第4話 この世界とは……

 俺はまだ緑が残っている方を目指し,舗装されていない山道についた。周りは畑と荒地だ。


 すでに猫は猫ではなかった。毛皮や肉はどろどろとしたゼリーに変化して俺と同じぐらいの大きさに膨れ上がり、辛うじて四つ足の動物の形を保ちながら追いかけてくる。


 畑で作物の支柱に使われていた木の棒を引き抜いて、草ぼうぼうの荒地に入った。


 誰もいないから、思いっきりできる。

 俺は「ライブル」を唱えた。勇者だけが使える初級魔法で、魔物の正体や弱点などを見抜くことができる。

 他の魔法も唱えてみたが発動しなかった。使えるだけの魔力がたまっていないという感覚だ。


 猫だったモノは、前世はやはりスライムだった。前世の記憶が今の体も変化させたらしい。

 弱点は体の中心にある核だ。半透明なゼリーの中にうっすら影のように見えている。あの世のスライムと同じだ。


 スライム猫は毛を逆立てるようにでかくなった体を波立たせ、俺を威嚇した。フウウウーと喉だったトンネルから出る声はまだ猫だ。


「ナリはまだ小さいが、俺は元勇者だ。舐められんなよ。やってやるんだ」


 自分にそう言い聞かせ、棒を槍投げのように構える。

 スライム猫が大口を開けて飛びかかってきた。

 喉の奥に核が覗く。

 俺はその核に向かって体ごと当たり、棒を突き立てた!


 ギエエエー!と空気がビリビリ響くほどの叫び声を上げ、スライム猫は体を強張らせた。

 口の中の俺を噛み砕こうと何度も顎を閉じようとするが、俺が核をめちゃくちゃに突きまくるので、痛みで体が仰け反り、口が閉じられない。


 俺は核がぼろぼろになり、スライムが形を留められず、溶けて地面に吸い込まれていくまで、棒で突き続けた。


× × × ×


 スライム猫のお陰で完全に遅刻した。

 一時間目の授業が終わって、国語の先生が教室を出てから傷だらけ埃だらけの俺が入ると、同級生は一斉にざわついた。


「吉留、どうしたんだよその傷」

「ちょっとな。化け猫に追いかけられたもんで」

「トラックには勝てたのに、猫には負けたのかよ」

「負けてねーよ。ちゃんと来てるだろうが」


 俺は鞄を机に置くと、急いで一年生の舞の教室に向かった。

 舞は日直らしく黒板の文字を消しているところだった。

 教室の入り口で、舞に手招きしてそっと呼んだ。


「ミーナ、じゃなかった、舞。ちょっと話がある」

「うっわ。なんなの、その恰好は」

「いいから、ちょっと来てくれ」


「なになに、舞、ご指名きた~?」

「残念でした。兄貴でーす」


 他の女子の冷やかしを軽くいなしながら、舞はついてきた。

 俺たちは、二階で校舎同士をつないでいる渡り廊下の真ん中に来た。

 渡り廊下には俺たち二人だけだ。俺は舞に向き直った。舞は俺が何を話したいかわかっているようで、余裕の笑みを浮かべている。


「今朝、しゃべる猫にあったぞ。俺のことを『ユウシャ、アーティー』って呼んで襲ってきた。あれがお前たちが気にしていたやつなんだろう?」

「さっすが、勇者。引きがつよいね。もう会ったんだ」

「なんの『引き』だよ。あれは何だ。魔物も転生してきているのか。お前たちもあんなのに会っているのかよ」

「そうよ。時々ね。きっとさ、この世界ってあの世界の『天国』なんじゃないかなぁ。死後に住む世界ってやつ」

「じゃあ、神様はどこにいるんだよ」

「さあね。あの世にもいろいろあるじゃない。死んだ後も生きていたころと同じように生活するっていうあの世が。エジプトなんかがそうらしいじゃない。そんな感じなんじゃないかなぁって、レグルスと話しているんだよね。あたしたちにもよくわかんないの。誰も教えてくれないんだもん」

「今まで、こんな目にあったことないぞ。なんでだ。父さん……ウェルスも、こんな目にあっているのか」

「そこなんだけど……」


 舞は首を傾けて少し考え込んだ。


「これは、私が勝手に思っていることなんだけど、自分の過去の記憶を取り戻すと、体から『転生者臭てんせいしゃしゅう』がするんじゃないかなぁって」

「臭い? 臭いなのか?」

「臭いというか、気配というか……とにかく分かるようになるんだよ。アーティーも慣れれば『あ、こいつは』って分かるようになるよ。だから、記憶がなかった時には襲われなかったんだと思う」


 俺は思わず自分の匂いを嗅いだ。汗臭さしかしない。なんだって? ここはあの世界の『あの世』だって? ロクシア国の神官たちはそんなこと言ってなかったぞ。しかも魔物も一緒の『あの世』じゃないか。じゃあ、ここにいる生き物はみんな転生者──いや、死者なのか?

 俺は自然に頭を抱えた。無自覚にうーんと声が出て髪をぐしゃぐしゃにしていた。ロクシアの神官たちは、死んだら魔物のいない神の力が行き届いた平和な世界に行くんだと説いていた。確かにここはあの世界と比べたら魔物の平和な世界なのかもしれないが──今までの価値観が、頭の中が大崩壊だ。混乱の渦になっている。


 そんな俺を、舞はニヤニヤしながらもちょっと憐れみの瞳で俺を眺めている。舞の中の混乱は、ずっと前に治まって、今俺に説明したことを考えてきたのだろう、レグルス母さんと二人で。

 知らなかった、今まで一緒に住んでいたのに。俺の方が早く生まれた兄貴だったのに……。


「全然わからなかった。そんなことがあるなんて。記憶を取り戻してから、ずっと襲われたりしていたのかよ……舞は」


 俺の問いに、舞は偉そうにふふんと鼻をならした。

 周りを見渡して、休み時間の騒がしい中、俺たちが注目されていないことを確認すると、ゆっくり両腕を振り上げた。指先まで神経をとがらし、手のひらを丁寧に美しくそらせる。


「ま、レグルスはあの体格ガタイで大概の奴は吹っ飛ばすみたいだし。あたしにはこれがあるからね」


 舞は片足を軸に華麗に一回転した。


 急に目の前の舞が三人に分裂した!

