第8話 注目の的①
翌朝、いつもの時間に起きた。
体調はすこぶるいい。よく寝たせいだろう。
そのせいか昨日あったいろんなこともあまり重たく感じない。誤解されたこともなんとかなるだろう。多く見積もっても、世の中半分しか女子はいない。
顔を洗い、制服に着替えて、朝ごはんを食べに食卓に向かうと、舞が食べ終わったところだった。
舞は低い声で「ごちそうさまー」と言うと、俺の事を視界に入れないように首や視線を不自然に動かしながら席を立った。まるで汚いものを目の中に入れたくないかのようだ。
「あら、着替えて来たんだ。調子は悪くなさそうね」
台所のカウンターから母さんが顔を出した。
「着替えたら悪いのかよ」
舞の態度で俺は急に機嫌が悪くなっていた。
でも、母さんはにこにこしながら温かいご飯と味噌汁を持ってきた。
「だって『あんな噂がたったから学校行きたくない』て、普通の子なら、二、三日休むかもしれないなぁ……て、思っていたから」
食卓には先にシャケの切り身が並べてあって、うまそうな完全和食の朝ご飯が出来上がった。
俺はすぐに「いただきます」と言って箸を手に取った。
温かいご飯を一口ほおばると、急激に凝り固まった胸の内がほろりとほぐれてきて、自然と思っていた言葉が出てきた。
「あいにく“普通”じゃなくなった。それに、やってもいない事を言われて引き下がれるかよ」
「さすが勇者、なのかな? 只者じゃないのねえ」
母さんが感心して頷いているので、俺の機嫌はまたちょっと浮き上がってきた。
でも、母さんから「普通の子なら」「只者じゃない」という言葉が出たことに少し引っかかった。
ちょっと前まで普通の子供だった──筈だ。昨日のこともある。俺は箸を置いて、台所に行きかけた母さんの方を向いた。
「あの、なんていうか……ごめんなさい」
「どうしたのよ、急に」
「なんか、その、俺が前世の記憶を思い出してしまったから、もう普通の息子じゃなくなったっていうか。中身がエロいおっさんになってしまって、なんていうか……育てる楽しみがなくなってしまったんだよな。俺は、基本は今までと変わらない気がするんだけど、母さんとしては、大きな変化だよな。なるだけ迷惑かけないようにするよ。平穏に暮らしたいっていう気持ちは、わかる。今までと、あまり変わらないようにする。今まで育ててくれて、ありがとう」
黙って聞いていた母さんは、照れ笑いを浮かべながら台所に戻ってカチャカチャと皿を洗い始めた。
「何を言うかと思えば。前から似てるなぁと思っていたから、はっきりしてよかったわ。どうせそのうちおっさんになるんだし、おっさんでも息子だし。舞もああ見えて心配しているのよ」
「そうかな、あれで?」
「前の世界と今の世界じゃ、価値観ぜんぜん違うからね。しかも周りは思春期の不安定な年頃の子ばっかり。勇也もアーティーもそんなに器用なタイプじゃなかったから」
「行ってきまーす」
玄関から舞の声が聞こえた。母さんがハッと顔を上げた。
「あら、もうこんな時間。行く気があるなら、早く食べて。じっと考えるタイプでもなかったでしょ? 『よし、出発だ!』って歩き始めてからどこに行こうかとか言い出すから、カーナがよくキレていたじゃない」
俺は急いで朝ご飯をかき込んだ。
「ごちそうさま。行ってきます!」
「ちゃんと歯磨きして、ハンカチとティッシュ持って、鏡で身だしなみ確認してから出てね」
俺は玄関に直行しかけたが、母さんの声で途中の洗面所に入った。
鏡に少し目が赤くなって口をへの字に曲げた顔が映っている。その口に歯ブラシを突っ込んだ。
勇者になって、魔物を王都から追い出して、さあ、周りの町も救いにいくぞと、ただ邁進していた頃を思い出した。
玄関で靴を履いていると、台所からまた声がかかった。
「あ、玄関にある書類、保健室の先生に出してきてね」
