第22話 太子の側近と後宮の女たち
明賢(メイシェン)は執務室で書類を見ていた。
政務のほとんどは官吏などが処理するとはいえ、最終的な決断が回されてくる。
それを父である皇帝と分け合って処理しているのだが、特に最近父のやる気が低下しているため、明賢に回される書類が増えている状況だ。
明賢が書類を読んでは判を押す作業を繰り返していると。
「明賢様、ただ今戻りました」
執務室の戸を叩く音と共に、部下の声がした。
「どうぞ」
入室の許可を出すと、入って来たのは立勇(リーヨン)。
彼は明賢の乳兄弟で、最も信頼している男である。
本来は近衛なのだが、太子宮での安全確保のために、書類を偽造してまで宦官として働いてもらっているのだ。
宦官としての名は立彬(リビン)で、書類上は立勇の双子の兄弟である。
そして今は立彬として、ある噂について聞き込みに行ってもらったところだった。
「お前たち、席を外せ」
明賢が室内にいた官吏に告げると、彼らは無言で退室する。
そして全員見えない場所まで遠ざかったのを確認した立勇が、戸を閉めた途端。
「どうだった?」
そう問う明賢に、立勇が向き直って答えた。
「はい、雨妹(ユイメイ)はやはり、先輩宮女の嫌がらせにあっているようでした」
そう、雨妹の悪い噂が蔓延しているらしく、太子宮でもその話が聞かれる始末。
そして噂を積極的に流しているのが、玉秀(ユウシォウ)を助けようとしなかった宦官らと、雨妹に良い感情を持っていない先輩宮女だという。
その中でも看過できない事を聞いたので、立勇に直接確かめに行かせたのだ。
「物置へ追い出されたというのも、真実でした」
立勇の話に、明賢は眉を顰める。
今はどこでも人手が足りない状況で、新人いびりをしている場合ではないだろうに。
そんなことをしていては、よほどの伝手がない限りは出世に影響するのは明白。
その先輩宮女とやらは、そのよほどの伝手を持ち得る家の女ではない。
さらには後宮に住まう本物の悪女というものは、自身はなにもせずに望みを叶えるもの。
今回は噂で名前が出る時点でやり方が拙い。その女はどれだけ馬鹿なのか。
――太子宮にもいるな、
梗(キョウ)の都出身というだけで、有利な立場にいると勘違いをしている女が。
下級宮女であれば、実家からの仕送り具合で多少は上に立つことができるかもしれない。
だが女官となれば話は別で、厳密な基準で選ばれる。
宮女としての生活態度や仕事の評価を鑑みて選定され、それに容姿の華やかさはあまり反映されない。
それよりも健康であることが重要視される。
何故なら、後宮にいる女は全て皇帝の子を産むかもしれない者たちだからだ。
元気な子を産めるかどうかが、最も大事な選定条件なのだ。
ただし一部、妃嬪(ヒヒン)として送り付けられた女に、最初から付いてきた女官などは話が別である。
彼女たちはその妃嬪に万が一の事態が起こった時、代わりの妃嬪としての役割を負っているもの。
なので妃嬪の側近の女ほど、気を付ける必要があったりする。
玉秀(ユウシォウ)が病で苦しんだのも、このことが原因であった。
そんな後宮の女の事情はともかくとして、今は雨妹のことだ。
「それで、雨妹はどうしている?」
大部屋から物置へ追い出すなんて、宮女の監督役の楊(ヤン)はそんな理不尽を許す人物ではないと思っているのだが。
明賢の問いかけに、何故か立勇が微妙な顔をした。
「個室ができたと、物置への引っ越しをとても喜んでいました」
これを聞いて、明賢は一瞬思考が止まる。
そこは理不尽な状況に怒るなり、涙ながらに訴えるなりする場面ではなかろうか。
実際、明賢は口利きをしようと思って立勇を行かせたのだ。
雨妹ならば女官になれると思って。
「……変わった娘だね?」
「私もそう思います」
ようやく絞り出した感想に、立勇も頷く。
「不足はないかを聞きながら、少しずつ話を詰めようとしたのですが、
王(ワン)美人が現れたので話が中断しまして」
雨妹は王美人の屋敷の掃除をしていたらしく、仕事終わりにおやつとして饅頭を勧められたという。
下級宮女にわざわざおやつを用意するとは、王美人は雨妹を気に入っているようだ。
「一緒にいた私まで勧めていただいたのですが、
そんなことをしていると、皇帝陛下と遭遇しました」
どうやら父は政務を抜け出し、お気に入りの女の元に行ったようだ。
道理で急に決裁の書類が増えたと思った。
「どうだった?」
皇帝を前にして雨妹がどんな反応をしたのか。
机から身を乗り出す明賢に、立勇が重々しい口調で告げる。
「陛下よりも饅頭の方が大事らしいです」
皇帝との遭遇に多少は驚いたらしいが、特別な反応は見せなかったという。
むしろ皇帝がやって来たことで、おやつの饅頭の行方を気にしていたそうだ。
皇帝は労働後のおやつよりも優先順位が低いということで。
「……変わった娘だね?」
明賢が同じ台詞を言うと、立勇もまた頷いた。
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