 俺が驚いて一瞬腕で顔を覆った時、すでに舞は五メートル先の渡り廊下の端にいた。


 残像ディレイステップ──舞、いや舞踏家ミーナの得意技の一つ。高速の足さばきだけでなく手の微妙な動きで相手の脳に認識障害を起こさせ、自分の残像を相手に見せる技だ。これに剣舞『阿修羅舞』が加わると、小型の魔物なら二、三十匹は軽くスライスしてしまう。


 俺が勇者としてバリバリの現役だった頃は、このミーナの動きぐらいなら目で追えたのに。今は全く見えなかった。


「私もまだ子供だからね。昔みたいに六つ身、七つ身にはなれないけど、この辺うろついている奴らならこれで撹乱できるから。目を回している合間に逃げれるし。もしくは、エイ!」


 舞は軽くチョップをしてみせる。

 キンコンカンコーンとチャイムが鳴った。休み時間が終わる。


「あんたも早いとこ昔の感覚を思い出すことね」


 バイバーイと舞は手を振って、慌ただしく動く生徒たちに紛れて教室に帰っていった。




 放課後、俺は男子テニス部の部室に向かった。顧問や三年の先輩達が何か話をしていた。


「お久しぶりです!」

「おお、吉留。もう、体は大丈夫か? 退院したとはきいたが、なんだか傷だらけだな……」


 部室にいた顧問がいぶかしげに声をかけた。


「大丈夫です! ですが、今日は体力づくりをさせてください。入院していて体がなまっちゃって。ラケットも忘れてきちゃいました」

「まあ……かまわんが」


 俺は部活の準備を手伝った後、校庭をひたすら走り続けた。

 腕立て伏せもした。スクワットもしてみた。

 結局、どの部員よりも汗だくになって帰った。

 先輩や他の部員のボソボソ呟く声が背中から聞こえる。


「あいつ、あんなに熱心だったか?」

「さあ。でも、どこをめざしているんだろう……?」


 家に帰ると、いつものように一階の喫茶店で父さんが晩御飯を作ってくれた。店の人気メニュー、カツサンドを作るときのトンカツでカツ丼だ。しかし、それだけでは足らず、二階の家の冷蔵庫から余りもののおかずや冷凍チャーハンを温めてもりもり食べた。


 パートから母さんが帰ってきて、俺を見てぎょっとした。


「汗くさっ! しかもなにその傷は……あんた、会ったんでしょう? もう、だからお母さんの武器持って行きなさいって言ったのにぃ~」

「ちゃんとぶっ殺したよ。元勇者をなめんなっつうの。でも、手刀で『真空刃エアブレード』くらい出せないとヤバいからさ、体鍛えないとな。いっぱい食ってでっかくなってやる」


 母さんが買い物袋をパサッと落としてよろめいた。


「やめて……お母さんの夢を壊さないで……」

「な、なにそれ」


 母さんは力なくうなだれたまま、よろよろと食卓に手をついた。


「鍛えたら筋肉ついて早くも男くさくなっちゃう……。ただでもそのうちひげが濃くなってすね毛がぼうぼう生えてくるのに。せっかくジャニーズとまではいかなくても、ちょっとかわいく産んで『やった♡』って思っていたのに……。筋肉付いたらかわいくなくなっちゃうよ。背も伸びなくなるわよ。やめて。身長と声変わり以外変わらないで! せめてもう少しお母さんの『勇也』でいて~!」

「なにそれ。俺がやられてもいいのかよ」

「だから、お母さんの武器持って行けば……」

「あんなの恥ずかしくて持って行けないよ。変な夢見ないでよ。戦士レグルスはそんなの愛でる趣味なかったろ!」

「ううう……子供は特別なのお〜」


 父さんが下から上がってきた。店は家の中でも階段で繋がっている。


「お母さんお帰り。どうしたんだい?」


 母さんが父さんに飛びついた。おっとっとぉ〜と父さんが踏ん張って受け止める。


「あなた! 勇也が、勇也が鍛えるって! 私、あなたみたいな爽やかで優し気な人になってほしかったのに」

「勇也の好きにさせなさい。私は、君みたいな頼もしくて健康的なほうがセクシーだと思うよ」

「あなた~」


 母さんは父さんの胸に顔をうずめてしくしく泣きだした。

 見てられない──。俺は母さん達の事は気にせず、棚から食パンを一斤出してマーガリンをつけてパクつく。


「ただいまー」と舞がダンススクールから帰ってきた。

 舞は部屋の入り口で母さんをなだめている父さんの脇をするりと抜けてきたが、リスのように食べ物で頬が膨れた俺を見つけてビクッとした。


「親の濡れ場を越えたと思えば……。あれね、前見た昔のルパンの映画みたいに、めちゃくちゃ食べて寝て、回復するってやつね。強くなったかはわからないけど」

「食べたらまた走る! とにかく動いてから寝る!」

「吐くんじゃないの? それ」


 舞はあきれ顔だ。でも気にしない。俺には俺のやり方がある。

 母さんが泣き顔を父さんの胸から上げて怒鳴った。


「プロテインだけは飲ませませんからね!」

「ナチュラルに鍛えるわい!」

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