* 閉め出された男

 こうなりゃ嬢ちゃんでもいいや。なあ、嬢ちゃん。そこの葡萄酒色の嬢ちゃん! 嬢ちゃんからも言ってくれよ。おれは黒シャツになったわけじゃないんだ。女房にそういってくれよ。

 いや、女房がおれを家から閉め出しやがってさ。女房ときたら、黒シャツ隊が大嫌いなんだ。三年前、彼女の親父さんが連中にひどい目にあわされたからね。

 だからって、亭主のおれを家から閉め出すなんてあんまりじゃないか。いいか、あれはべつに別に政治的な意図があったわけじゃない。ただ、おれはあの黒シャツ隊の連中が公園でポンチ酒をふるまっていたから、一杯もらっただけだ。そう、ポンチ酒。スイカとオレンジの入った酒。で、まあ一杯もらったら、そこは付き合いもあるから。演説も聞いたってわけだよ。

 内容? わかるだろ。お決まりの敗北主義者を追い出せとか、アカをつぶせとか、ホモを締め上げろとか、そんなとこだよ。黒シャツを着たちょび髭の太っちょが演壇にのぼって、口から泡でもふくんじゃないかって勢いでしゃべりとおし、しゃべったんだ。見ものだったよ。だって、その太っちょと来たら、制服はきつくて、すっかりぴちぴちでさ、まったく豚の血入りの黒いソーセージといった風情なんだ。その真っ黒ソーセージがだね、演説に熱を入れれば入れるほど顔を真っ赤にしていくんだ。黒と赤のコントラストだよ。わかるだろ。その後、どこかに行進することになった。おれはそのころにはポンチ酒を五杯もいただいてすっかりいい気分になっていた。あいつら、よっぽど強いリキュールをポンチに入れたんだろうな。それでおれはほろ酔いでついていったんだ。

 え? 黒シャツ式の敬礼をしたかって? さあ、よく覚えていないな……いや、一度したかな。リビア広場を横切るとき、〈統領〉のポスター目がけて。万歳を一発。

 だからっておれは黒シャツじゃないよ。酔っ払ってたんだ。わかるだろ。

 おいおい、どこに行く? なに? これから海に泳ぎに行く途中だって? 海は逃げやしねえよ。それよりおれの話を最後まで聞いてくれ。

 その後、黒シャツどもは大学まで行って、ワイシャツにカンカン帽姿の学生どもを仲間に引き込んだ。学業そっちのけでフェンシングに熱をあげる右翼がかった学生たちだよ。そこであの太っちょが登場だ。あの黒きソーセージはまた演壇の上に立って(たぶんやつらの仲間が演壇を折りたたんで持ち歩いてるんだろう)、アカとホモと敗北主義者を吊るし上げたんだ。それを聞いた学生どもはすっかり舞い上がっちまって、何をしたと思う? 大学の教授を一人とっつかまえて頭の毛を刈っちまったんだ。そりゃめちゃくちゃな刈り方でね。黒シャツのやつらは普段からこんなことばかりしてるんだろうな、ご丁寧にバリカンを持参しててさ。学生たちが講堂からその教授を引きずり出すと、地べたに組み伏せて、バリカンで血が出るくらい乱暴なやり方で髪の毛を刈っていったんだ。そのあいだ、学生も教員も遠巻きに見てるだけで誰一人それを止めようとしないんだぜ。あれには恐れ入ったよ。その後、「わたしはホモ。アカの味方」って書いた大きなカードを教授に持たせて、また行進だよ。やつらは閲兵広場からイェレミーアス街までその教授をさらし者にしてから解放した。きっと先生さん、真っ先に床屋に駆け込んだと見えるね。ひでえことするよ、ほんと。

 で、そっから黒シャツを積んだトラックが走ってきて、またポンチ酒を振舞いだした。今度もまた強いポンチ酒で、それを目当てに労働者だの近所の悪ガキだのがやってきて、所帯がふくれあがっていったんだ。

 そこでまた我らが黒きソーセージのご登場だ。あいつときたら、なんかあったら演説しないと気のすまない質らしい。トラックの荷台に上ると、おれたち全員を指差して統一された国民の意志ときたもんだ。これには参ったね。だって、その場にいたのは作業服を着た労働者に近所の不良ども、それに学生たちだ。こんな連中が国民だなんて笑わせる。ろくな国家じゃねえよ、そんなもん。まあ、かくいうおれもその中に含まれてたんだけど。

 太っちょは言う。統一された国民の意志を持って、〈統領〉に忠誠を誓おう。それでおれたちは〈統領〉のために、祖国のために万歳だの敬礼だの乾杯だのめいめい好きなやり方で敬意を表した。てんでバラバラよ。統一された国民の意志が泣くぜ。

そのうち黒シャツ野郎がアカの集会をどこそこでやってるとか言い出した。町の反対側だったと思う。詳しい番地は覚えてない。おれもそのころにはポンチ酒を十杯以上飲んでいたから、もうべろべろでさ。とてもじゃないけど、そこまで歩けっこないやって思ったのは覚えてるよ。そのうち集まった連中のなかでトラック運転手の組合のやつがいて、そいつが空のトラックを十台以上手配しやがってさ。おれたちはそれに分乗して町の反対側、アカの集会に殴りこみをかけることになったんだ。ところがな、トラックに乗る前に黒シャツ野郎が武器を配り始めたのよ。こいつには驚かされたね。

