第52話 そつのない男

 立勇はまず急須代わりの蓋碗(ガイワン)という蓋の付いた碗に、湯を注いで温める。

 その湯を茶海(チャカイ)というミルクピッチャーに似た器に移し、さらに小さな湯呑である飲杯(インハイ)に注いで温めたら湯を捨てた。

 こうして器を温めたところで蓋碗に茶葉を入れ、蓋をして蒸らす。

 茶葉がある程度沈んだところで、蓋で茶葉を避けながら茶海に移し、飲杯に注ぎ分ける。


「飲んでみろ」


立勇がそう言いながら飲杯を一つ差し出すので、素直に受け取る。


 ――おおぅ、澄んだ黄金色のお茶!


 この男からこんな綺麗なお茶が生まれるなんて驚きだ。

 恐る恐る口をつければ、甘い口当たりの中で爽やかな香りを感じる。

 自分で淹れたのとは比べ物にならないくらいに、美味しいお茶だった。

 髪を結わせてもそつなくこなし、お茶を淹れさせても完璧とか、どこまで凄いのだこの男は。

 いや、建前上は髪結いの上手な立淋とは双子の兄弟だったか。

 でもお茶を美味しく淹れる近衛とか、普通に考えてどうなんだろう?

 目の前の男の有能ぶりに、雨妹が頭を悩ませていると。


「今やった通りに淹れてみろ」


立勇にそう言われてしまった。

 もうこのお茶でいいじゃないかとか、言えない雰囲気である。


「ええっと……」


雨妹がもたもたしながら茶器を手に取るのを、太子が笑みを浮かべて見守っている。

 その表情がまるで幼稚園児のままごとを見守る母親のようだ。


 ――いやいや、私ってば幼稚園児よりはできるはず!


 雨妹は己を奮起させ、先ほどの立勇の手順を思い出しながらお茶を淹れる。

 そうして淹れ終えたお茶は、立勇の淹れたものよりも少し濁っていた。

 飲んでみると味もちょっと物足りない。

 なにが違うんだろうかと首を捻る雨妹の横で、立勇も飲むと。


「……蒸らしが少々足りんが、まあまあだな」


立勇からそんな微妙な評価を貰ってしまった。

 こうして試飲が終わったところで、このお茶を太子にも飲んでもらうことになった。

 立勇の淹れたお茶でいいじゃないかと思うのだが、太子がぜひにと言ったのだから仕方ない。

 太子が飲杯に口をつけるのを、ドキドキしながら見守ると。


「うん、雨妹の頑張りが感じられる味だね」


一口飲んだ太子がにっこり笑って告げた。

 それはやはり、味はいまいちということか。

 これは太子のお供として、今後の精進が求められそうだ。

 雨妹が美味しいお茶への道を思い、ちょっとだけしょんぼりしていると。


「ほら雨妹、この桃酥(タォースゥ)をお食べ。

 太子宮の料理長が作ったものだよ」


太子がそう言って差し出した包みに入っていたのは、香ばしく焼けたクッキーのような焼き菓子だ。


「……いいんですか?」


「もちろん、旅の途中につまむ用にと持たされたのだからね」


尋ねる雨妹にそう答えた太子は、包みから一つ取って手に握らせる。

 折角貰ったのだしと、雨妹は桃酥を齧った。

 すると途端にサクサクホロホロと口の中で崩れて、香ばしい味わいが口の中に広がる。

 しかも胡桃が入っていて、さらに美味しい。


「ふわぁ」


桃酥の美味しさに、雨妹が表情を緩ませる。


「……単純な」


「いいじゃないか、可愛くて」


立勇と太子がなにか言っているが、美味しいものの前では気にならないのだった。

 こうしてしっかりおやつも食べたところで、休憩を切り上げた軒車は再び走り出す。

 それにしても、目的地までどこかで宿泊になるわけで。


「今夜の宿はどうなさるんですか?」


尋ねる雨妹に、太子はあっさりと告げる。


「途中の宿に一泊するよ」


「……はい?」


これに、驚くなという方が無理だろう。

 皇族の移動って、普通なら皇族専用の別荘的なお屋敷とか、その土地の諸侯のお宅などに泊まるものではないのだろうか。


 ――それが宿って、いいのそれで?


 しかし太子の予定に、いち宮女でしかない雨妹が苦情を言えるわけがなく。軒車はその宿泊予定の街へ向けて走っていく。

 ところで雨妹は出立した後で泊まりでの外出だと聞かされたので、お泊り道具の類をなにも持ち出せていない。

 と言っても用意するのは櫛や手巾(シュキン)、沐浴をするなら浴衣程度なのだが。


 ――ああ、それと忘れちゃいけない下着!


 ちなみにこの国の女性用の下着というのは、衵服(はくふく)という襦袢のようなものを着るだけだったりする。

 その下は無し、すなわちノーパン状態だ。

 日本の記憶のある雨妹としてはそれでは大変心もとないため、昔からパンツを手縫いで作っている。

 ゴムがないため紐パンだが。

 今、その着替えを持ち出せなかったのが痛い。


 ――どうしようかなぁ。


 一応お小遣いは持って来たし、もしもの時のために裁縫道具も帯に仕込んである。

 だから太子が宿に入った後で出かけてどこか店で買い物をして、宿でパンツを縫うか。

 雨妹がそんな風に考えていると。 


「ああそうだ。

 街へ着いたらどこか店へ寄るから、君はそこで身の回りの物を買うといい」


太子にそんな提案をされてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る