第9話 注目の的②

 俺は昼休みに保健室に書類を持って行った。

 先の事故や入院のことで、学校に提出している保険調査票に書き加えなければならないところがあったのだ。


 開け放されていた引き戸の前で「失礼します」と一言言って入ると、真島将道が三人の女子と話をしていた。

 昨日とは違う女子たちだ。


 真島と目が合うと、真島はフフッと軽く笑った。

 真島を囲んでいる女子も、俺を小馬鹿にしたような視線を当ててきた。


 俺は腹が立って、顔を鋭く奥の机の立川先生に向けると、まっすぐ先生の方に歩いて行って、二つ折りの書類をA4クリアファイルから取り出して、先生に突き出すように渡した。


「ご苦労さま。今日は元気そうね」

 立川先生は俺の目を見ながら受け取った。俺の顔色を確認しているようだ。


「おかげさまで」

 俺がぼそりとそう言うと、立川先生はウンウンと頷いた。


 用は済んだ。俺はくるりと後ろを向いて、引き戸までさっさと大手を振って帰ろうとした。


「やあ」

 真島が声をかけてきた。


「ああ」

 俺はちらりと目の端で真島を見てかなり適当に返事をした。

 足は止めなかった。

 早く事件現場から立ち去りたかった。


「あ、ちょっと話が」

 真島は話しかけている子を押しのけて寄ってきた。


「主将、大会のことは……」

「ああ、後でな」

 真島は女子の話を振り切って、保健室から出た俺についてきた。


 俺は後ろの真島に気づかないふりをして廊下をしばらく歩いた。


 こいつは今、女子と一緒に笑っていた。あまり話したい気分じゃない。


 真島はちょっとひるんだようだったが、まだついてきた。

 こうなると、助けてもらったこともあるからずっと無視することもできない。

 俺は一息ついてから振り向いた。


「 昨日は、ありがとう。なにか用?」


 俺たちは並んで歩き出した。

 真島が話をきり出した。


「ああ、いや、今日は元気そうだね」

「うん。いいよ」

「そうか。昨日保健室を出る時、なんだかうなされているようだったから、ほっとくんじゃなかったと思って……」

「そうだったんだ。俺、どうもゲームの夢を見たみたいなんだ。心配かけてすまない」

「ゲームの夢?」

「うん、デスメサだよ。ハマっているんだ。知らない?」


 真島は、顔をしかめてひどくがっかりした表情をした。


「ゲームは……あまりやってないんだ」

「そうなんだ。忙しいもんな」


 階段まで来て、俺は教室に帰るために上がろうとした。


「あのさ、ちょっと見てほしいものがあるんだけど」

 真島はまた声をかけて俺の足を止めた。


「え、なに? 急いでいるんだけど」

 俺は少しイライラしていた。

 早く教室に帰って、安永たちが話しているゲーム大会の計画に加わりたいのだ。大会というか、ただみんなで安永の家に遊びに行くだけなのだが。


「すぐすむから。こっちだよ」


 真島は俺の腕をつかんで引っぱった。

 仕方がない、彼は恩人だ。

 そう思って、俺はしぶしぶ真島の後について行った。


 真島と俺は外履きに履き替えて、武道館まできた。柔道部や剣道部が練習するところだ。


 中の更衣室の隣の部屋のドアに、真島は持っていた鍵を差し込んで入っていった。

 俺は真島の後からおっかなびっくり部屋を覗き込んだ。


 中は教室くらいの広さのコンクリートの壁の部屋で、元は用具室だったと思われたが、並べてあったのはランニングマシーンや懸垂マシン、腹筋運動によさそうな足掛けのついたベンチなどで、小さなフィットネスジムになっていた。

 真島が近くのストレッチマシン──これまた上半身を中心に色んな所を鍛えられそうなやつ──を軽くたたきながらはなし始めた。


「うちで使わなくなったやつを剣道部用に持ってきて作ったんだけど、ここ、使っていいから」

「俺が?」

「そうだよ」

「な、なんで? 真島が保健室で休んでいることなんか、誰にも言ってないし。言う気もないんだけど」


 気分が悪い所を送ってもらったり嘔吐物を始末してもらった俺が、真島にここを紹介するなら分かるが、真島がここを使わせてくれるというのは俺の感覚ではやりすぎな気がする。

