* 町の声
船だ、船だ、船が帰ってくるぞ! 銀色の鯛を山ほど獲って帰ってきたぞ! さあ、皆の衆、鯛をくれてやる! こいつで――《ジャガイモ一袋六〇チェンテージモ! 卵一個が四チェンテージモ!》――アクアパッツァをこしらえてやれ! そら、手鉤を持って来い! このでけえカジキマグロを引っぱりあげろ! 鋸をもってこい! こいつの剣を切ってやる!――《豚の脂身一〇〇グラムが八チェンテージモ、ラード一包み六チェンテージモ!》――パスタ一キロが四リラ? 馬鹿はおよしよ! なに、ここで怒鳴るなだって? 馬鹿はおよしよ! 三リラでパスタを買ってこられなきゃあ――《鯛が一匹一リラ九〇チェンテージモ! サバが一匹一リラ一〇チェンテージモ!》――あたしがあの業突く張りの奥さまに怒鳴られるんだよ! ああ、誰か、パスタ一キロを三リラで売っちゃあくれないかねえ! おお、町がまわる、まわる! まるで独楽だ。曲馬団の音楽隊、〈ギャロップ〉を演奏しろ! 町を構成する細胞の一つ一つよ。売るがいい! 買うがいい!――《パンが一キロ一リラ六〇チェンテージモ! 米が一キロ二リラと五チェンテージモ!》――値切るがいい! ふっかけるがいい! 金は血液、品物は酸素、結びついて町の隅々まで行き渡れ!――《ポレンタが一リラ一七チェンテージモ、小麦粉二リラ六〇チェンテージモ!》――さあさあ、どけどけ、荷馬車ども。イゾッタ=フラスチーニのお通りだ! 今日は坊っちゃんが市場を見たいとおっしゃった。たっぷり見せてもらうからな。ぞりぞりとおろされる魚の鱗やレバーの切れっぱしを――《家庭用の牛肉一キロ七リラきっかし! お金持ち用のフィレ肉一八リラきっかし!》――車に飛ばすんじゃねえ! 後で拭くのはおれさまなんだからな! 火吹き男を連れて来い! ちったあ坊っちゃんを楽しませろや! しゅーっ、しゅーっ、おれはパヴォーニ式のエスプレッソ・マシンだ。イカした銅のタンクの丸天井には赤銅の大鷲が今まさに飛びたたんとしている。さあ、挽いた豆を入れな。ブラジル産でもコロンビア産でも――《焙煎済みのコーヒー百グラムが三リラ三チェンテージモ! チコリの根でつくった代用コーヒーが百グラム一リラ五〇チェンテージモ!》――ジャマイカ産でも何でも淹れてやる。おれの体のなかには圧縮された熱湯が詰まってる。早くコーヒーを漉してやりたくて仕方がないんだ。さあ、はやくレバーを下ろしな!――《えんどう豆が一キロ四リラ! ヒラ豆が一キロ三リラ!》――最高に濃いエスプレッソを入れてやるぜ。アイスクリームにかけてみな。うまさでほっぺたが落っこちるぜ! 若人よ、若人よ 麗しき青春よ!――《馬肉一キロ三リラ! フィレ肉が一二リラ!》――辛い人生の中でも 歌声は響き渡るのだ 〈統領〉の為に エイヤ エイヤ アララ! 素晴らしき祖国の為に エイヤ エイヤ アララ! ふーっ! 煙草はやっぱりムラドに限るぜ。何よりもパッケージのネエちゃんが色っぺえもんな! エイヤ、エイヤ、アララって、バリッラの馬鹿も休み休みほざきな。みろよ、あのガキ、水兵服を着てやがる――《オリーブオイルが一リットル六リラ! 赤ワイン一リットルが一リラ八〇チェンテージモ!》――ちぇっ、気取ってんな。あんなんがおれと同じ歳をかっくらってんだと思うと涙がちょちょ切れるぜ。金持ちの家に生まれるのも考えものだな。ダンヌンツィオを、マリネッティを讃えよ! 戦いと破壊と暴力を讃えよ! 芸術は全て爆破される美術館に――《豚肉一キロ一二リラ! 