第20話 噂はすぐに広まるもので

こうして元物置部屋に引っ越した明くる日。

 雨妹(ユイメイ)は王(ワン)美人からの指名で、屋敷の掃除をしていた。

「おっそおっじしっましょ~♪」

自分の生家かもしれない建物なので特別に思い入れがあるため、鼻歌を歌いながらも念入りに綺麗にする。

 ――よぅし、こんなもんでしょう!

 やがて掃除具合に満足した雨妹が、道具を片付けていると。

「おい、雨妹」

男の声に呼びかけられた。声のした方を振り向けば、庭園に険しい表情の立彬(リビン)がいた。

「立彬さん、こんなところでどうしたんですか?」

太子宮から王美人の屋敷まで結構な距離があり、たまたま通りがかったとは思えない。

 自分になにか用事だろうかと思い問いかけると、立彬が無言でこちらへ寄って来る。

「お前、同僚にいじめを受けているというのは本当か?」

そしてこんなことを聞いた。


 ――えーと、いじめ?

 雨妹は首を傾げる。

 立彬が言わんとすることに心当たりはある。

 だがあれをいじめと言っていいものか。

 雨妹には痛手無しな上に、個室を得るという幸運まで付いてきたのだが。

「……違うのか?」

思っていたような様子ではないと感じたのか、立彬のぎゅっと寄っていた眉が若干解れる。

「立彬さん、どういう話を聞いたんですか?」

逆に尋ねる雨妹に、立彬が答えたことによると。

「雨妹を目の敵にしている先輩宮女がいて、難癖をつけて大部屋から物置に追い出したと」

だいぶ正確な話である。

 大部屋の宮女に太子の間者でもいるのだろうか。


「その通りです。

 私、物置に引っ越しました」

「は!?」

話を肯定する雨妹に、立彬が目を丸くする。

「やっぱり個室って気兼ねしなくていいですね」

「待て待て。部屋とは物置だろう?」

しみじみと言う雨妹に、立彬がツッコミを入れる。

 やはりその点が気になるらしい。

「皆拘りますね、そこ。

 物を置いていない物置って、人が入ったら普通に部屋じゃありません?」

逆に言えば、人が生活するために作られた部屋でも、物を詰め込んでしまえば物置となる。

 要は人がその場所についてどう意識しているかの問題だろう。


 雨妹の解説に、しかし立彬は渋い顔をする。

「だが、狭いだろう?」

まあ確かに広くはないが、雨妹にはあのくらい気にならない狭さだ。

 一日中あそこで過ごすならばともかく、寝る分には十分だし、ちょっと寛ぐ空間だって確保できる。

「大きなお屋敷に住み慣れている人には狭いでしょうが、私は狭くても一人部屋であることが大事です。

 個人的な時間が持ちやすいですから」

個室となったおかげで、少し夜更かしできるようになったのだ。

 むしろこれからの生活にワクワクしている。

「だが、物置だぞ?」

「それがなにか?」

こんな質疑応答を繰り返すことしばし、ようやく立彬は雨妹が引っ越しに満足していると納得してくれた。


「なにか、必要なものはあるか?」

そしてさらには立彬がこんなことまで聞いてくる。

「くれるんですか?

 だったら小さな棚が欲しいです。

 小物なんかを飾るのにちょうどいい大きさだともっといいです。

 物置を探っても、なかなかいい感じの棚と出会えなくて」

雨妹は遠慮せずに、今求めているものを告げる。

 昨日美娜(メイナ)が訪れた後、数人の宮女が不必要になった端切れをこっそり貢いでくれた。

 せっかくの個室だから好みに飾りたいし、貰った端切れで色々作ってみようと思っているのだ。

「そんなことなら、見繕っておいてやろう」

立彬の答えに、また部屋改造が一歩進むと、雨妹がニンマリした時。


「雨妹、掃除が終わったらおやつがあるわよ」

屋敷の中から、王美人が声をかけてきた。

「ありがとうございます、もう終わりました!」

返事をする雨妹の隣で、立彬が頭を下げる。

 その姿を見て、王美人が首を傾げた。

「あら?

 太子殿下のところの立彬ではありませんか。

 このような場所でどうかなさったのですか?」

やはり、立彬は普段このあたりをうろつくような人間ではないらしい。

 王美人の疑問に、立彬がゆっくりと頭を上げる。

「少々、この者に話がありまして」

視線で雨妹を示す立彬に、王美人が目を瞬かせる。

 太子付きの宦官と掃除が仕事の下級宮女とのつながりがわからないのだろう。


「でしたらせっかくなので、一緒にお饅頭を食べていかれてはいかが?」

「ご厚意、ありがたく頂きます」

王美人の申し出に、立彬が一礼する。

 ――おやつのお饅頭、食べて行くんだ。

 なんとなく、遠慮しそうに思ったのだが。

 そんな気持ちが顔に現れていたのか、立彬にジロリと睨まれた。

「断る方が失礼だろうが」

「そんなもんですか?」

雨妹は純粋にお腹が空いているのと美味しいのとで、貰っているのだが。

「まあ、仲が良さそうなお二人ね」

そんな風にひそひそ話をしている様子を、王美人が微笑ましく眺めている。

 ――まだ会話するのは三度目ですがね。

 これは果たして、仲が良いと言える会話回数だろうか。

 雨妹が疑問を抱く。

 あちらも同じことを考えたのか、微妙な顔である。


「どうぞ、いまお茶も用意させますからね」

「「ありがとうございます」」

王美人の好意に、二人揃って礼を言った時。

「なにやら楽しそうだな」

またも庭園から声がしたのでそちらを向くと、四十代後半くらいの男が、供を連れて歩いてきていた。

 ――今日はよく人が来る日だなぁ。

 雨妹がそんな風に思いながらぼんやりしていると。

「……!」

突然、立彬に頭を押さえつけられた。

「なによ!?」

突然の暴挙に抵抗しようとする雨妹を、立彬はなおも強い力で押さえにかかり。

「黙れ、皇帝陛下だ!」

そしてそう囁いた。

 ――はい?

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