第5話 家族以外の誰か①
俺が出したいと思っている「
簡単といっても、それなりに鍛錬を積んでどのくらいの力とスピードで空気を巻き取って真空を作り、遠方へ降り投げたらいいか、個々の能力に合わせたコツを自分で掴まなければならない。
俺は勇者の力を持っていたので、筋力の他にその力で空気の渦を集めてより多くの真空の刃を出すことができた。
勇者の力とは、魔物が持つ力と相反する魔法の力だ。魔法というと魔物の「魔」が付いているからわかりにくくなってしまうので、「聖なる力」とよく言われている。魔法の力の属性には火、水、土、風があるが、それとは別に聖と魔の属性があるのだ。聖の火属性、水属性があれば、魔の火属性、水属性がある。血液型にRH+のA型・B型とRH−のA型・B型があるのと同じだ。
古来から人間は聖なる力を持っていた。でも、年月が経つにつれその力は薄れ、一般人はないのも同然となり、今では王族と鍛錬を積んだ聖職者などが発揮する力になっていた。
だが、時として一般人の中から王族も及ばないほどのずば抜けて強力な聖属性の力を持つ者が生まれてくる場合がある。それが勇者だ。
勇者の俺は、魔法を使えば魔物に対しては無敵に近い。剣技にも聖属性の力を乗せてやれば、普通の人間よりも多くのダメージを与えることができる。
だから、真空刃を出せるようになればスライムぐらいの弱い魔物なんか赤子の手をひねるようなものだと思い、それを目指して体を鍛えていた。魔法も剣技もそれなりに体を作らなければマスターできない。
しかし、鍛え始めて五日経っても、真空刃は出なかった。
今までの普通の中学生としての怠惰な生活が祟っているのか、毎日筋トレをし、もりもり飯を食べ、校庭や家の周りを走り込んでも、空気を捉えるほどの振りもそれに乗せる聖なる力も蘇ってこない。
前世ではそんなに時間をかけなくても出せるようになったと記憶していたが……。
それどころか、胃痛と筋肉痛で今日など朝起きるのもやっとの有り様だった。
ベッドから這うように出て、自分の寝室から壁伝いによろよろと歩き、きつい体を投げ出すように食卓の椅子に座った。
「勇也、大丈夫なの? 顔が土色よ」
キッチンカウンターから母さんが心配そうに顔をのぞかせた。
「いいから早く朝ご飯にして。空き地で真空刃の練習をしてから行きたいんだ」
「でもねぇ」
「いいから出して!」
俺は食卓につっぷしてイライラしながら言った。
母さんは前世では名の知れた戦士だった。剣技だけなら、俺はその戦士と対等に渡り合える程の腕前を持っていたのだ。
でも、この世界では母と息子で、しかも俺は今ボロボロ土色状態で心配されている。なんだか情けなかった。
母さんが黙ってトーストと目玉焼きを持ってくると、セーラー服に着替えた舞が入ってきた。
「おはよう、ママ。今日はこいつ一段と……顔色悪いわね」
「フン」
舞が俺の顔を覗き込んだので、顔を横に背けた。
舞もフンと顔を背けると、冷蔵庫の牛乳を自分のグラスに注ぎながら言った。
「いきなり動きすぎなのよ。今までだらーっとここの平和を満喫していたくせに。私だっていきなり残像ステップが出せたと思う? 生まれ変わったつもりで、初めの舞の足の運びから練習したんだからね。ほんとに生まれ変わったんだけどさ」
「うるさいな。ほっといてよ」
俺は筋肉痛でゆっくりとしか動かせない手で箸を掴むと、目玉焼きをトーストに乗せて口に運んだ。空腹のはずなのに口の奥から何かがこみあげてきそうになったが、それを飲み込んでからトーストをかじった。「腹が減っては戦はできぬ」が俺の信条だ。あの頃だっていつ魔物がくるかわからなかったから、食べられるときはとにかく食べていた。
舞がわざとドスンと勢いよく椅子に座った。その振動すら全身に響く。
「舞。やめて」と母さんが舞をにらんだ。
「でも、今日は本当に顔色が悪いわ。休んで寝ていたらどう?」
母さんが舞に朝ごはんを出しながら心配そうに言った。
ずる休みを嫌う母さんが言うのだから、よっぽど悪く見えるのだろう。実際とてもきついので俺も返事に躊躇した。
