第12話 祝・回復
台所に行くと美娜(メイナ)がいた。
「阿妹(アメイ)聞いたよ、大変だったってね」
雨妹を見るなり、美娜が出てきて肩を抱いてきた。
雨妹が溺れた妃嬪を助けた話は知られているらしい。
あれだけ野次馬がいたのだから、きっとあっという間に広まったに違いない。
「えらいことに巻き込まれました。
知っているってことは昨日のおまけの饅頭、美娜さんがつけてくれたんですか?」
雨妹が尋ねると、美娜はにっこりと笑った。
「ああ、看病っていうのは腹が減るからね」
美娜の気持ちに感謝をしつつ、今回の要件を告げる。
「病人用の汁物を一つ、作って欲しいんですけど。ついでに私と先生の朝食を二人分も」
「あいよ、わかった。
ところで阿妹その布、息苦しくないかい?」
美娜が頷いた後、雨妹の顔を覗き込む。
そう、雨妹はマスク布を外していなかった。
むしろ外してはいけないのだ。
一応、子良に薬を貰って飲んではいるものの、前世看護師としては感染源にはなりたくない。
「慣れればそれほどでもないですよ」
雨妹はひらひらと手を振って見せる。
「ふーん。
持ち出しの朝食だったね、ちょいと待ってなよ」
そう言って美娜が台所に戻る前に、持ち歩いている消毒液噴霧器で彼女の手を消毒したのは言うまでもない。
今の雨妹は歩く病原体なのだ。
それから朝食を持って医局に戻ると、玉秀(ユウシォウ)は床几(ショウギ)に起き上がっており、雨妹の用意した経口補水液を自分で飲んでいた。
「お待たせしました」
雨妹は自分たちの朝食を卓に置くと、汁物を盆に乗せたまま床几の上の玉秀に渡そうとするが。
「あ、毒見は必要ですか?」
偉い人たちには毒見役がいることを思い出し、雨妹は玉秀に聞く。
「いいわ。こんな時くらい温かいものを食べたいもの」
けれど微笑みを浮かべた玉秀は、まだ温かい汁物の器を受け取る。
玉秀は時間をかけたものの、汁物を全て食べた。
その後吐くこともしなかったので、もう大丈夫だろう。
玉秀が自分で食事などをできるようになったことで、雨妹はお役御免となった。
玉秀が目を覚ましたことを太子に連絡したところ、医局にいる間の世話をする者を寄越すと知らせが来たそうだ。
「先程陳(チェン)先生に聞きました、小川で溺れた私を助けたのは雨妹だと。
本当にありがとう」
玉秀はそう言って深々と頭を下げた。
宮女に対して頭を下げるとは、矜持の高い妃嬪には出来ることではない。
――こういうところが、太子の皇后候補筆頭の理由なのかも。
ただ美しいだけの女では駄目だということか。
逆に言えば、皇后位を争う他の妃嬪にとっては鼻につく点でもある。
玉秀が将来後宮の頂点に立てば、きっと住みよい場所となるだろう。
雨妹としても、玉秀にはこれにめげずに頑張ってもらいたい。
「明日、おやつを持ってお見舞いに来ますね」
「まあ、楽しみに待っているわ」
雨妹が告げると、玉秀は本当に嬉しそうに言った。これはおやつを厳選する必要があるだろう。
――美娜さんに相談だな。
そうして医局から戻った雨妹を、今度は楊(ヤン)おばさんが待っていた。
「ご苦労さん小妹(シャオメイ)、江(ジャン)貴妃は回復されたのかい?」
楊おばさんは挨拶もそこそこに、玉秀のことを聞いてくる。
「はい。熱も下がりましたし、朝は起き上がって自分で汁物を食されました」
「そりゃよかった。太子宮が荒れずに済む」
雨妹の話を聞いた楊おばさんが、ホッとした顔をした。
「小妹は徹夜だったんだろう? 今日と明日は仕事を休みな」
楊おばさんはさらに、そんな嬉しいことを言ってくれた。
「ありがとうございます」
――やった、初めての休みだ!
休日を言い渡された雨妹は、徹夜明けながら跳ねるような足取りで大部屋に戻る。
「うーん……」
雨妹の浮かれた気持ちも、そこで萎む。
大部屋の中では、後宮に来た初日の時同様に数人が寝ていた。
――これ、寝ている夜勤の人じゃないよねぇ。
一昨日まではそう思っていたが、子良の話を聞いた今ならわかる。
これはインフルエンザにかかって寝ているのだ。
よくよく耳を澄ませると、寝息が苦しそうだ。
もしかすると大部屋は下っ端宮女の部屋なので、ここが体よく隔離部屋扱いされているのかもしれない。
ともあれこのまま寝たら、体調が悪化しそうな気がする。
「寝る前に少し掃除するか」
というわけで、雨妹は寝ている人たちを邪魔しないようにひっそりと掃除して、窓を開けて換気をする。
屏風で仕切られていて手間とはいえ、広さ的には妃嬪の屋敷より断然狭い。
ささっと箒で掃いて、自分の場所周辺を消毒液噴霧器で吹き掃除する。
もちろん、湿度を足すためにお湯を置いておくのも忘れない。
ついでに、寝ている女たちの様子を見に行く。
今部屋に寝ている宮女は三人だ。
初日に見た時よりも人数が減っている気がするが、治って出て行ったのだろうか。
――そうだと思いたいわね。
嫌な想像をしないようにして、屏風の隙間からそっと顔を覗かせる。
「お水、飲むなら持って来るよ?」
「……誰か、知らないけど、お水、お願い」
一人に声をかけると掠れ声で頼んで来たので、軽く脱水しているようではあるが、意識はしっかりしている。
他二人も同じように答えたので、台所で経口補水液を作って吸飲み代わりに急須に入れて持って来る。
「手伝ってあげるから、ほら、飲める?」
少しづつ急須の中の水を注いでやると、三人とも思いのほかゴクゴクと飲み干す。
足りなくなったのでもう一度経口補水液を作りに台所に行くと、「寝ずになにやってるんだい」と美娜に呆れられた。
これらの事が済んで、ようやく就寝だ。
――あー、疲れたぁ。
布団に転がって速攻寝たのは言うまでもない。
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