番外編 太子殿下の護衛の一日 前編

崔の国の太子、劉明賢(リュウ・メイシェン)の護衛である王立勇(ワン・リーヨン)の朝は早い。

 立勇は夜の明ける前から、明賢のいる部屋の近くで鍛錬を始める。

 明賢にはちゃんと密偵の護衛がついてるため、立勇がべったりとついておらずともよいのだが、明賢自身の安心感のためにこうしている。

 そもそもこの「安心感」のために、立勇は宦官の立淋(リビン)という架空の双子の兄弟を捏造させられる羽目になったのだが。

 立勇としても明賢の命には代えられないとは思うものの、綱渡りが過ぎやしないか、と考える日々である。

 ともあれ、こうして立淋として後宮の太子宮で護衛をしつつ、鍛錬しているうちに、明賢の起床時間となる。

 自らの汗を流して着替えを終えると、寝室の主である江貴妃のお付きから、江貴妃が退室したと告げられたので、明賢の世話をするために寝室へ向かうことにした。

 いくら立勇が明賢の側近だとはいえ、いち宦官が貴妃の寝起き姿を見るわけにはいかないのだ。

 こうして寝室に入ったのだが、床几の上では明賢が未だ布団に包まっていた。


「明賢様起きてください、外はとうに明るくなってますよ」


「……うん」


しかし床几の上からの返事はおぼつかない。

 実は明賢はここのところ、朝が非常に苦手なのだ。江貴妃も一応起こそうとしてくれているのだが、成し遂げられないままに支度の時間となり、退室してしまう。

 なかなか起きない明賢に、立勇はため息を漏らす。


 ――あの娘に一度、朝の目覚めをよくする方法を聞いてみるか?


 立勇はふと、最近知り合った青っぽい髪の新人宮女の顔を思い浮かべる。

 妙な事に詳しいあの娘のことだ、ひょっとしたらよい手立てを知っている可能性がある。

 そんなことを考えながら、立勇は床几の布団を引きはがし、明賢の身を強引に起こして、顔に冷たく濡れた布を当ててやる。

 そこでようやく、明賢は観念して目を覚ますのだが。


「……もっと、優しく起こして欲しいものだよ」


「あなたがもう少々早くお目覚めくだされば、私も優しくなりますかと」


そんな毎日繰り返すやり取りを今日もしながら、明賢の支度を手伝っていると、朝食の時間となる。

 朝はあっさりとしたものを好む明賢は、いつも薄味の粥である。

 毒見済みでとうに冷めてしまっている粥を、明賢は無表情でゆっくり口にする。

 この瞬間ばかりは、立勇は主が哀れに思えてならない。

 これがもしあの件の新人宮女ならば、宮女の集う雑多な食堂で、熱々の朝食を幸せそうに食べるのだろうに。

 身分の低い者の方が美味しい朝食にありつけるとは、皮肉な話だ。

 その後、明賢が食後のお茶を楽しんでいる内に、立勇は明賢付きの女官としばし交代し、自身も別室にて朝食をとる。

 ちなみに立勇の朝食は、護衛という体力勝負な身の上であるため、いつも重めの食事を用意してもらっている。

 事前に用意されていて熱々とまではいかないものの、明賢ほど冷めきった食事ではないのでマシだと言えよう。

 それから明賢が仕事のために後宮を出て宮城へ向かったことを確認すると、立勇は後宮と宮城の境に特別に用意してもらっている部屋へ入る。

 ここで手早く宦官の服装から近衛の服装へ着替え、明賢へ追い付く。

 明賢は宮城へ入ってしまえば、堂々と近衛をつけることができるので、ひとまず安心だ。

 立勇はこの間に近衛の鍛錬場に顔を出したり、上司と打ち合わせをしたりと、近衛としての仕事をこなす。

 言ってはなんだが、立勇にとってこの時が一日で最も気が抜ける時間である。

 密偵でも近衛でも、好きなだけつぎ込めるのだから。

 一方で後宮は男子禁制なため、近衛を配置することができないので、どうしても警備に隙ができてしまうのだ。

 だからこそ、立勇がこうして二重生活をする羽目になっているのだが。

 そんな唯一の休まる時間であるのだが、最近ではこれが怪しくなってきていたりする。


「おい王、太子殿下がお呼びだぞ」


近衛の同僚にそう声をかけられ、立勇はため息を漏らす。

 明賢も今が立勇の安らぎの時間だと知っているので、これまではそうそう呼び出すことをしなかったのだが。

 ここのところはそれが壊れつつあるのだ。

 それもこれも、あの新人宮女が原因なのだが……。


「お呼びとお聞きしたのですが?」


ともあれ、立勇が明賢の執務室へと向かってみると。


「立勇、ちょっとこれを届けて欲しいのだけれど」


菓子の入った箱を手に、ニコニコと笑みを浮かべる明賢の、「どこへ」や「誰に」ということを一切言わない様子に、立勇は「またか」と思う。

こういう時の行き先は、決まっているのだ。


 ――その菓子を、雨妹に差し入れればいいんですね。


 明賢はあの宮女をとある理由で可愛がりたくて仕方ないようだが、大っぴらに構えば大ごとになり迷惑をかけることがわかっている。

 なのでこうして「差し入れ」という形で贈り物を用意しようとするのだ。

 その気持ちはわからなくもないが、持っていく立勇の方には苦労がある。

 しかし代わってもらえる人員がいないことも確かで。

 贈り物を持ち込むのが立勇ならば、傍目からは仲の良い宦官からの貰い物だと周囲から思われる、という計算もあるだろう。


「わかりました、行ってまいります」


故にそう返答するしかない立勇がまず行うことは、着替えである。

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