第53話 買い物しましょう

 ――いやいやいや、ちょっと待って!


「いえ、わざわざ寄ってもらわなくても、宿へ入った後で自分で買いに行きますから」


やんわりと断ろうとする雨妹に、太子が笑みを浮かべた。


「雨妹の個室への引っ越し祝いを、私からはなにも渡せていないからね。

 立淋(リビン)は用意したみたいだし、他にも色々買っているというのに」


確かに立淋からはおねだりしていた小さな棚を貰ったし、簪だって受け取っている。

 小さなものを言えば飴玉も買ってもらったか。

 でも太子がそれに対抗する必要がどこにあるのだろう。

 しかし太子は微笑んだまま自分の意見を下げず。

 結果「街へ着いたらまず買い物」が決定となった。


 ――え、本気で?


 立淋でも立勇でもどちらでもいいから、この太子を止めてほしい。

 太子同伴でお買い物とか、心臓に悪過ぎる。

 けれど残念ながら、立勇は外を走る馬上であった。

 それから軒車は順調に進み、予定通りに宿泊予定の宿場町へ入る。

 この国では街道沿いの一定距離で宿場町があるのだが、ここはその中でも一際規模が大きそうだ。


「へぇ、賑やかですねぇ」


雨妹が軒車の窓から、大通りの街並みを眺めていると。


「そうだ雨妹、守ってほしい決まりがあるんだけれどね」


太子がそんなことを言ってきた。


「なんでしょうか?」


尋ねる雨妹に、太子がにっこり微笑む。

 でもこの微笑みが曲者だと、この短い道中で学んでいたりする。


「ここでの私はただの明(メイ)だよ、わかったね?」


太子の名前は明賢(メイシェン)だから、それを取って明なのだろう。

 要するに、「太子」と呼ぶなということらしい。


「……ええと、明様?」


「ああ、それでいい」


太子が良くても他は良くないかもしれないもので。

 雨妹は街に入ってからは軒車の横にぴったりと付いている立勇に、小窓越しに尋ねる。


「あの、ああ仰っていますけど、いいんですか?」


軒車に乗っている雨妹と目線が同じになっている立勇は、軽く肩を竦めた。


「……道楽に付き合って差し上げろ」


それは諦めの滲み出る言葉だった。

 太子のお供とは、実は無茶ぶりに対する苦労が多いのかもしれない。

 こんなやり取りをしていると、やがて軒車がとある建物の前で停まった。

 その建物は外観が少しお洒落というか、西洋風なデザインが混ざっていて、周囲の建物と明らかに違う。


「……ここですか?」


軒車から降りて建物を見上げる雨妹は、頬が引き攣りそうになっていた。

 自分で行くつもりだった店とは、明らかになにかが違うように思えるのだが。


「ここは舶来物も扱っているから、珍しい品も置いてあると思うよ」


けれど太子はそんなことに頓着せず、さっさと建物の中に入ろうとする。

 それに続く雨妹の隣を、馬を軒車と一緒に置いて来た立勇が歩く。


「……た、じゃない明様ってお詳しいんですね」


雨妹が立勇を見上げて小声で尋ねると、眉をひそめて見下ろされた。


「元々、あまり宮に閉じ籠られる方ではないからな。

 ここのところどこにも行かずにじっとしていたせいで、鬱憤が溜まっていらしたのだろうさ」


なるほど、太子は元来行動派な人のようだ。

 それが最近は後宮に引き籠っていたと。


 ――私のフォローのせい、とかじゃないよね?


 なにかと立淋にお世話になっている自覚のある雨妹は、ちょっと冷や汗を掻きそうになった。

 それはともあれ、雨妹もここまで来てしまったら、開き直って買い物をすることにした。

 雨妹だって女の端くれ、買い物は好きだ。

 後宮でたまに開かれる市では、装飾品が多くて実用的な品ではないため興味がわかないだけで、普段使いの品で可愛いものがあれば買いたい。

 そんな気持ちで店内を見渡すと、雨妹の目に飛び込んできた品があった。


 ――あ、ヘアピン発見!


 今世でヘアピンそのものを初めて見た。

 しかも大小さまざまな種類の造花の飾りがついているのが可愛い。

 掃除の際に髪をまとめる雨妹としては、簪よりもヘアピンの方が髪留め効果が期待できそうに思える。

 なので小ぶりな造花が付いているヘアピンを一揃い選ぶと、太子の手によって大ぶりの造花がついたものまで追加された。

 続いて当初の目的である櫛に手巾、下着である衵服(はくふく)を選ぶが、舶来物を扱っているだけあって意匠がどこか西洋風で。

 この国にしては新しく、雨妹としてはどこか懐かしい品だった。

 しかもそのどれもが手触りが良く、明らかに高級品だが、そこは目をつぶることにする。

 さらには。


「雨妹はせっかく綺麗な髪なんだから」


太子にそう言われて、洗髪の粉洗剤を買ってもらうこととなり。

 布地を探していると言うと、絹の布地を選ばれてしまった。

 絹のパンツなんて、前世でも穿いたことがないのに、なんという贅沢だろうか。

 そうこうしている内にも買い物を終えると、荷物を抱えて店を出れば再び軒車に乗り、今夜の宿へと向かう。

 そしてやがて到着したのは、民間の宿だった。


 ――役人用の宿じゃないんだ。


 この国の宿は役人用と民間用の二種類の宿がある。

 役人というのは特権階級であるため、当然役人用の宿の方が格上で。

 前世の日本の宿のように、身一つで泊まれるように色々設備が整っているのだ。

 それに比べて大抵の民間の宿だと、食事は自炊になる。

 安宿になれば、部屋を貸すだけという場所もあるくらいだ。

 実際に雨妹が辺境から出て来た際に泊まった安宿では、炊事道具さえ借りれなかった時すらあった。

 故に旅に出る際は大量の食材や日常の細々とした道具も一緒に移動となり、引っ越しなみの荷物を持っての移動となる。

 だから荷物の少ない様子を見て、てっきり役人用の宿へ行くものと思っていたのだが。

 それでも太子の選んだ宿は高級感の溢れる建物なので、民間でも富裕層向けの宿なのだろう。

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