第85話 海賊退治

立勇の驚きに、男が鼻を鳴らす。


「ふん、最近暇をしておったのでな」


 ――皇帝陛下の影の統領である身で、暇なわけがなかろうに。


 訝しむ立勇に、しかし男は飄々とした様子である。


「小難しいことなどないわ、ただ陛下にここへ行けと命じられたゆえ、やって来たのみよ。

 なにゆえに命じられたかなど、疑問を持たずともよいこと。

 我はただ任務を全うするのみ」


そう言って、男はニヤリと笑う。


「あの娘御がどのような女であろうとも、憶えのある風貌であろうとも、我には関係のない事。

 何者からも守れと命じられたのであれば守るのみ。

 ここいらの賊程度、蹴散らすくらいお安いこと。

 それにしても、久しぶりに陛下のあのような眼差しを見たわ」


 ――陛下……。


 志偉は思いもかけず自分の近くへ帰って来た娘が、気がかりで仕方ないようだ。

 そしてその娘が自分の目の届かない場所へ遠出をするので、慌ててしまったと。

 経緯を考えれば無理もないとは思うが、しかし統領を寄越すとは。

 安全は堅いものとなるだろうが、いささかやり過ぎではなかろうか? それに志偉自身の安全を犠牲にするなど。


 ――自分の身よりも、張美人の忘れ形見の方が大事なのか。


 頭痛を堪えたくなる立勇に、統領が告げた。


「とにかく、娘御の安全は保障してやるゆえ、小僧は好きにするとよい。

 表立って目立てる小僧だからこそ、出来ることがあろうしな」


統領の言葉に、立勇は思案する。

 利民は少々うかつな所があるものの、行動力のある男だ。

 しかも民の事を良く見ている。

 有能な補佐さえあれば、十分に上に立つに値する男になるだろう。

 そしてその補佐を潘公主が担うことになれば、最良だ。

 そうなるためには、利民と潘公主の仲を確かなものとしておくべきだ。

 雨妹も心配していたが、あの二人は言葉を交わす時間が少な過ぎる。

 その時間の確保をするためには、利民を海に縛り付ける原因となっている海賊を捕まえなければならない。


 ――太子の遣いが船に乗っているとなれば、海賊共もいきり立つか?


 太子の遣いとなれば、黄家よりももっと大きな金蔓を引き当てる絶好の機会となる。

 海賊であれば、それを狙わない理由はない。

 そして立勇がいなくなったとなれば、公主や太子の遣いをどうにかしようと隙を伺っている連中も、動いてくれるかもしれない。

 連中を一網打尽にすれば、黄大公へのよい宣伝になるだろうか。


「それでは、ありがたく話に乗らせてもらいましょう」



それから数日後、立勇は潮風の吹く海上にいた。

 急に乗り込んできた太子の近衛を、乗組員たちは遠巻きにしている。

 そんな中、ズカズカと近寄ってくるのは利民である。


「けどよぅ、本当によかったのか?

 アンタがこっちに来ちまって」


まさか立勇が「海賊退治に同行したい」と言い出すとは意外だったようで、利民は「本当に来るのか?」と何度も確認してきたものだ。

 海へ出てしまってまでも聞いてくる利民に、立勇は肩を竦めてみせる。


「仕方ない、私が貼りついていてはあちらの方の動きが鈍いようですから。

 こちらとしても、あまり時間をかけたくないので」


立勇はそう言って、利民を見る。


「大丈夫、護衛はちゃんとおりますから、雨妹や潘公主の身については心配無用です」


雨妹にも自身の考えを伝えており、護衛は自分以外にもいると知らせてある。

 護衛については気付いていたというか、察していたようで。

 特に驚くことはなかった。

 雨妹からは「お気をつけていってらっしゃいませ」とまるでそこいらに散歩に出かけるかのような調子で見送られてしまった。


「はっ!

 太子サマが残したのは、やっぱりアンタ一人じゃなかったってことか?」


利民の指摘に立勇は答えることはせず、逆に問いかける。


「利民殿とて、これまで潘公主を屋敷に一人で置いておいたのでしょうに。

 今更の心配では?」


そう、この男は結局潘公主の心配をしているのだ。

 立勇が屋敷にいることで、やはり安心していたのだろう。

 これに、利民は一瞬ムッとしたような顔をして、しばらく間を置いて口を開く。


「一応な、信頼のおける腕の立つ奴を、屋敷に張りつかせているんだよ。

 けど屋敷内でお上品に動ける奴じゃない上に、荒事にゃあ長けてもお偉方のやる事にゃあさっぱりだったわけだが」


なるほど、直接的な危険には気を配っていたということか。


「まあ雨妹がついてますから、家人との軋轢などは上手くやることでしょうし。

 我々はせいぜい、派手な戦果を持って帰ることに集中しましょう」


 ――ここのところ身体がなまっていたところだ、一つ存分にやるか。


 船の上で立勇は一人、不敵に笑った。

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