第21話 ついに遭遇
立彬(リビン)曰く、庭園から現れた人物が皇帝陛下だという。
この崔の国の頂点にいる人で、雨妹(ユイメイ)の父かもしれない男。
その顔を一目見ようと思うのだが、いかんせん立彬の押さえつける手の力が強い。
――痛い、もう少し顔を上げさせて!
ちらっとでいいから皇帝の顔を見ようとする雨妹と、その頭を押さえつける立彬の攻防が繰り広げられる中、王(ワン)美人がおっとりと皇帝に話しかける。
「まあ陛下、こんなお時間に珍しいですわね」
「少々、お前と茶を飲みたくなってな」
皇帝はお茶のために突撃訪問したらしい。
妃嬪(ヒヒン)としての位が低いために後宮の端にある王美人の屋敷だが、案外皇帝の寵愛度は深いのかもしれない。
――だったら、あの汚屋敷放置も納得かも。
王美人から皇帝の足を遠ざけたい者の仕業だろう。
立彬との静かな戦いをしながら、そんなことを考えている雨妹の方に、皇帝がチラリと視線を向ける。
「お前は、明賢(メイシェン)の所の者ではないか」
そして隣の立彬に声をかけた。
立彬は太子付きの宦官であるので、皇帝に顔を覚えられていてもおかしくはない。
皇帝に存在を気付かれた立彬が、少し顔を上げた。
「は、少々所要でこの宮女を探しておりまして、たまたまこちらに」
目的が王美人ではないことを明らかにするためであろう、立彬が告げる。
――太子付きの宦官が皇帝の妃嬪に近付くって、聞こえが良くないもんね。
そう思いながら、立彬の意識が皇帝に向かって手の力が緩んだ隙に、雨妹も少し顔を上げて皇帝を見る。
そして最初に目に入ったのは、皇帝の青い目だ。
雨妹が自分以外で出会った青い目の持ち主は、太子に続いて皇帝で二人目となる。
――これって、もしかして……
青い目の意味について思考が纏まりかけた時、皇帝とバチッと音がするかのように目が合う。
雨妹が慌てて頭を下げるのと、立彬の手の力が復活するのが同時であった。
おかげで額が膝に付きそうになる。
――曲げすぎて腰と背中が痛い!
雨妹の「うおぉ」という低い呻きが聞こえたのか。
立彬が若干手の力を緩めたおかげで、九十度までお辞儀の角度が修正された。
そんな雨妹たちに、皇帝の視線が注がれていたのだが。
「陛下、温かいお茶を用意しますからこちらにどうぞ」
皇帝がこの場を去らないと雨妹たちが動けないと察したのだろう、王美人が屋内へ誘導する。
「……そうか」
ようやく皇帝は雨妹たちから視線を外し、王美人に連れられて行く。
残された二人はしばし頭を下げたままだったが、しばらくして雨妹は膝から力が抜けるように地面にへたり込んだ。
「うぉお、ビビったぁ」
後宮に皇帝が住んでいるとしても、実際にその姿を見ることができるのはほんの一握りでしかない。
下っ端宮女が国で一番偉い人に会うには、心の準備が必要ではなかろうか。
――いや、でも医局で太子に会うよりは、まともな遭遇の仕方かも。
皇帝が己の妃嬪の元に通うのは、至って普通のことだろう。
むしろ心の準備をしていなかった雨妹がうかつなのかもしれない。
それにしても、驚いたら余計にお腹が空いた。
「お饅頭、食べていいのかな?」
王美人が言っていたおやつの饅頭は、果たして貰えるのだろうか。
雨妹の心配に、立彬が呆れ顔をする。
「お前、皇帝陛下を拝見したのだぞ?
もっと他に言うべきことがあるだろう?」
皇帝とのほんの一瞬の初対面に、饅頭以外に言うべき事とはなんだろう。
雨妹はしばし己に問いかけた。
そもそも雨妹は皇帝に特別な期待を抱いていない。
尼寺で聞かされた母の話が本当だとしても、皇帝にとっては数多いる奥さんの一人でしかない。
そんな相手に肉親の情なんて求めてはいけないと、とうの昔に割り切っている。
なので今の関心ごとは、皇帝の訪れでおやつの行方がどうなったのかだ。
「いや、饅頭の事以外は特にないかな」
そう結論付ける雨妹に、立彬が奇妙な生き物を見るかのような視線を向ける。
「お前は……」
なにか言いたそうだがそれをぐっと飲み込んだような立彬に、雨妹はヒラヒラと手を振る。
「会えて幸運くらいは思ってるって、明日はいいことがあるかなぁ」
お気楽な雨妹に、立彬が深くため息を吐いた。
結論を言えば、王美人のお供の人がちゃんとくれたので、美味しくいただいたのだが、立彬と二人で食べることとなる。
「美味しいね~」
「普通に饅頭の味だな」
ホクホク顔で齧り付く雨妹に対して、立彬は無表情に口に入れる。
そして会話が続かない。
微妙に静かなおやつタイムであった。
そして夕食時、雨妹は食事を盛ってくれる美娜(メイナ)に告げる。
「今日、陛下を見ちゃいました」
「まあ、運がよかったね阿妹(アメイ)、きっといいことがあるよ」
お玉で汁物を装いながら美娜が返す。雨妹同様、皇帝陛下の扱いがまるで幸運グッズのようだ。
だが皇帝なんて存在とは縁遠い宮女の認識なんて、こんなものである。
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