 いや、武器って言っても棍棒とかバールの類いだよ。でも、殴りこみっていうからおれたちはてっきりアカの会場でブーイングをかましたり、ゲロを吐いたりする程度のことをするんだと思ったんだよ。それが棍棒を配り始めてギャングの真似事をし始めたってなもんで、労働者の何人かがひるんじまってさ、サツの厄介になるのはごめんだって、首をふりながら武器を受け取ろうとしなかったんだ。すると、学生どもがひるんだ労働者に「裏切り者」とか「横着者」と罵声を浴びせかけ始めた。

 え、おれも罵声を浴びせたかって? うーん、覚えてないな。まあ、アホとかトンマくらいは言ったかもしれない。酔っ払ってたからな。その後、おれたちはトラックに乗って町の大通りを走っていったんだ。黒シャツどもは本当に用意のいい連中でさ。旗ざおに国旗をくっつけてトラックの荷台からバタバタはためかせたりし始めた。旗が顔に当たって、こちとらろくに息もできなかったよ。トラックのなかにポンチ酒を入れたピッチャーを持っていたやつがいたから、おれは持っていた棍棒をピッチャーと取り替えて、ポンチ酒にありついた。ポンチ酒は冷たくて、甘くて、果物がたくさん入ってて、とてもうまかった。おれたちは町から外れたところの空き地にたどりついた。ほら、サーカスのテントがあるところだよ。アカたちはサーカスのテントを借り切って集会を開いていたんだ。政治集会というよりはお祭りみたいな雰囲気だった。女子どもが大勢いたし、氷菓子や射的の夜店も出ていて、笑い声も聞こえていたんだ。いや、ほんと、あれはそこらの村でよくやってる罪のないお祭りだったのさ。

 ところが、またあの太っちょの登場だよ。やつはトラックのボンネットの上に立ち上がると、統一された国民はいまや戦闘的行動を求められているとのたもうた。そうすると黒シャツどもがやんややんやと合いの手を入れる。あんまりおれたちがぎゃあすか騒ぐもんだから、テントのなかのアカどももなにか変だと感づいて、続々外に出てきた。すると、黒シャツども、餌を抜かれた狂犬みたいに吼えながらアカどもに襲いかかるじゃねえか。あれには驚いたね。黒シャツどもは本当にアカどもを棍棒でぶちのめしたんだ。おれ、人が棍棒でぶちのめされるところ初めて見たよ。どつかれたアカはまるで切り倒された木みたいにぐでんと地べたに伸びちまった。それを学生どもがやたらと踏みつける。

 え、おれも殴ったかって? 殴るわけないだろ。だって、ありゃ、見ていて気持ちのいい光景じゃなかったぜ。で、おれはそこでやっとまともな脳みそを取り戻した。このままじゃとんでもないことに巻き込まれるぞって思ったんだ。だって、黒シャツどもときたら、人は殴るわ、屋台は潰すわ、電球は叩き割るわですっかり手がつけられない。おまけにアカどもも黙ってやられるつもりはないらしくて、反抗してくるだろ。もう、大乱闘よ。で、おれはトラックの下にもぐりこんで事のなりゆきを見守ることにした。そこには先客が二人いて、おれに言うんだ。「ピッチャーを離しな」おれときたら、手に空っぽのピッチャーを握りしめていたんだ。どうかしていたんだなあ。三十分もすると、殴り合いもすっかりカタがついた。アカどもは一人残らずぶちのめされて、伸びていた。太っちょが勝利宣言をして、黒シャツと学生どもがわあっと盛り上がった。おれたちもトラックの下から這い出して、いっしょに盛り上がってやった。

 そこでだよ。おれ、このままじゃいけねえと思ったんだよ。言うべきことは言わなくちゃいけないって思ったのさ。で、おれは言った。ポンチ酒はもうねえのかよ? 太っちょは鷹揚に構えて、手のひらを見せながら、安心したまえ、諸君。これから凱旋し、最初の公園で焼き肉とポンチ酒が振舞われることになっている。存分に味わってくれたまえ。

 ほんとなんだぜ。トラックで最初の公園に戻ったら、ファシスト党の婦人部がほんとに焼き肉を用意してくれてたんだ。婦人部のおねえちゃん連中はおれたちが町じゅうをトラックで走り回っているあいだに公園をパーティ会場に作り変えていたんだ。これには参ったね。だって椰子の木を色紙の輪っこで結びつけたりしてるんだぜ。おれたちは大学で先生を丸刈りにしたこともアカどもを鼻血の海に沈めたことも忘れて、肉にがっついたね。噛みつくと熱い肉汁がぴゅっと飛び出す、なんとも活きのいい肉でハーブがきいてて、本当にうまかった。黒シャツは〈統領〉のでっかい肖像画を音楽堂にかかげて、敬礼し始めた。国王万歳、祖国万歳、〈統領〉万歳! おれも万歳を唱えたのかって? そりゃ唱えたさ。だって、ポンチ酒と焼き肉をおごってもらったんだぜ。万歳唱えるほかにないじゃないか。だからっておれをファシストだと思ってもらいたくないね。おれは誰一人殴らなかったし。もし、ポンチ酒と焼き肉をもらってなかったら、万歳なんかしなかったよ。

 な、これでわかっただろ。おれは全然悪くないんだ。悪いのはおれを閉め出した女房のほうなのさ。

 ……あれ、おい、嬢ちゃん、どこに行くんだ?

 おい、戻って来いよ、おーい!

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