牛の胃袋が一キロ六リラ!》――集約される! その灰燼からこそ究極者が生まれるのだ! 自動車を、戦闘機を、大砲工場を讃えよ! 銃弾が跳ね返り、砲弾が地を穿つその音こそが究極の音楽! 人はみな音楽の僕なり! ねえ、あんた。素敵なあんた。あたしに赤ワインを一杯おごってくれないかい? そのかわりにお尻をつねってもいいからさ。昨日は三人もお客とやったから――《葉巻一本八〇チェンテージモ! コンドーム六個入り一箱一四リラ八〇チェンテージモ!》――ひどくつかれてんの。稼いだ金はみんなヒモに巻き上げられて、あたしにはこれっぽっちも残んないの。ねえ、一杯おごっとくれよ。だから、わしは言ってやったんです、神父さん。そんな考えは悪魔の考えだとね。ボルシェヴィズムは悪魔の所業です。ロシアが神の恩寵を失ったと同時にポルトガルで聖母マリアが顕現したのは神の御心によるものなのです。東が棄教するのであれば――《蒼鉛剤が一瓶四リラ九五チェンテージモ! お徳用の大瓶が八リラ一〇チェンテージモ!》――西から恩寵は現われるのですよ。それにしても、神父さん、今日は暑いですな。お日さまが年寄りには堪えて堪えて。しっかりしなさい、ルチアーナ! あんた、狙われてるのよ。ピエトロ・デルドルフォに! 注意しなくちゃ! あいつ、あたしの行くところ行くところを先回りしてて気持ち悪いったらないじゃない――《カリフラワーが一リラ八〇チェンテージモ! 玉ねぎが一キロで八〇チェンテージモ!》――昨日なんか詩を書いてあたしに渡したけど、どうしろって言うのよ。読まずに捨てたけど、あいつが怒りだしたら、どうしよう? 間違いない、間違いないぞ。警察はおれが女房を殺したことに気づいてる。いや、そんなことはないぞ。弱気になるな、ミケーレ。だって、あいつの――《コリエーレ・デラ・セラ紙が四ページで三〇チェンテージモ! 大衆煙草が十本入り一箱一リラ二〇チェンテージモ!》――死体は井戸に放り込んだじゃないか。誰があんな枯れた井戸のことを気にする! でも、もしあいつが腐って、鼻がひん曲がるようなガスを出し始めたら、ばれるかもしれない。ああ、畜生。もっと気の利いた場所に隠すべきだった! 鐘が鳴ったぞ! 競りは終わりだ。終わっちまった! まったく毎朝毎朝騒々しいったらねえ! 鰯もマグロもみんな値段は決まった。もう誰にも値段は動かせねえ。それに――《ガラスのカップに入れたアイスクリームが五〇チェンテージモ! クリーム・ケーキが一切れ九〇チェンテージモ!》――納得のいかねえやつは買わずに飢えればいいのさ。でも、スペイン料理屋に納める分の小アジは除けておかねえとな。えい、畜生。売り場が狭すぎらあ。つまりですね、支部長さん、町の美化にはですね、費用と労力がかかるということなんですね。わたしもこの市の助役をして十年になりますがね、はっきりいって市の財政はカツカツでしてね。とてもではありませんが――《ジョヴィネッツァの楽譜が一枚二〇チェンテージモ! 〈統領〉の色刷り額なし肖像画が小サイズで三リラ八五チェンテージモ!》――都市の再構築をするだけの余裕はありませんのでしてね。いえ、支部長さん、そうではないのでしてね。別に党の方針に逆らうつもりはありませんし、都市の再生化による新たなイタリアの構築を目指す〈統領〉の御意志の実現に微力を尽くすつもりですが、いかんせん市には費用がないのですね。支部長さん。