第322話 おめかし準備

 雨妹ユイメイは脳裏に皇帝と太子の姿を思い描いて、「ふふっ」と笑みを零す。


 ――父に兄よ、静静ジンジンから命の心配をされていますよ!


 雨妹からするとあの父には、「大勢の女を侍らせたい!」という欲はなさそうに見える。

 母との一時の恋に身を焦がしたくらいなので、本来は一人の女を愛し抜きたい人なのだと思う。

 けれど皇族の人手不足問題は、そうした個人の心情を慮ってくれなかったということだろう。

 悪い言い方をするならば、扱いはまるっきり種馬というわけだ。


 ――皇帝になるって、実は不自由だよねぇ。


 そうしみじみと思う雨妹である。

 そんな話をしていた雨妹たちだが、あまりのんびりともしていられない。

 ああやって行列が出来ているということは、やがてこちらにやって来ることだろう。


「静静、そっちは終わった?」

「ん、綺麗にした!」

「なら、そろそろ終わろうか」


万が一うっかりお偉い方と顔を合わせたりしたら、面倒になるのは想像できる。

 回避できる危機は回避しておくに越したことはないのだ。



いよいよ、花の宴当日の早朝である。

 雨妹宅では、準備に大忙しであった。

 まず自分の身支度をした雨妹は、次いで静の身支度を手伝う。

 付け毛をして髪を結い、簪を飾る。

 この簪というのが、実は去年雨妹が使ったもののお下がりだったりする。

 雨妹も本当は新しい簪を用意してあげたかったのだが、付け毛が間に合ったのが本当にギリギリであったので、簪を買うのが間に合わなかったのだ。

 その代わり、付け毛がないことを想定しての派手な簪は、ヤンの伝手で借りられていたのだが、付け毛があるとその派手な簪は似合わないし、目立ちすぎる。

 というわけで、雨妹の手持ちの簪の出番となったのだ。

 雨妹にとっては縁起が悪くなってしまったこの簪だが、静は「そんなことは気にしない」とケロッとした顔で言うので、これを使おうということになった。

 立彬リビンが選んだだけあって質の良いものであるので、遊ばせておくのも勿体ないだろう。

 こうなっては、新しい簪を贈ってくれた立彬、というか立勇リーヨンに感謝である。

 ちなみに、去年の雨妹は自分の髪すら満足に結えなかったというのに、こうして他人の髪を結うようになったとは、己もこの一年で成長したものだ、と一人感心してしまう。

 さらにちなみに、この髪結いの簡単な方法を教えてくれたのは、実は立彬である。


「髪くらい結えずにどうする? この先困るぞ」


立彬に呆れ顔で言われ、雨妹も確かに困った経験もあるので反論もできない。


 ――髪結いの先生が宦官なのって、どうなんだろうね?


 これを誰かに話すと呆れられるだろうことは、容易に想像できる。

 というか、立彬が妙に器用すぎるのだ。

 あれも母の秀玲の教育の賜物なのだろうか?

 むしろ雨妹が辺境で逞しい野生児に育ち過ぎたのか?

 そんなことを考えながら、雨妹は仕上げの化粧を施していく。

 静の子どもの張りのある肌を損ないたくないので、化粧をしています感がうっすらと出る程度に留めておく。

 雨妹自身もそうだが、若さというのは一番の化粧となるのだ。

 こうして静の支度を終えたところで、雨妹は「うん」と頷く。


「可愛いよ静静」

「へへ」


雨妹が褒めると、静が照れ笑いをする。

 それにしてもこうやって着飾った静とは、人を惹き付けるところがある。

 子どものあどけなさと多少の大人っぽさが相まって実に愛らしく、くっきりとした顔立ちなので、存在感があるのだ。


 ――もしかして何家の人って、皆こんな感じだったりするの?


 だとすると、人身売買で稼ぐ者が何家の血筋を欲しがるのも納得である。

 これは確かに人気が出るだろう。

 まあ、納得するのと許せるというのは、また別の話だとしてであるのだけれども。

 ともあれ雨妹は、静から目を離してはいけないということを心に刻む。

 どこぞの皇子にうっかり持って行かれそうだ。


 ――皇子に近寄るべからず!


 去年立彬から受けた忠告を、雨妹は再び心の中で唱えるのだった。

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