第330話 一方、こちらでは

***


百花宮で、花の宴が賑わっている頃。

 宮城の一角にあるとある兵舎の奥まった一室では、浅黒い肌の異国の男が卓に向かって座っていた。

 そう、ダジャである。

 ダジャの前にある卓の上には、ジンが字の練習に書いたという木簡の手紙が並べられていた。

 この木簡手紙を持ってきたのは、街中で世話になった屋敷の家主だ。

 ダジャの元へ尋ねてくるのはたいていミンという名らしいあの家主と、リー将軍だけである。

 明が言うには、静はどうやら最近文字の読み書きを学び始めたらしく、その訓練の一環がこの手紙ということらしい。

 崔国の言葉で簡単な会話であればこなせるダジャだが、読み書きの方はてんて駄目であった。

 なにしろ母国で使っていた言葉と、なにもかもが違い過ぎるのだ。

 それでも手紙を書いた静が文字を習いたてなために、簡単な単語の羅列となっている手紙は、明や李将軍から教えてもらった文字でダジャにもなんとか読めるものとなっていた。

 内容は他愛のないものであるが、それでもダジャにとってこの手紙は大きな驚きであった。


 ――静が、勉学をしているとは。


 ダジャにとって静とは、「勉学を受ける身分にない子ども」という扱いであったというのに。

 今でこそこのような暮らしをしているダジャは、元はこの国で把国と呼ばれる国の第一王子であり、王太子でもあった。

 当然王太子にふさわしい人間たるようにと、厳しくしつけられた。

 剣の修行はまさしく血の滲むものであり、勉学であっても、鞭を持った教師から痛みと共に刻み込まれるものだ。

 過酷な修練であるが、血の滲む修行も鞭の痛みを伴う勉学も、把国では男の特権であったのだ。

 ダジャが教えられた常識では、女とは男に従うもので、女が男のやることに黙って付き従うのは当然であった。

 もちろん、弱き者は守らなければならない。

 それが強い男へ与えられた使命なのだから。

 だから弱き者である女を、ダジャは守る。

 しかし「守られる」とは「従属する」とほぼ同意でもあった。

 これはダジャがわざわざ意識することでもない、魂に刷り込まれた当然の理である。

 静も当然ダジャにとって、そうした存在であった。

 であるのに静に勉学を受けさせるとは、しかも静の教師は、鞭を振るうようなことをしないらしい。


「静は鞭に耐えられるのか?」


ダジャが手紙を持ってきた明にそう問うと、明はダジャが言わんとすることがわからないらしかった。

 けれど「勉学に鞭の痛みは必須である」ということを、片言会話の中で根気よく説明すると、明は「ああ、そういうことか」と納得した様子だった。


「そういうやり方の教師もいるかもしれんが、あの娘は鞭など打たんよ」


そして明にそう告げられ、静の教師というのが、ダジャと静が李将軍に保護された際に同行していた、あの娘であると知った。

 あの娘は見るからに、剣も鞭も持ったことがなさそうだ。

 そんな娘に教師など務まるわけがない。

 つまり静の勉学とはすなわち、男の勉学の様子を真似たい女のお遊びなのだと、ダジャはそう考えた。

 ダジャがこのように考えてしまうのは、静の郷里である苑州の隠れ里での勉学も、男児には厳しい勉学を求め、女児には勉学に近付けさせないやり方であり、ダジャが知るものとさして変わらなかったからだ。

 そしてここでもダジャからすると「到底教師となり得ない」娘が静の教師役であり、やはり女児である静は「勉学をしてはならない」存在であるのだと思えた。

 唯一例外であるのが、女であるのに船長として大海原を航海していたあの「女虎」だが、あの者とて結局この国の国主の妻として、従属する道を選んでいたではないか。


 ――そうだ、賢しい女は煩わしいだけであろう。


 ダジャは暗い目をして、手紙を見ているようで、その向こうに広がる己の記憶を覗いていた。


『どうせいずれ滅びゆく国でしょう?

 滅びる国を、わたくしが頂戴してなにが悪いのですか?』


そのように言い放った東国の姫の顔を、ダジャは一生忘れないだろう。

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