やあ、みんな、見ろ! でっけえ戦艦が通っていくぜ! でっけえなあ! きっと山を吹き飛ばすほどの大砲を積んでいるに違いないぞ――《アーティチョークが一リラ八〇チェンテージモ! チーズが一かたまり二リラ一〇チェンテージモ!》――イタリア海軍万歳! 無敵の海軍万歳! 戦艦〈ヴィットリオ・エマヌエーレ〉万歳! なんて町だ。石、石、石。石がまばゆく輝いている。目が眩んでくらくらしそうだ。光、光、光。そうだ、光だ。もっと光を! これはゲーテだったかな、どうだったかな? 漆喰壁の反射光、テラコッタの反射光、自動車の窓ガラスの反射光、ワイン壜の反射光。光の都よ、汝、永遠の彗星よ――《蝋燭が一本一五チェンテージモ! パン屋に払うオーブンの使用料がパイ一つにつき一リラ二〇チェンテージモ!》――チョウザメの浮き袋をつぶしてできた糊で互いを結びつけあう無数の光の連なりよ、我らの頭上に輝く太陽よりも眩い町の光よ。おい、針が折れたんじゃないのか? やっぱりそうだ。替えの針は? 上からの二番目の引き出し? あー、……ああ、あった。次は何をかける?〈ダラー・プリンセス〉はもう聞き飽きたよ。〈ア・ゲイ・キャバレロ〉が聞きたいな。フランク・クルミットのやつ――《手回し蓄音機が二〇〇リラ! スピーカー付きヴィクトリア・ラジオが一二〇〇リラ!》――さあ、かけるぞ。汝、蓄音機よ! 奏でよ、音楽! おい、カーテンを縛るぞ。風が吹き込んで、今にもレコード針に引っかかりそうだ。そら始まった。たーたーらたーらーらたーたー、たーたーらたーらーららっ、たった。I am a gay caballero, coming from Rio de Janeiro… わたしは舗道の石です。わたしの物語を聞いてください。悲しい物語を聞いてください。かつてのわたしは気持ちよい風の吹く丘の上に立つ岩でした。天気のいい日にはエメラルド色の海に船が白い航跡を引きながら進んでいくのも見えるほど高い丘の岩でした。それが突然、カーキ色の作業服を着て山高帽をかぶった男たちがわたしの根元にドリルで穴をあけ、その穴に――《口紅一本一五リラ、ラヴェンダーの香水が四分の一リットルで三五リラ》――ダイナマイトを差し込み、導火線に火をつけて、わたしを何千というわたしに分解しました。何千というわたしはトラックに積まれて、この町にはめ込まれました。町じゅうのいたるところにわたしはいます。わたしは常にあなたとともにあります。階段や広場、公衆浴場、牢屋の壁。いたるところにわたしはいます――《炭酸入りミネラル・ウォーターが一本六〇チェンテージモ! ガソリン一リットルで二リラと四チェンテージモ!》――ひどく暑いね、アルトゥーロ。きみはこんな暑い場所に眠ってしまったんだね。きみは死んでしまったから知らないけど、ボクはきみが好きだったよ。恋してたんだよ。ボクみたいに男の子の格好をして男の子みたいなしゃべり方をする女の子は身を守るために皮肉な文句とフェンシングを鍛錬して、男の子や女の子たちからの攻撃にいつでも反撃しなくちゃいけない。ボクの――《T型フォードが四〇〇〇リラ! ミラノ=リグーリア間の三等汽車賃が三二リラ!》――灰色の髪はいつもみんなに馬鹿にされた。灰色髪、灰色髪って。でも、きみだけだったよ、アルトゥーロ。ボクの髪を見て、まるでミルクティーみたいな色だって言ってくれたのは。だから、アルトゥーロ、大好きだよ。ずっと、ずっと。
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