第103話 栗!
「はい? なんでしょうか?」
雨妹は楊(ヤン)の方を振り向きながら、栗を想って緩んでいた顔を引き締める。
――なんの用かな? もしかして、ちょっと多めに栗をちょろまかせないかとか、考えているのがバレたとか?
雨妹が内心でヒヤリとしながら、楊に向き合うと。
「小妹、お前さんは病気に詳しかったよね?」
楊がそんなことを言ってきた。
「あ、はい、まあ」
雨妹は自分の食い意地のことではなかったことにホッとしつつ、振られた話をちゃんと聞くべく、背筋をシャンと伸ばす。
「どなたかが病気なんですか?」
そう尋ねる雨妹に、「まあね」と楊が頷く。
「昔馴染みが困っていてね、もう仕事を辞めるだのなんだのと騒いでいる。
アイツから仕事をとったら、単なる飲んだくれでしかないっていうのにねぇ」
そう言って楊が重いため息を吐く。
――よほど親しい相手なのかな?
口ぶりからして、近しい間柄故の気さくさが窺えた。
いつも良くしてくれる楊であるので、雨妹は少しでも恩返しをしておきたい。
「私でお役に立てるなら、その方のお話を聞かせていただきますが」
雨妹がそう告げると、楊がホッとした顔になる。
「そう言ってくれると助かるよ。
ソイツは医者嫌いでもあってね、薬も飲みたがらないんだ」
「ああ、いますよねそういう人」
楊のぼやき混じりの情報に、雨妹はウンウンと頷く。
楊が言ったような傾向は、なまじ身体が頑丈で病気知らずな育ちをした人によく見られる。
医者や薬を得体の知れない敵のように捉えており、異常に怖がっているのを誤魔化そうとして、先制攻撃のように悪態をついてくるのだ。
「その点、小妹は医者でもなんでもないからね。
私からの遣いっていう名目で行けば、恐らくは断られずに顔を見て軽く喋ることくらいできるだろうさ」
なるほど、ただの宮女である雨妹ならば門前払いをされないというわけか。
逆に医者だとわかれば、会うこともしないようだ。
どうやらその人、医者嫌いが筋金入りらしい。
――それに、偉い人なのかな?
楊の口ぶりだと、直接押しかけて会えるような相手ではなくて、側仕えがいるような身分みたいである。
「どうだい、様子を見に行ってくれないかい? 礼はするよ」
念を押すように尋ねてくる楊に、雨妹は笑みを返す。
「いいですよ、引き受けました」
「ありがたい! 案内は用意するよ」
雨妹がそう返事をすると、楊が安心した様子を見せた。
そんな話をしたところで、雨妹は栗拾い――もとい、掃除に向かう。
「豊作、豊作ぅ♪」
栗の木の下に落ちている落ち葉を掃きながら、背負った籠に落ちている栗の実を拾い入れる。
栗の実は落ちたものが熟した証拠で、それまでは頑張って枝にぶら下がっているのだが、たまに熟した瞬間に立ち会うと、栗の棘攻撃を受けてしまう。
これを宮女たちが嫌うのだが、雨妹は幸運の痛みくらいに思っている。
――どれどれ、大きくなっているかなぁ?
大体拾い終わったら、籠の中の栗を棘の中から出す作業が待っている。
栗の実を出すのは雨妹にはお手のもので、足先で棘に圧をかけつつ器用に開けて、中身を回収していると。
「雨妹よ、ここにいたか」
そう声をかけてきたのは太子の側仕えの宦官、立彬(リビン)であった。
「栗の収穫係とは、難儀だな」
憐れむような顔をする立彬に、雨妹は「お前もか!」という気持ちになる。
「なにを言うのですか!
難儀だなどと言ったら、美味を提供してくれる栗に対して失礼です!
この棘が嫌われる原因なようですけど、美味しい栗を守っているのかと思えば愛おしいではないですか!」
「……そうか、お前が良いのであれば、問題ないのだが」
雨妹が栗への愛を爆発させるのに、立彬が引き気味になる。
「ところで、なにか御用でしたか?」
もし雨妹の取り分の栗を分けてもらおうというのであれば、絶対にあげないぞと構えていると。
「楊から、お前を案内するように頼まれたのだが」
立彬が栗のことではなく、そんな話をしてきた。
なるほど、楊が用意した案内役というのがこの男であるようだ。
――ってことは、もしかして楊さんの昔馴染みって、近衛の人?
この立彬、実は近衛の立勇(リーヨン)という男の双子の兄弟であるという設定の、二重生活の隠れ蓑であるのだが、それは置いておいて。
「ではもうしばしお待ちを、今栗を仕分けていますので!」
「そうか、では手伝うので早くしろ」
立彬にも棘を開く作業を手伝ってもらい、仕分けた結果として結構な数の栗を手に入れることができた。
ホクホク顔になった雨妹は、掃除道具と栗を仕舞ってから、立彬と連れ立って楊の知り合いの元へと向かった。
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