 真島は目をそらせて軽く頭を掻いた。


「ああ、あのさ。実は、生徒会室のほうに苦情が来ているらしくて……」

「俺のこと? 姫って叫んだこと?」

「そうじゃなくて。部活動の時に『ウオオオー!』て叫びながら一人トラックを走っているのはちょっと……調子狂うっていうか。みんな同じ部員でだいたい固まって走っている中、一人暴走しているのがちょっと邪魔らしくて……」


 俺は顔が熱くなるのを感じた。


「あ、あれ……顧問の先生には許可を取っているんだけど」

「うん。先生たちには、運動場は広いし、特に問題なく見えるんだと思うけど。一緒に走る身の上としては、走りにくいというか……走っている後ろから叫び声があがったりして怖いという生徒もいたりして。だから、生徒会の方に苦情がいったのかな。でも俺、体鍛えたいの知っていたから、ここを使えばいいって部長会で提案したんだ」


 そういえば、がむしゃらに走っている間、苦しさの山を越えるために声を出していたことがあったから、自分が思っていたより目立っていたかもしれない。

 

「あ、ありがとう。でも、こんな立派なところ一人で使うのはもったいないな。テニス部のみんなと使ってもいいかい?」

「いいよ。いっそみんなに開放しようかな」

 真島がほっとしたようににっこり笑った。


 放課後、部活前に興味を持ったテニス部の同級生三名とジムの部屋に行ってみた。


 入り口のドアには「使用中」と書かれたプレートと「予約表」と書いてあるファイルが紐でぶら下がっている。

 さすがと言うべきか、仕事が早い。


 そして、ファイルにはすでに名前がズラズラと書いてあり、中から驚嘆する声や力のこもった気合いが聞こえてくる。


 ドアを少し開けてみると、隙間からむせかえるような熱気があふれ出し、野球部のユニホームや柔道着を着た連中が一斉にこちらを見た。


 気迫に圧倒されてドアをそっと閉めると、剣道の袴を着た真島が肩をすぼめながら近づいてきた。


「すまない。結局みんなで使うことになっちゃって」

「俺は?」

「ああ。運動場を思いっきり走っていいって」


 部活が終わった後は、帰る方向が同じ同級生と何となく一緒に帰ることになる。今日もそんな風に数名と固まって歩いて、そのうち二人になって、最後うちの近くの十字路で互いに「じゃあな」と別れる──そうする予定だった。