靴箱の上に乗っているクリアファイルを掴んで鞄に突っ込むと、
「行ってきます」
もう一度声をかけてから玄関を出た。
登校中、中学生の群れの近くに来ると、案の定、女子にはなかなかの引かれっぷりだ。歩いていて距離の置かれ方が半端ない。
元々女子に仲の良い子がいたわけでもないし、積極的に話しかける性格でもなかったから、話をすることがなくても全く気にならないのだが、今朝はこそこそささやかれ、早足でいつもの一・五倍は距離を取られると、さすがにむっとしてくる。
男子には好奇の目を向けてくる奴らもいたが、それ以上気になるようなこともなく、同じ部活の後輩や先輩とも普通にあいさつを交わしていった。
同じクラスの安永が歩いていた。
安永とは五十音順で並べられると、隣同士になったり同じグループに入れられたりするのでよく話す。今も席が前後している。
横に並んで「おはよう」と言うと、安永は少し驚いた顔をしたが、すぐに「おはよう」と返してくれた。
「吉留、今日は体調いいのか?」
「おう、今日はバッチリだよ」
「そうか。ああーこれでプリント回す時、体伸ばさなくて済むわー」
「ああ。ごめんな、休みが多くて」
「いやいや。いいストレッチになってた」
安永は歩きながら腕を伸ばして背伸びをした。体のあちこちがバキバキ鳴った。
なにかでお疲れなのだろうか。しかし、俺の顔を見た安永はニヤニヤしながら声を潜めて言った。
「俺さぁ、今“デスメサ武勇伝”にハマってるんだ」
「武勇伝⁉︎ 最新版じゃん」
俺も合わせて声を潜めたが、言葉は踊っていた。
ディスティニーオブメサイア──略してデスメサは、大人気のRPGシリーズだ。
最近はモーションキャプチャー仕様のソフトを出していて、武勇伝はその最新ソフトだ。両手に小さなコントローラーを持って、ボタンを押しながら腕や体を動かしてキャラを動かしたり技を出したりする。
俺はその最新版の一つ前のソフトを持っていて、退院してもまだ学校を休んでいる時に、これで一日中遊んでいたのだが、ある時夢中になり過ぎて、振ったコントローラーを手からすっ飛ばしてしまった。
おしゃかになったコントローラーは、ただ今絶賛修理中だ。
おかげで別のダンスゲームにハマっていた舞から「ゲームができないストレス」が溜まった時にケリを入れられそうになる。
その事を安永に話すと、彼は肩を上下させて笑った。
「そんな奴ほんとにいたんだ。ストラップを腕に通していないからだよ」
「千切れちゃったんだよ」
本当は腕に通すのを忘れていたのだが、恥ずかしくて言えなかった。
まだ小刻みに肩を震わせながら、安永は言った。
「ああ。だから、お前夢を見たんだよ」
「夢って?」
「昨日の保健室の件だよ。俺もよくデスメサの場面を夢で見るよ。デスメサのアリサ姫、すっげーかわいいよな」
「ああ……」
そうか!と俺はお年寄りのように膝を打ちたくなった。
前世の夢を見た時には、ゲームの夢を見たことにすればいいのだ。
例え何か口走ったとしても、好きなキャラの夢を見ることはそんなに変なことじゃないだろう。少なくとも、ゴミ扱いにはされない気がする。
これなら寝ぼけることも怖くない。
デスメサのアリサ姫はシリーズ通して出てくるキャラクターだ。本当は女神なのだが、人間に転生して主人公を導いてくれる。
人間ばなれした雰囲気は、天然なカトレア姫にも通じるところがあるから、とっさのアドリブに弱い俺でも無理なく誤魔化せそうだ。
「そういえば、場面がデスメサに似てたよ。出てきたキャラもアリサ姫に似ていた気がする」
「なあんだ。わかる。わかるぞ、その気持ち。目が覚めたとき、現実に戻ってくるのに時間がかかるよな」
安永は腕を組んで大きく頷いた。
俺たちはシリーズの好きな名場面を語りながら歩いた。
教室に着いてからも話は続いた。
