第477話 お菓子が美味しい国だった

それにしても、バクラヴァのサクサク具合が程よく、雨妹ユイメイは食べるのが止まらなくなりそうになる。


「このバクラヴァの食感は、黄油ホァンヨウですか?」

「あら、よくご存知ですこと」


雨妹の問いを、リフィが目を丸くしつつも肯定した。

 黄油とは、すなわちバターである。


「黄油って?」


友仁ユレンが尋ねるのに、リフィがバクラヴァをひとつ摘んで答える。


「黄油とは、乳から作られる油のことです。

 乳よりも嵩張らず、保存もある程度効くので、丹ではよく作って食べるのですよ」

「へぇ~」


黄油のことを知った友仁は改めてバクラヴァをしげしげと見て、またハムッと食べる。


「言われてみれば、乳のような匂いがするかも」


熱心にバクラヴァを味わう友仁に、雨妹は加えて告げる。


「このサクサクした食感は、黄油のおかげなのですよ」

「うん、サクサクは美味しいね」


友仁はバクラヴァをかなり気に入ったようで、二つ目に手を伸ばしている。

 それにしても、丹は貧しい国だという印象だったが、食文化の方は富んでいるようだ。


 ――パイってバターをたっぷり使う、贅沢なお菓子だもんね。


 材料も手間もかかる菓子が丹では庶民でも作れるのは、菓子の材料が手軽に手に入るからだ。

 奶茶を好んで飲むお国柄ということは、酪農が盛んだということでもあり、バターが庶民でも良く使われるのだって不思議ではない。

 だがいかんせん、乳製品は保存期間の問題があるため、他国への輸出品にならず、国力の足しになっていないのだろう。

 ならば食文化を目玉にして観光をという手があるが、それを阻むのが隣国の戦争大好き宜である。


 ――いつ揉めるかわからない国に観光に行きたい人は、そうそういないかぁ。


 丹とは、なんとも色々と残念な国である。

 しかしバター料理が他にもありそうということで、バターだって大好物な雨妹は、ぜひ料理長ともっと仲良くなろうと、心に決める。


「奶茶をもう一杯、いかがですか?」


バクラヴァを食べる手が進んでいる様子を見て、リフィはお茶が足りないだろうと思ったのか、お代わりを勧めてきた。


「貰おうかな」

「あの、私も頂きたいです」


友仁が頷いたのに、雨妹もついでにお願いする。

 パイ菓子とは、口の中の水分を持って行かれる食べ物なのだ。

 それにしても、リフィが奶茶を淹れる仕草は美しいものだ。

 立勇リーヨンも、その母である秀玲シォウリンも、他にも後宮にはお茶を上手に入れる人は多くいるが、リフィの奶茶はまた違った雰囲気である。

 乳を注ぎ入れる時に周囲に飛び散らないのは、実は高度な技術ではなかろうか?

 それにお茶と混ざる時に水面に広がるお茶と乳との模様も、計算されているかのようだ。


「リフィさんは奶茶を淹れるのがすごく上手ですけれど、やっぱり特訓したんですか?

 私はお茶を淹れるのが下手みたいで、全然合格に届かないんですよねぇ」


雨妹がそう言いながら、扉前にいる立勇をちらりと見ると、その目が「お前と比べるのは失礼だろう」と言っているような気がした。

 被害妄想かもしれないし、以心伝心かもしれない。


「まあ」


この雨妹の意見に、リフィは思いもよらぬことを言われたというように驚き、戸惑うように告げる。


「上手だなんて、わたくしのこれはできて当然のものですし、特訓というものも覚えはなく」


謙遜ではなく、厳然たる事実を言っているという顔のリフィに、雨妹は悟りを開いたような気分になる。


 ――ああいう態度、私は知っているぞ!


 あのダジャがまさに、こんな感じであったように思う。

 しかし雨妹は、このリフィの態度には大いに抗議したい。


「美味しいものを作ることに、当然なんていうものは存在しません!

 美味しいことは奇跡であり、世界を救えるくらいに素晴らしいことなのですっ!」


思わず立ち上がった雨妹が憤然と叫ぶ。


「……は?」

「世界とは、大きく出たね」


これにリフィはきょとんとしていて、背後で胡霜フー・シュアンが小さく笑っている。

 美味しく作れるのが当然だなんて、そんなことがあるはずがない。

 そうであるならば、世の中に不味い食事というものが存在するはずないのだから。


「私は断言したい、光には影が存在するように、美味しいものがあるならば、不味いものもまた存在するのだと!

 リフィさんの周りには、さぞかし美味しいものばかりを口にしていた人が多かったのでしょうね。

 美味しいことが当たり前だったから、そんな誤解をしてしまうのです」


それはなんと幸せで、なんと不幸なことだろう。

 不味い食事を知るからこそ、美味しい食事はより際立つというのに。

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