 しかし、俺はまだ最後に別れる一人がみんなといるうちから、独りで別の道に曲がっていった。


「今日は街の方に用事があるんだ」

「へえ。補導されんなよ」


 軽く手を上げてみんなと別れた。


 言った通り、この道路を行くと商店街に出る。

 だが、俺は商店街に用があってこちらに来たわけではなかった。


 学校を出るあたりから妙な視線を感じていた。


 誰かに見られている気配──「まじで死んで」光線よりずっとほの暗く重く暗黒の感情に満ちた意識──その中心は、俺が独りになった後も一定の距離をおいてついてきた。


 やはり魔物が追ってきているのだ。


 魔物の気配は、商店街にきて駅から街に出た人混みに紛れても、途中の本屋に寄ってまた外に出てきても、俺を見失うことなくくっついてくる。


 夕方、日が落ちてきて、そろそろ夜の表情を見せ始めた通りを歩き続けた。


 早く気づいて独りになってよかった。

 二人の時に戦闘になれば、もう一人をかばいながら戦うことになって、思うように動けず不利になるだろう。一緒に帰った相手も驚く。


 しかし、このままうちにも帰れない。


 どうしたものかと考えながら歩いていると、前方に立っている同じ制服の男子学生に気づいた。


「や、安永じゃないか」


 帰宅する人やこれから出かける人が前後に往来する中で、俺より背の高い安永が、俺が来るのを待ち受けているかのように黙ってこっちを向いている。


 安永とは部活に行く前に別れた。

 週末みんなが押しかけて来るから、部屋を片付けないといけないのが面倒だ……と、嬉しそうに話していた。


 その時との違いといえば、恐そうな顔から見下ろされる鋭い眼光と体から発せられた殺気、手に持ったスポーツバッグとバット。


 俺はとっさに振り返ってダッシュした。

 安永も走って追いかけてきた。


 いやだ。安永とは戦いたくない……。


 交差点を曲がった。

 ぶつかりそうになって驚く歩行者を巧みに避けながら必死に走った。

 振り向いたりはしなかったが、周りのざわつき具合から判断して、安永は俺を見失うことなくついてきているようだ。


 急に横から知らない男が掴みかかってきた。

 その手を間一髪避けて、走り続けた。


 川の堤防につきあたった。


 辺りはすでに暗くなって、街灯が堤防に沿った道路を一定間隔で照らし、逃げ道を案内している。


 川上の方に夜空よりさらに黒く浮かび上がるマンションの建築現場があった。


 街灯を頼りに建築現場まで走ると、追う側から死角になるように回り込み、中と道路を隔てて張り巡らされた鉄板になんとか手をかけてよじのぼって、内側に飛び降りた。


 鉄骨やコーンや土にまみれた道具が雑然と置かれている。

 その間に身を沈めて、静かに外の様子を感覚で伺った。


 走る足音や怪しい物音は聞こえてこない。

 感じていた視線の殺気もよくわからなくなった。


 うまくまけたのだろうか……。

 一息はつけたが、不安は拭えなかった。


 安永はどうしてああなったのだろう……。

 急に前世を思い出したのだろうか。

 前世は魔物だったのか? 俺に倒された……。

 魔物が人間になるのもありなのか。

 そして、戦わなくてはならないのだろうか。


 考えたくないことが、次々と頭に浮かんできた。

 でも不安を打ち消すいいアイデアは少しも浮かんでこない。


 しかも、俺はここでも独りではなかった。

 奥のブルーシートを被せた山の上に、誰かが片膝を立ててすわっていたのだ。


「待ちわびたぞ! 宮本武蔵を待たせるとは……小次郎! 敗れたり!」


 妙なセリフを浴びせられて、俺は慌てて立ち上がった。

 男の声だ。セリフから判断して、味方……ではなさそうだ。


「人違いじゃないんですか」


 男に向かって言ってみたが、芳しい反応はない。

 宮本武蔵が何とかと言った男は、ブルーシートの山から降りて近づいてきた。


 月の薄明かりで姿が見えてきた。


 工事現場で働いていそうな薄緑のつなぎと頭に暗色のタオルを巻いた男だ。

 彫りの深い顔は日に焼けていて、白い歯を見せてニヤニヤ笑っている。

 手には、宮本武蔵が巌流島に行く船の中で作ったという櫂の木刀を思わせる長くて太い棒が握られていた。


 ギギギ……と鈍い金属音が響いた。

 現場の正しい入り口らしい鉄板の壁のつなぎ目が押し開けられ、安永も入ってきた。


 そして、別の男も壁を乗り越えて入ってきた。

 Tシャツとジャージを着たラフな中年ぐらいのそいつは、走っている途中、俺を捕まえようとしたやつだった。

 その男も手に黒い鞘に収められた日本刀のようなものをつかんでいる。


 三人に囲まれてしまった。


 三人を交互に見ながら、俺は鞄を置いて、手探りで近くにあった長い棒を掴んだ。

 俺の身長より長いが、プラスチックのシマシマ模様の棒だった。


 俺はシマシマ棒を両手で持って前方に槍のように構えながら、安永に語りかけた。


「安永、落ち着いて。どうしてこんなことをしているんだ」


 安永は俺を睨んだまま、手に持った金属バットを剣のように構えた。


「黙れ、魔王! お前がばらまいた魔霧を晴らすためにアリサ姫は命を捧げてしまった。その仇を取りにきた!」


 安永が叫んだのは、デスメサに出てくるセリフだ。死んでしまったアリサ姫は、魂を修復させるために500年の眠りにつく。勇者は二度と恋人に会えない悲しみを乗り越えて、魔王の城を目指すのだ。

