第86話 居残り雨妹

佳の黄家の屋敷内を、雨妹は一人で歩いていた。

 その様子を、周囲の使用人の女たちがひそひそと話す姿が見受けられる。


「あの娘、一人だと大した娘じゃないわね」


「捨てられたって話でしょ? いい気味」


「あの方も都女よりも佳の女の方がいいのよ、きっと」


「あの男、このまま佳にいつきそうね」


女たちが色々言っているのを、雨妹はまるっと無視して通り過ぎる。


 ――彼女たちの中で立勇様は、佳の女に惚れている設定になっているのか。


 なんと妄想が激しいことだが、そんな噂が盛り上がるのには訳がある。

 実は、利民がいよいよ港を荒らす海賊退治に乗り出し、根城にしている場所を襲うそうなのだが。

 なんと立勇がそれに同行したいと申し出たのだ。

 立勇は太子の遣いであり、そんな人物が海賊退治に同行するとなると、当然揉めた。

 利民の船の船員からは、「皇族の一味が一緒だと落ち着かない」、「自分たちを信用しないのか」という意見が出たそうだ。

 しかし利民の「わかった」の一声で、立勇の乗船が決まった。

 けれどそれが屋敷の者たちからすると謎の行動だったようで。

 「きっと佳の女に惚れて、彼女のために海賊退治に同行した」という物語が生まれたらしいのだ。

 そんな噂を生みながら海賊退治に行った立勇だが、

 留守にする佳の屋敷の使用人からは、「口煩いのが一人減ってせいせいする」という意見が大半だ。


 ――立勇様、どっちからもウザがられているなぁ。


 立勇は身分が高いので態度が横柄だし、体格もあって威圧感が強い。

 仲間として一緒に働く分には頼もしいが、そうでなければすごく邪魔、ということなのだろう。

 一方の雨妹は、小柄な若い女だということで、少々舐められている節がある。

 屋敷では基本として立勇と二人で行動していて、なにか意見を通す際には背後の立勇の威圧感を気にして話を聞く、という相手が多かった。

 けれど一人で行動する雨妹が同じことを頼みに行くと、聞こえない振りをする人が出てきている。

 それが如実なのが、台所だった。

 潘(パン)公主はエアロバイクを始めて運動量が劇的に増えたので、それに伴って食事量も増やし、内容も筋肉を作る栄養を中心にすべく、料理長とこまめに打ち合わせを重ねていたのだが。


「それでよぉ」


「なんだよそれ」


「がっははは」


台所の入り口付近で、まるで道を塞ぐようにして喋りながら座って、野菜の下ごしらえをしている男たちがいて。

 台所へ入りたい雨妹にまるで気付いていないようにふるまっている。

 ちなみにこの男たちは、以前も雨妹を追い返そうとした者たちである。


 ――ずっと同じことをやってるとか、まぁいいんだけどね。


 雨妹は台所へ入ることをあっさり諦めて引き返し、その様子を見た男たちが、「勝った!」とか嬉しそうに騒いでいる声が聞こえる。

 しかし雨妹はどうせ後で料理長と会う約束をしていて、ここで通れずとも問題ないのだ。

 ただ雨妹の時間が空いたので、こちらから訪ねて料理長の手間を省こうとしただけで。

 それに、こうして文句を言われたり悪態をつかれるのも、仕事の一環なのだから。


「あの人たちは×、っと」


雨妹は懐から出した紙に×印をつける。

 この紙は屋敷の使用人リストで、利民から渡されたものだ。

 雨妹の目で見て、残して使えそうな使用人を選んでおいて欲しいと頼まれたのだ。

 利民も使い辛い者たちを解雇して人員を入れ替えるつもりではあるのだが、いかんせん忙しくて人集めができていない。

 使用人任せにしてもいいのだろうが、屋敷の現状に鑑みて、当てにしない方針のようだ。

 となると、新しい人員が補充されるまで、邪魔をする者であってもいてもらわなければ、屋敷が回らないのだ。

 そこで、雨妹の存在がいい判断材料になるということで、雨妹に普通に応対する使用人は、今後も使える人員となる。

 手っ取り早いのは、利民が新しく入れた以外の使用人を総入れ替えすることだろう。

 しかし使用人の立場からすると、勤め先を解雇されるのは人生の傷となる。

 特に黄家というこの地域の支配者の屋敷を解雇になったとなれば、以後の人生が辛いものになることは間違いないだろう。

 解雇になった話はあっという間に広まり、新しい仕事など早々見つかるものではない。

 そうなると黄家――その中でも利民や潘公主に恨みを抱く者が出てくることとなる。

 その際に最も標的になりやすいのは、弱者である潘公主だ。

 利民はそれを避けたいということか。

 雨妹としても、そんな後味の悪いことを防ぐために、こうして協力しているというわけだ。

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