父さんが起きてきた。
「おはよう。……勇也、どうした? 熱があるんじゃないか?」
やっぱり心配されている。俺は、俺の傍に来た父さんとぶつからないようにトーストを持ったまま立ち上がった。
「大丈夫だから。行ってきます」
できるだけ元気に言ったつもりだったが、腹に力が入らないので弱弱しい声になった。
俺は軋む体をできるだけ大きく動かしながら玄関に向かった。
転生前の記憶が戻ってから、俺が「父さんもウェルスだったころを思い出せばいいのに」と言ったら、母さんが「そうしたら、誰かが父さんを護衛しないといけなくなるでしょう? 父さんはあまり魔物に知られていないと思うけど、私たちの仲間だっていうだけで襲ってくる魔物がいるかもしれないじゃない。あの人、きっと今でも戦闘力あまりないわよ」と返事をした。一緒にいた舞も頷いていた。
それから、俺は父さんに前世の話や前世でやっていた行動を見せたり聞かせたりしないように気をつけた。そういうものに触れて、ふとしたはずみで転生前の記憶を思い出さないとも限らない。だから、技の練習をしている今はあまり父さんと話をしたくなかった。
俺が早く真空刃を出したいのは、舞や母さんに迷惑をかけたくないだけでなく、いつ父さんがウェルスになっても守れるようにするためでもある。
のろのろと靴を履いて出て、教科書の詰まったカバンとジャージなどが入れてある学校指定のスポーツバッグを持って、油の切れたロボットみたいにぎこちなく階段を降りていると、後ろから舞が自分のカバンとスポーツバッグを持ってついてきた。
「ママが一緒に行ってあげてって言うからさ。自分のカバンは自分で持ってよ」
「勝手に、しろ」
俺は、近くのまだ整地されていない団地の一画に行くと、一生懸命手を振った。真空刃に手も剣もあまり関係ない。
でも、空気の刃なんて出る気配はない。
舞は腕組みをして突っ立ったまま、そんな俺を黙って見ていたが、十回ばかり手を振ったところで、「もう、学校行かない?」と伸びをしながら声を掛けてきた。
確かにこの最悪のコンディションでは技が出ないのは当然のことだ。悔しい気持ちはあったが、俺は腕を振るのをやめて、黙って歩き出した。
舞は「もう」とむくれながらついてきた。
塀に寄りかかるように歩きながら、腹を腕でつい抱え込んでしまう。体の調子も悪いがお腹も自分の体ではないかのように違和感がある。トーストはさっきなんとか飲み込んだが、まるごと胃の中に残っているような気がする。胃が重たくて、トーストが石でできていたようだ。
「しょうがないなあ」
舞が俺のカバンも一つ持ってくれた。持ってはくれたが、一言付けるのも忘れなかった。
「そんなに具合悪くても学校行くわけ? 今までもそのくらいの根性があれば、すぐに技が出せたかもしれないのにね〜」
「うるさいな……」
気遣ってついてくるなら黙ってきてほしい。
おまけに頭上の曇り空にはカラスが数羽、カァカァ鳴きながら旋回していた。
「なんかイヤーな予感がするわね……」
舞がカラスを見ながら呟いた。
俺の足取りが遅いので、周りには登校する生徒は一人もいなくなっている。
それとは反対に、だんだんカラスの数が増えてきた。少なくともざっと二十羽はいる。空に円を描きながら増えていくカラスはとても不気味だ。
舞は自分のスポーツバッグから細長いスポーツタオルを取り出し、自分の首にかけた。
それに触発されたのか、旋回していたカラスが、突然真っ黒い塊になって急降下してきた。
俺の斜め前から俺たちに向かって突進してくる。
こいつらも魔物なのか━━逃げないといけないのだが、足が思うように動かない。
舞がタオルを構えて俺の正面に立った。
「
舞が三人に分身し、鋭く振るうタオルでカラスを次々に打ち落としていく。
数羽がタオルをかいくぐり、空へ逃れていった。
だが諦めてはいない。再び旋回してタイミングを図っている。
「すばしっこいわね」
舞が見上げながら呟く。魔物の殺気と舞の闘志がぶつかって火花を散らしそうだ。