 安永の中で、俺はその魔王らしい。


 俺はライブル──相手の正体や弱点を探る勇者の魔法──を唱えた。


 少しホッとした。


 安永と宮本武蔵野郎は人間だ。

 少なくとも、妖しい姿は見えない。

 弱点はテスト、酸っぱいもの、棟梁の怒鳴り声、女のわがまま──。


 だが、もう一人のラフな中年はそうではなかった。


 もやもやした影が中年男の背後から湧き上がって、人型だが、恐ろしい風態の化け物を映し出した。

 俺たちはグールと呼んでいた。弱点は日光。

 そんなに強いやつではないが、集団で人を狩ってその肉を食らう、気味の悪い魔物だ。


 俺はターゲットをグール男に絞って、シマシマ棒をそっちに向けた。


「魔王、覚悟!」


 横から安永がバットを振り上げてかかってきた。

 体を半身にして素早くかわす。


「小次郎、勝負だ!」


 武蔵も木刀を上段に構えて走ってきた。

 武蔵にシマシマ棒を突き出す。

 武蔵も横っ飛びでかわすとシマシマ棒を木刀で叩いた。

 シマシマ棒は真っ二つだ。


「物干し竿、敗れたり!」

 武蔵がガハハハと豪快に笑った。


 先が割れて尖った棒を振り回して二人を牽制してから、グール男に向かう。

 グール男は一定の距離を保って近づいてこない。


「波動剣! ブースト!」


 安永がデスメサの必殺技を叫んで、バットを振り回してきた。

 野球部で鍛えられた素早い振りだ。

 プラスチックで金属バットは受け止められない。


「やめてくれ安永! 目を覚ませ!」


 右に左に紙一重でかわしながら、安永に叫んだ。

 安永は燃えるような目をしていた。

 何があろうと目の前の敵を全て倒さんとする、迷いのない目だ。


「安永!」

「小次郎、逃げるんじゃない!」


 武蔵も安永の振り回しの間をぬって木刀で突いてきた。


「巌流島は一騎打ちじゃないのかよ!」


 一体どんな場面を想像しているのか、武蔵はめちゃくちゃ突いてくる。


 二人のがむしゃらな攻撃を転がりそうになりながらかわしている時、グール男も動いた。


 攻撃は見えなかった。死角から来たのか。

 俺はほとんど本能で体を引いていた。

 シャツの脇が切り裂かれた。


 気がつけば、グール男は回転しながら飛び下がり、抜いた刀を素早く鞘に納めていた。

 低い姿勢から一気に間合いを詰めてきたようだ。


 やはりこいつから倒さねば!


 グール男に駆け寄る。

 グール男は左に回り込んで逃げて、間合いを詰めさせない。


 俺は両手を別々に斜めに振い、小さな真空刃を二つ出す。


 グール男の左右を真空刃が駆け抜け、男は刀の柄に手をかけたまま体を強張らせた。


 逃げる体制が取れない瞬間、特大の真空刃を出してグール男を真っ二つだ。

 俺の目はその刹那を捉え、技を出そうとした──。


「待て、アーティー! 殺すな!」


 グール男と俺の間に何かが飛びこんできた。


 ぐさりと地面に突き刺さった両刃のナイフを見て、俺たちの動きが止まった。

 ナイフが飛んできた方に、俺と他全員の目が向く。


 作りかけのマンションの鉄骨に、細身のスーツ姿の人間が乗っている。

 聞き覚えのある男の声だ。


「殺すな! 殺せば死体ができる。前世は魔物でも、ここでは人間なんだ。殺人だぞ」

「その声は、ジェイルか」


 スーツの男は、鉄骨から鉄骨へ巧みに飛び移りながら降りてきた。


 ヨレヨレのスーツ、ボサボサの髪型。

 以前はシルエットでしか会えなかった奴が、今、俺の隣に、目の前に現れた。


「殺すなよ。ここは戦場じゃねぇ。死体隠しはめんどくさい。元勇者を逮捕したくはないねぇ」


 しばらく剃ってなさそうな無精ひげの顎を撫でながら立っている男は、パーティー一の身の軽さを誇る元盗賊ローグのジェイルの顔をしていた。


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