第509話 浮かないリフィ
***
「……はぁ」
リフィが沈の書き散らかしている木簡を片付けながら、浮かない顔でため息を吐いている。
「……」
そんなリフィの様子を、
リフィは午前中、
リフィが自ら「雨妹を案内したいので、休みが欲しい」と言ってきたので、どうなることかと思っていたのだが、なんらかの心境の変化をもたらされたのは確かだろう。
けれどやがてため息がいいかげんに鬱陶しくなり、沈が問いかけた。
「一体どうした? なにか意地悪でも言われたのか?」
「そのように言われる程、子どもではありません」
沈の言い方が子どもに向かって言っているように聞こえたのだろう、リフィはムッとした顔で返してくる。
「ただ、人とはわからないものだと、考えていただけです」
「ふむ、なるほど?」
曖昧な答えだったが、沈にはピンときた。
どうやらリフィは、雨妹からなにかガツンと言われて、その衝撃が未だ抜けていないというところか。
リフィが雨妹に同行したがった意図はわかりきっていた。
雨妹を自分の同類であり、互いに憐れみ合うことができる仲間になり得ると感じたからだろう。
――そのように誘導したのは、我であるしな。
雨妹のあの青い目は隠しようがないし、リフィだって崔の皇族の証であることくらいは以前から知っていた。
そんなリフィに「秘された公主という話もある」というようなことを、それとなく匂わせておいたのは沈である。
――リフィでは、あの娘に太刀打ちできまいよ。
一国の姫にしては苦労をしたであろうリフィだが、それでも「姫にしては」である。
雨妹はそれ以前に、人としての苦労が段違いだ。
なにしろ辺境という、崔でもより過酷な環境で育ったのだから。
雨妹については、ちょうど一年くらい前から皇帝の様子が変わったという噂を耳にして、林俊に調べさせたところで浮かび上がった娘であった。
当時起きた様々な事件で「張雨妹」の名が上がり、太子がやたらと肩入れをしているので目についたのだ。
しかし、そんな雨妹の表面的な情報以上のものは、林をもってしても集められなかった。
「皇帝陛下の影が動いております」
口惜しそうにする林に、沈は「ならば仕方ない」と慰めたものだ。
それに情報が集まらないことこそが、最も重要な情報とも言えるのだから。
その「表面的な情報」から推測するしかなかった張雨妹という娘を花の宴で見かけたのは、半分偶然で、半分意図的でもあった。
隠れて護衛をしていた林が「張雨妹がいる」と報告してきたので、時間に余裕があれば接触してみようと考えたのだ。
ついでにあの時皇太后と皇后に長々と絡まれたせいで、毒を警戒して水分すら一切とれなかったのでさすがに具合が悪くなったため、少しでも飲み食いできそうなものを求めたというのもある。
そうして出会った張雨妹とは、てっきり張美人寄りの性格なのかと思いきや、まるっきり違った。
あの人生の酸いも甘いも経験済みであるかのような、肝がどっしりと据わった安定感はなんだろうか?
皇帝の影より手厚く守られているのであれば、いずれ公主としての名乗りを上げるつもりなのかと沈は考えたのだが、それも当てが外れてしまう。
絡めとろうとするこちらの思惑から、雨妹は簡単にするりと抜け出してしまうのだ。
沈は皇族相手、もしくは皇族に成り上がりたい青い目相手と同じように思っていたのだが、それではいけないと認めるには時間がかかった。
自身や、保護している丹の姫との違いを思い知らされるも、それを納得して飲み込むのが難しかったのだ。
――張雨妹とは、未知の生き物か。
そして沈は自身の環境がぬるま湯であったと、初めて知るのだ。
沈とて、皇族にしては苦労をした方であろう。
それでもこれまでの人生で、貧しさのあまりに死を意識したことはない。
だから本当の意味で弱者の気持ちはわからず、ただ想像するしかできない。
想像での認識でしかない沈と、それを実際に経験した雨妹とで、言葉の重みが変わってくるのは当然だろう。
けれど、それは仕方のないことだ。
皇族に生まれたのだから、その生まれの立場でしかできないことがある。
そして貧しく生まれた者にだって、その者にしか知り得ない真実がある。
この両者の行動は、同じくらいに重みがあるべきである。
沈は所詮、沈天元としてしか生きていられないのだから。
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