告白されたそうだ。


「ユミにその気はなかったから一度断ったそうだけど、イベントがあるたびに見に来て待ってたりするのよね。だから、またコクられた時『好きな人がいる』って言ったのよ。実際、真島先輩にユミも憧れていたからね」


 それから大学生の姿は見なくなり、舞も友達もほっとしていたのだが──。


 ある日、舞とユミはダンス教室から帰宅する時、街で偶然真島の姿を目撃した。真島はものすごく大きなボストンバッグと細長い布の袋を背負っていだそうだ。たぶん、剣道の防具や竹刀が入っていたのだろう。


「あんなに重そうな荷物を持って、先輩、何しに来たんだろうね」


 ユミの発案で、二人はしばらく真島の後をつけた。

 真島は、本屋やスポーツ用品店を回った後、街を外れて家の方に向かった。


 ちょっとした探偵気分を味わった二人も帰ろうと振り返った時、二人もつけられていたことに気がついた。

 ユミに振られた大学生が、住宅の影からこちらを睨んでいる。


「お前の好きな人っていうのはあいつなんだな」


 ユミは大学生の怖い表情で、返事ができなかった。舞がユミの前に立って言った。


「あんたつけていたのね。ストーカーじゃない」

「お互い様だろ」


 大学生が小走りで寄ってきた。


「あいつはもてて有名な奴じゃないか。お前があいつとつきあえると本気で思っているのか。バカじゃないか。あんなのは忘れて、俺と付き合ってくださいよ!」

「いやだって言ってるのに。キモい!」

「ユミ、逃げて!」


 舞の言葉で、ユミは駈け出した。思いつめた様相の大学生がスピードを上げた。


 残像ディレイステップ!──を、使おうとしてやめた。ユミに見られてしまう。

 舞は傍の道路標識の柱に両手と膝裏で上り、クルクル回って勢いをつけた。


 ポール・スピンキック!


 舞の足が大学生の腹に当たって、自分より大きい相手を後ろに蹴り飛ばした。

 だが、その男は彼女しか眼中になかった。腹を抱えてよろめきながら、舞の射程範囲を避けて抜けていった。

 舞もすぐに降りて走った。


 ユミはあまり遠くに行ってなかった。舞が気になって振り向き、キックした舞を見て逃げるのをやめていた。しかし、すぐ大学生が向かってきたので、あわてて走り出したが──すぐに腕を掴まれて、引っ張られた。


