第11話 看病、看病!
消毒のやり方を覚えた太子たちを帰すと、寝ている太子の妃嬪の看病が始まった。
雨妹(ユイメイ)が子良に改めて女の名を聞くと、江玉秀(ジャン・ユウシォウ)という太子の貴妃だという。
未来の皇后を未だ決めていない太子の、今のところ最も寵愛の深い夫人であるそうだ。
――直々に見に来るわけだ。
これは雨妹の責任重大である。
看病においてまず気を付けるべきは、大量の発汗による脱水症状だ。
子良曰く、この病気での死亡原因のほとんどが、この脱水症状だという。
点滴なんて器具はこの世界にまだなく、地道に口に水を含ませるしかない。
――病人に水を飲ませるのって、意外と難しいものね。
下手をすれば誤嚥性肺炎を招く恐れがある。
なので水分摂取は慎重に、細心の注意を払う必要がある。
「もう一度、がんばって水を飲みましょうね」
雨妹が声をかけて吸飲みを口元に持って行けば、玉秀がうっすらと唇を開く。
女も最初は、口元に零したものを舐める程度にしか水分が採れなかった。
それでも焦らずに口元を濡らしてやれば、次第にしっかりと飲み込むようになってくる。
そうして少しづつ、含ませる水の量を増やしていくのだ。
雨妹が玉秀に飲ませているのは、水に砂糖と塩を混ぜた経口補水液だ。
小刻みにこれを飲んでもらって発汗を促す。
汗で出たミネラルを補充せず、ただの水を飲ませては血が薄まり、酷い場合は意識障害まで起こしてしまう。
ある程度の水が飲めるようになると、薬を飲ませることが可能となるので、水に溶かした薬を飲んでもらう。
誤嚥性肺炎が怖いので、食べ物はもう少ししっかり意識が回復してからにした方がいいだろう。
とにかく今は水分だ。
究極の話、人は水だけで二、三週間は生きられるのだから。
こうして看病を続けていると、外はすっかり暗くなっていた。
「雨妹、夜食を貰ってきたぞ」
看病を雨妹に任せていた子良(ジリャン)が、盆にのせた粥の器を持って戻って来た。
二人とも夕食を食べ損ねたので、台所まで取りに行ってもらったのだ。
饅頭が添えてあるのは、誰がつけたおまけだろうか。
「やった、ご飯だ!」
雨妹は玉秀の側を一旦離れ、いそいそと子良が盆を置いた卓に付く。
看病する方も体力を使うのだ。
病人の前でという遠慮をせずに、食べれる時にがっつり食べねば共倒れしかねない。
「容体はどうだ?」
「熱はもう上がらなくなって、少しずつですが下がり始めています。
薬が効いて来ているんでしょうね」
雨妹は粥を食べながら、ちらりと玉秀の寝ている床几を見る。
運ばれて来たばかりの頃は溺れて死にかけたこともあり、微かな呼吸だったのが、熱の上昇と共に次第に荒い息遣いになっていた。
けれどそれも、次第に穏やかなものへと変化し始めている。
「そうさ、薬さえ間に合えば死なずに済む病なんだよ」
薬が間に合わずに死んでいった患者たちを思い出しているのだろう、子良が苦しそうな表情をする。
「この人は、きっと助かります」
自分は死亡者の数を一つ増やさずに済むように頑張るのだ。
決意と共に粥をかき込む雨妹だったが。
「それにしても雨妹、お前この病に詳しいな」
とうとう子良から聞かれてしまった。
やはりこの質問は避けられないだろう。けれど、妙に病気に詳しい言い訳は考えてある。
「……辺境育ちなもので、たまに通る旅人に話を聞いたんです」
そう、「辺境で医療に詳しい旅人に聞いた」、これで押し通すのだ。
この雨妹の言い訳に、子良が片方の眉を上げた。
「そりゃあ、博識な旅人が通ったものだな」
いまいち信じてなさそうな言い方だったが、反応した方が負けである。
粥を食べ終わった雨妹は、子良を見ないようにして饅頭を手に取る。
「で、その博識な旅人は、この風邪についてなんと言っていた?
風邪の変種か、はたまた全く別の病か」
子良はしかしこれ以上の追及はせず、別の事を聞いてきた。
雨妹を事情持ちだと考えたのかもしれない。
ある意味、前世の記憶があるという事情持ちではあるが。
「風邪ではない、全く別の病気ですね。
初期症状が似通っているので誤解されるのでしょうが、効く薬が違いますし」
雨妹がそう答えると、子良はニヤリと笑う。
「そうかそうか!
これについては医者の間でも説が分かれていてな、俺は別の病派の医者なんだよ」
己の方の学説支持派が一人増えたと、子良は嬉しそうに言った。
こうして二人で医療談義をしながら、看病する夜を過ごす。
そして夜が明けて、早朝。
玉秀は少し熱っぽいものの微熱程度で、顔色もだいぶ良くなっていた。
「微熱はありますが、もう安心でしょう」
「おうよ、いやぁ良かった!」
雨妹は子良と二人で手を上げて喜ぶと、しばらくして玉秀が目を覚ました。
「……ここは?」
「医局です。
太子殿下があなたをここで診て欲しいと、直々にお願いされたのですよ」
掠れた声で尋ねた玉秀に、子良が経緯を説明する。
「……殿下が」
太子の名を聞いて、玉秀はうっすらと涙を浮かべた。
「あなたを看病したのも、着替えさせて汗を拭いたのも、ここにいる雨妹です」
意識のない間に世話をしたのが、男の自分ではなく宮女だと知らせる意味で、子良が雨妹を紹介する。
「ええ、私がずっとついていましたとも」
「……そう、ありがとう」
子良と雨妹の言葉を聞いた玉秀が、微かに笑みを浮かべる。
宮に帰っても世話をする者がいないと、昨日太子が言っていた。
玉秀が皇后候補の筆頭ならば、敵が多いのも頷ける話だ。
恐らく玉秀は病にかかったところにつけこもうとする連中に、虚勢を張るのが精いっぱいで、療養どころではなかったのだろう。
でなければ普通、異常行動をとって小川まで行きつく間に、お付きの宮女なり女官が止めそうなものだ。
――失態を望んでいた人が、身近にいるってことか。
その望みも、雨妹の乱入で断たれた訳だが。
玉秀には元気になって、そういった意地の悪い人たちと戦う力を養ってもらいたい。
「食欲はありますか? なにか食べれそうですか?」
「……すごく、お腹が空いている気がするわ」
雨妹の質問に、玉秀が困った顔をした。
全ての生活を整えられていた彼女にとって、お腹が空いたという感覚は珍しいものだろう。
「お腹が空いているのは、良いことです。
身体が元気になろうとしているのですよ」
雨妹が言うと、玉秀は安心した顔をする。
食べるにしても、胃も弱っているだろうから、重たいものは避けた方がいいだろう。
「では、汁物でも貰って来ましょう。
あ、でも江貴妃の食事は太子宮で用意するのでしょうか?」
そこまで取りに行くのは遠いし面倒だな、と雨妹が思っていると。
「いや、宮女の台所で用意してもらっていいと、太子に聞いている。
だからついでに、こっちの朝飯もな」
横から子良がそう言って、ついでの注文もする。
「わかりました」
というわけで、雨妹は朝食を確保しに台所へ向かった。
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