「なんの話してんだ、安永、吉留」
「デスメサだよ。俺、武勇伝やってんの。吉留はその前のやつ。こいつ、夢に見るくらいやりこんでるんだよ」
「なるほど。あれ面白いもんな」
他の男子も話に入ってきた。
近くでゲームよりSNSが好きそうなタイプの女子グループが、俺たちの話を聞いて「ヲタクだぁ」と冷ややかに笑っている。
でも、朝から感じていた変態への「まじで死んで」的殺人光線風
「でも、あのゲーム、モーションキャプチャーでやるようになってから、技の出し方が難しくなったよな。特に自分が剣士になるとさ」
「そうかな?」
他の男子に指摘され、俺と安永は首を傾げた。
「そうだよ。腕の角度とか、タイミングとか。ほとんど格ゲーのコマンド入力に近いよ」
「そうかなぁ」
安永と俺は立ってコントローラーを持っているつもりで腕を構えた。技の出し方はシリーズ中ほとんど変わらない。
「真空切りは、こうだよな」
「そうそう。AとLを押しながら、こう振る」
「そうするけど、出ないぞ」
「この角度で素早くふるんだよ。でないと別の技になるんだ」
安永が「出ない」という男子に振って見せた。
俺もその男子を見ながら改めて構えなおした。
「ちゃんとセンサーの方を向くことも大事だよ。夢中になってちょっとでもずれたらダメなんだ。真っすぐ正面から……」
俺は開いている窓をテレビ画面に見立てて、外へ体を向けた。
「ボタンを押してすぐ、思いっきり振る!」
ブウォォー!
俺の振った腕が大きな風の唸り声をあげた。
窓の向こうに見えていたビルの屋上のアンテナが真っ二つに折れて飛んでいった。
(出ちゃった……)
俺は手を振り下ろした姿勢のまま茫然としてしまった。
「なんだ、今の風……すげえ」
安永たちが目を丸くして立ちすくんでいる。
俺はつい夢中になって、軽い真空斬を出してしまったのだ。
これは、ごまかさないとヤバい。元勇者であることがバレてしまう。
「おお、すげータイミングで風が吹いたなぁー。俺、ほんとに真空切り出したかと思ったー」
俺はとっさにセリフ棒読みアクセントでそう言うと、手を何度も振りながら口からゴォッ!ゴォッ!と今の風の音を真似た声を出した。
安永たちが我に返って、顔を見合わせた。
「突風……だったのかな」
「ほんとに出るわけないもんな……」
「あははは。ゲームしながら、つい口で効果音も出しちゃうんだよなー」
俺がごまかし笑いを続けていると、突然、校舎がグラグラッと揺れた。
「うわっ、何、今の!」
「地震!?」
揺れはすぐに収まったが、教室内が静まり返った。
一緒にゲームの話をしていた一人が急にニヤリとして言った。
「今度は……誰か“
安永や俺たちはハッとして、またお互いを見合った。
「あのL Rボタンで出るやつ?」
「まじかよ。デスメサ、リアゲーかよ」
ははははーと軽く笑い合っていると、朝の会のチャイムが鳴りはじめた。
まだ笑いの余韻を残しつつ、のろのろと席に戻っていくと、担任の教師が入ってきて、さっきの地震のことから話を始めた。
みんなすっかり地震だったと思い込んでいるようだが、俺にはさっきの「地震じゃないようで地震のような」感覚には覚えがある。
もちろん、ゲームの魔法ではない。
あれは舞、いやミーナの舞踏技の一つ「
地面をタップすれば地震が起こる。
水面をタップすれば津波も起こる。
これを巨人の股間に叩き込んで悶絶させ、下がった首を
おそらくそれを校舎に軽く叩き込んだに違いない。
俺の真空刃に気づいたからか?
この技のお陰で、話が切り替わって助かったけれど、俺を助けるためというより調子に乗るなと言いたいのかもしれない。
舞ならきっと後者だろう。
俺はぶるっと震えて背筋を伸ばした。
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