「離してよ! バカ!」


 ユミも抵抗したが、大学生の力は強かった。

 掴んでない大学生の手が上げられた。ユミがぶたれる──舞が思った瞬間、絶妙のタイミングで真島は現れた。


「そこで何をしているんだ」


 真島は、舞たちがストーキングを止めた時と同じ大きなバッグと竹刀袋を担いで立っていた。


「真島先輩!」

 ユミが助けを求めるように叫んだ。


「なんだよ。関係ないだろ。お前なんか引っ込んでろよ」


 大学生はユミを掴んだまま、真島に向かっていった。


 真島の動きは素早かった。すぐにバッグを下ろし、竹刀袋をそのまま握って、清々しく美しい構えで振ったのだ。

 真島は、大学生のユミを掴んでいる手と自分に振り上げられていた手を打ち据えた。


 手首を抑えてうずくまった彼は、次に顔を上げた時、手に果物ナイフを握っていた。

 きらめく銀の刃が真島に向けられた時、真島の顔つきが変わった。


 強張った顔の真島は凄まじい連続攻撃を仕掛けた。

 素早く繰り出される振りや突きで大学生は体は仰向けに飛ばされ、一瞬気を失ったように見えたという。


 相手が地面に転がり、体を丸めて頭を抱えても、真島は手をゆるめなかった。袋が破けた。大学生を打つたびに鈍い音が響く。竹刀だと思っていた袋の中身は硬い木刀だった。


 舞は、ユミがいても躊躇していられなかった。


「まさか、真島先輩に残像ステップ使うとは思ってなかったわよ」


 普通では手が出せないくらい真島の攻撃は強力かつ隙がなかったそうだ。

 舞は残像ステップの速度で攻撃の合間に真島の腕に細長いスポーツタオルを巻きつけ、痛みと恐怖で声も出ない相手に打ち続けた上段の打ち込みを止めた。


「先輩、落ち着いて。この人が悪いけど、死んじゃうよ」


 舞のスポーツタオルで引っ張られて動けなくなって、真島はハッと我に返った。


「ごめん。俺、切られるんじゃないかと思って……」


 真島は息を切らせながらそう言うと、力なく剣を下ろした。

 大学生はほとんど這いつくばるようにして、その場から去っていったという。


「ちょっと怖かったけど、ユミには助けに来てくれたナイトに見えたみたい。両人とも、私の残像ステップなんか目にも入ってなかったわ」


 落ち着きを取り戻した真島に「大丈夫?」と声をかけられ、ユミは身も心も真島色に染まってしまい、入会を決めたようだ。


「そんな組織からお兄ちゃんに依頼がくるなんて、よっぽど真島先輩と仲がいいわけ?」

「俺は真島と話したのはつい最近だよ。真島も友達多くなさそうだしな……仲いいといえば、安永の方が付き合い長そうだけどな」

「その安永っていう人、組織のこと秘密にして、指令受け取ってくれそうな人?」

「どうかなぁ。あいつ、一人っ子だし。指令を伝える女子の知り合いなんか、いないんじゃね?」

「じゃあ、お兄ちゃんがやるしかないんじゃないの?」


 マジかよ……と、心が砕けそうになっていると、舞のスマホがピピッと鳴った。


「ユミから追伸──『指令をこなさないと、吉留勇也のやったことを全国規模で広める。と、お姉様方が言っている』そうです」

「だから、抱きついてなんかいないっていうのにー」


 どうも指令を受け付けないと、今後が大変なことになりそうだ。悩みなんてなさそうなあいつの悩みって何だろうか……。



 × × × × ×



 次の日、俺はM.M FCや指令のことが気になって、学校に行ってもどうも落ち着かなかった。


 朝、安永と話をしてもぎこちない。安永は相変わらずゲームの話ばかりで、真島の悩みそうな事を知っているかどうか尋ねるような雰囲気にならない。そもそもこいつがそんな個人的な事を知っているのかどうかもわからないのだ。


 真島とは登校中は会わなかった。

 休み時間に廊下を通るふりをして保健室を覗いてみたが、真島はいないようだった。


 代わりに俺が立川先生に見つかった。

 入り口近くにいた立川先生は、廊下の俺と目が合うと、ニッコリ笑って手招きした。


 保健室には先生以外誰もいなかった。先生は入り口は開けたまま、俺を奥の職員用の机の前まで連れていった。


「あのさ、最近、真島くんの様子どうかな?」

「真島ですか?」俺は驚きの声を上げてしまった。まさか先生も組織に入会しているのか……。

「よく知りませんよ。いつも通りって気がしますけど?」


「最近保健室に来ないんだ。それはいいんだけど、学校にいても授業に出ない時があるみたいで、ちょっと気になっているのよ。私『吉留は今日は来てませんか?』って何回か言われたことがあって、二人仲いいのかなと思っていたんだけど?」

「いや、そんな仲いいってわけじゃないですよ」

「そうなんだ。ごめんね、変なこと聞いちゃって。これ、真島くんには内緒にしてくれる?」

「はあ、いいですけど……先生は、M.M FCって知ってますか?」

「なんのことかしら?」


 俺はなんだかモヤモヤした気分で保健室を出た。先生はやんわりと否定したが、どうも納得いかない。


 授業開始のチャイムが鳴った。周りがバタバタと動き出し、何人かの生徒とぶつかった。

 ふと、ズボンのポケットに違和感を覚えて手を突っ込むと、見たことある桃色の便箋が四つ折りになって入っていた!


 いつのまに俺のポケットに!

 勇者の俺に気づかれる事なく……ほとんどジェイル並みの腕前じゃないか。本当にダークフェアリーなんじゃないか、M.M FC!

 俺は恐る恐る便箋を開いてみた。


『M様は 今 屋上にいる』


 さあ、行くのよ……

 行ってちょうだい、M様のために……

 M様のために……


 誰もいなくなった廊下に囁く声だけが響く。姿の見えない妖精が何匹も頭の上を飛び交っているかのようだ。


「おや、もう授業は始まってますよ。二時間目はなんですか?」


 まっすぐな廊下に並んでいる戸から教頭先生が出てきて言った。

 こうなると、この薄毛メガネのおじさんもダークフェアリーの一員じゃないかと疑いの目で見てしまう。


「保健室行ってたんで。今、戻ります」


 俺は階段を駆け上がった。

 ダークフェアリーも不気味だが、モヤモヤしているのが一番気持ち悪くて嫌いだ。

 こうなったら行くしかない。

 クラスのある三階は通り過ぎた。


 さあ、行って差し上げて……

 行って差し上げて……

 M様のお悩みって何かしら……

 だめよ。私達には不可侵の領域よ。見守ることしかできない……

 ああ、歯がゆくて小指を噛んでしまいそう……


「うるせえな! 聞いてやるから黙ってろよ!」


 上に伸びる階段の空間に怒鳴ると、響いていたフェアリーの声はすっかりかき消されてしまった。

 屋上に出られる鉄のドアが目の前に現れた。

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