第3話 登校の必需品?

 精密検査を受けても、特に悪いところは見当たらなかったので、俺は晴れて退院することができた。


 父さんは、お見舞いに来てくれた同級生や舞のダンスチームの仲の良いメンバーも呼んで、約束通り俺の退院祝いを開いてくれた。

 トラックにぶつかっても五体満足でいられたのは奇跡、すごいなと、ちょっとしたヒーロー扱いを受けた。


 そして、また元の日常へ、久しぶりに登校することになった。


 二週間ぶりになる。本当はもっと家でのんびり過ごしたかったのだけれど、あの母さんが「勉強が分からなくなるわよ。あの世界みたいに魔物倒せばいいってもんじゃないんだから」という。


 それに、実際「過去」のことを思い出してからは、なんとなくやる気があるというか、自分自身がはっきりして自信が湧いてきたような、これ以上じっとしていられないような気分もあった。だからといって学校を休んで家の外に出て元気な姿をさらすのは気が引ける。事故に遭っていても。


 朝の登校前、タンスの隣の姿見で久しぶりの制服姿を確認した。

 白の半そでシャツに学生ズボン。そして、まだ中学生でただ子供をびよーんと間延びさせただけのような幼顔の俺。


 あの世界の俺は、最期は二十歳を過ぎた若者で、もっと背が高く体も鍛え上げられていた。あの世界のあの国━━ロクシア国は、生まれたころから魔物たちと小競り合いをしていた落ち着かない国で、そのため徴兵制度があった。十六才になったら身体検査を受けて予備役兵として登録される。


 本来なら、志願兵以外は補充が必要な時だけ徴兵されるのだが、俺が十六才になった時には魔物の侵攻が激しく、大概の若者がすぐに兵役につくことになった。

 そんな世界だったから子供の頃から何気に鍛えられ、小柄でも日に焼けて締まった体つきをしていた。


 今の俺はまだ十六ではないが、それを差し引いても青白いひょろひょろの箱入り的な感じだ。一応テニス部だから文化系よりは体ができていると思うが。あの世界でこんな奴は、貴族の頭でっかちな長男坊ぐらいだった。家系を絶やさないために、魔物が来ない別荘に閉じ込められて育てられたような。ここでは俺も長男だけど。


 背もクラスの真ん中くらいだ。

 過去の自分そっくりになるならもっと背が伸びるだろうし、レグルス母さんの血が出るとしたら、もっとガッチリした体格になるだろう。

 ウェルス父さんに似てしまったら、このまま少し背が伸びて爽やか青年になっていくのかもしれない。あの世界と違って平和な国だから、その方がモテそうではある。


 これからの俺はどうなるのだろう。あの世界とは全然違う世界なのだから、全然違う人生になるはずだが……。


「勇也、支度できたの?」


 台所から母さんが呼ぶ声が聞こえる。俺は考えるのをやめてカバンを持って玄関に向かった。


「ハンカチとティッシュ持った? 忘れ物はないわね?」


 玄関で心配そうな母さんが待っていた。久しぶりの登校で気になるようだ。


「ないよ。行ってきます」

「あ、待って。これを渡してないわ」


 母さんが細長いものを差し出した。

 俺はテニスのラケットだと思って、靴を履きながら「まだ部活は休むよ」と言おうとして……思わずそれを二度見した。


 母さんが持っていたのは木製バットに無数の釘を打ちつけた見た目も凶悪な棍棒? だった。


「なに!これ!」

「なにって、必要だと思って……」


 俺がびっくりして言葉が出ないでいると、バタバタと舞が廊下を走ってきた。


「なんで入り口で固まっているの。遅刻しちゃうよ……わ! ママ、わざわざ作ったの? それ」


 舞も母さんの持つ凶器を見て軽くのけぞった。


「ちょっと大げさだったかしら。なんだか心配で」

「大げさすぎだよ。そんなもん持ってたらお兄ちゃん捕まっちゃうよ。竹刀か、釘を付けなきゃよかったのに」

「そう……じゃ、これもだめね」


 母さんは、背中の陰から鍋の蓋に鉄板を打ちつけたものを出してきた。

 兄妹二人で叫んだ。


「「なんなの、それ!」」


 母さんは大きな体を鉄板の後ろでもじもじさせながら答えた。


「機動隊の盾が欲しかったんだけど、ジェラルミン製のお古でも高くて。自作してみたんだけど……」


 舞は額に手を当てて、中世の気を失う貴婦人のようにふらふらしてみせた。


「そんなのいいって。お母さんて、どうしてお兄ちゃんのこととなると過保護になるのかしら」

「だって、なんだか頼りなくて……」


 なぜに母さんがヘンテコ武器を作るのか──二人には分かるようだが、俺には思い当たる節がない。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 一体なんでこんな事になってるの? 訳わかんないんだけど」