その緊張感が俺のなんとか神経を刺激したのか、お腹に抱えた何かが湧き上がってきた。口の奥が酸っぱい味がする。慌てて手で口を押さえたが、込み上げてくるのを我慢できない。
「まい……どいて……」
「え? なんて?」
カラスがまた急降下してきた。
舞が目の前で構える。いい方法なんて考える余裕はなかった。
俺はありったけの力で舞を突き飛ばした。
「ちょ! なにすん……」
「うげーー!」
間一髪だった。
腹の中のトーストや昨夜のおかずらしきものが喉の奥で爆発して、黄色い胃液と共に口からレーザーのように飛び出した。
放物線じゃなかった。直線だった。俺は一瞬ゴジラになれた。
俺の放射能砲は向かってきたカラスどもに見事にヒットし、全羽を黄色く染め上げて地面に転がした。
重たかった腹が軽くなってスッキリした。はあーと自然に安堵の溜息がもれる。ゴジラも出し尽くした後はこんなさっぱりした快感に襲われたに違いない。
ただし、目の前はすごい惨劇だ。自分は殆ど汚れずに済んだが、ツンと鼻にくる匂いも漂っている。シチューの具のようになったカラスはピクリとも動かない。吐瀉物で魔物がやられるとは……こいつら、酸に弱かったのかな。
「ごめん、舞。我慢できなくて……」
舞は真っ青な顔をして立ち尽くしていた。汚れてはいないようだ。
「なななななに、今のは……。ああ新しい勇者技か、何か、なななの……?」
今度は舞の方が気分悪そうだ。唇まで青くなってまともに喋れないほどブルブル震えている。
「ああああたし、ここういうの、無理だから。看護師さんとか、絶対なれないやつだから。ほんとマジ無理! 傷のグジュグジュとかお腹壊したやつとかマジダメだから!」
看護師さんも好きでそんな物を始末している訳ではないだろうに──それにしても、道路に派手にぶちまけてしまった。カラスの魔物は撃退できたが、この後をどうしたらいいだろう。このまま学校に行ったら、うちか学校に苦情がきそうだ。
雑巾もなくて二人で途方にくれていると、前の道路から黒いピカピカのクラウンが一台走ってきた。俺たちのいる団地の狭い道路に入ってきて、すぐそばの路肩に静かに止まった。
どうしたんだろうかと見ていると、後ろの黒い窓が下がって、俺と同じ中学校の制服を着た少年が顔を見せた。そいつは、俺たちに気の毒そうにかすれ気味の低い声で尋ねた。
「気分が悪いの? 家まで送ろうか?」
口をきいたことはないけれど、顔は知っている。俺と同級生だ。切れ長の目が涼し気な男前。ファンクラブもあるという、
この状態をほっといてか?━━俺は返事に困って舞を見た。さっきまで青かった舞の顔には薄っすら赤みがさしている。こいつもファンだったのか?
「いえ、うちのバカ愚兄が車汚したら悪いですから。それに、これどうにかしないといけないし……」
舞が急にしおらしい態度になった。「愚兄」という言葉を知っているのは偉いが、「愚」に「バカ」までつけなくてもいいだろう。
運転席のドアと反対側の後ろのドアが同時に開いて、前からはタクシー運転手のような帽子を被った中年男性が、後ろからは真島将道そっくりの切れ長の目をした赤いスーツの女性が降りてきた。
「乗っていきなさい。そこは私たちで洗っておくから。松村さん、連絡して」
「かしこまりました、奥様」
女性は、真島の母さんに違いない。
松村さんと呼ばれた運転手は道端に移動すると、スマホで誰かと話を始めた。真島の母さんは俺に手招きをしながら舞の方へ行くと、舞の背中も軽く押した。
俺たちは真島の母さんに促されるまま、後ろの席にまず舞が乗り込み、俺が乗ると、外からドアを閉めてくれた。
中で真島将道がウェットティッシュを渡してくれたので、口元を軽く拭いた。
真島の母さんは運転席に乗り込んだ。
「すみません。気分は良くなったので、学校に行ってください」
俺が母さんに言った。
「そう。私たちも学校へ行く途中だから、助かるわ」
真島の母さんは運転手を外に置いたまま、慣れた手つきで車を発進させた。
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