 俺が叫ぶと、二人ははっとして顔を見合わせた。


「ママ、説明してなかったっけ?」

「当たり前になっていたから、つい忘れてたかも」

「とりあえず、今日は普通に学校に行けばいいじゃない。今日会うとは限らないんだから。私、先行くね。日直だから」


 舞は俺の横をするりと抜けて、外へ飛び出して行った。


「『今日会うとは……』て一体なんの話なの? なんでこんな物がいるんだよ。魔物でも出るのかよ」


 自作の凶器を抱えた母さんは顔を赤くして恥ずかしそうに体を縮めている。


「ええまあ、出るのよねえ。でも、お母さん、ちょっとやりすぎちゃったかな。普通の鍋のふたやスリコギならあるよ。ラケットでもいいんじゃ……」

「ゲームの初期装備でもあり得ないよ。どれ使っても魔物倒せないし。だいたいこの世界で魔物が出るわけないじゃないか。今日はまだ部活やらないからね」


 心配そうな母さんを見ているとなんだかイライラしてきて、俺はさっさと玄関を出た。


 玄関の外は二階だ。階段を下りる。俺たちは父さんの店の喫茶店の二階に住んでいる。山を切り開いた団地の端っこにあるので、『緑林亭』の名前通り店の裏は山の緑に囲まれている。でも、少し歩くと大きな道路が通っているので、田舎過ぎず、便利なところだ。

 俺はその道路には出ず、団地の中を通って登校する道を選んだ。


 久しぶりの登校だ。

 学校大好き!……なんてことは全然ないが、前世の記憶が蘇ってこことは違う社会を見たせいか、学校へ行くことがとても新鮮な行動に思える。時々見かける同じ中学生に名前は知らなくても挨拶したくなるほど気分が高揚している。自然と歩く速度が速くなった。


 塀の上に猫がいた。白黒のブチ模様のどこにでもいそうな、たぶん野良猫だ。樹木の影になっている所で休んでいる。気分のいい俺は、野良猫にもつい「よっ」と声をかけた。

 猫も鼻をひくひくさせて、返事をした。


「オマエ、ユウシャ、アーティー、ダナ?」


 体が止まった。この猫、ナンテ言ったんだ? 今……。


「ココデ、オマエニ、会エルトハナ。前世ノウラミ、ハラサデオクベキカ!」


 猫が毛を逆立て、フーッと唸り、飛びかかってきた。


「なんだ、こいつ!」反射的に腕で払い落とす。


 猫はひるまなかった。体勢を整えて発情期の鳴き声みたいな声を上げて飛びあがり、顔に胸にガリガリ爪をたてた。


「いてぇ! やめろ!」


 夢中で掴んで投げた。猫はアスファルトにべしゃっと打ちのめされた。


「やだぁ、猫ちゃんかわいそう」

「猫ちゃん、いじめるの反対!」


 通りがかった女子中学生二人が俺をにらんだ。

 この状況でも、俺が動物虐待をしているようにみえるらしい。

 猫は身震いして起き上がると、背中を丸めて唸りだした。凄い殺気を出してこっちをにらんでいる。

 猫の声を聞いて、窓からのぞく人も現れた。


「くそっ。なんなんだ、これは!」


 俺は走り出した。

 フギャアアアーと、しっぽに火をつけられたような声を上げながら、猫も追ってきた。

 団地の狭い界隈を無茶苦茶に走り回ったが、猫はずっと猛ダッシュでついてくる。


「おーい、吉留ぇ。どうしたんだよ~」

「わかんねーよ、いてぇ!」


 声をかけられて速度を緩めるとまた飛びかかられた。

 振り払った猫が軽く壁にたたきつけられると「うわ、怖い。なに!」という無分別な恐怖の視線を感じた。

 この辺りの住人はこんな暴力沙汰には慣れていない。俺の行為は正当防衛だが、このまま目立っているとどこかに通報されてしまうかもしれない。


 今朝のやり取りを思い出した。

 母さんたちが言っていたのはこのことに違いない。

 猫は俺を「ユウシャ」と呼んだ。勇者、と。

 ……ということは、まさかこの猫も転生者で、俺に恨みがあるとすれば──魔物のほうなのか?


「マテ! 喉元噛ミキッテヤル! トカシテヤル!」


 猫は執拗に攻撃を仕掛けて来る。どうも猫の体は大きくなってきているような気がする。

 猫が転生した魔物ならば、それならばやることは決まっている。

 俺は人気のない道の方へ走っていった。

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