第10話 消毒、消毒!

「というわけで、妃の宮女や女官は呪いを恐れ、主の看病をしたがらないんだよ」

子良(ジリャン)の話を引き継ぎ、太子が女を太子宮に戻せない理由を語る。

 上級妃嬪に付く宮女や女官は、妃嬪の実家から連れて来たり、いい家の出身である者が多い。

 なので仕事よりもわが身可愛さが優先されるのだろう。

 それに嫌な話だが、妃嬪の座が一つ空けば自分にも機会が巡って来るのだから、積極的に助けようという気持ちが働かない宮女や女官がいてもおかしくはない。

「それで先生、お願いできるかな?」

「……おい、雨妹(ユイメイ)よ」

改めて太子に頼まれた子良が、縋るような視線を向けて来る。

 皆まで言わずとも、子良の言わんとすることはわかる。

 この太子の妃嬪の看病をしてほしいと言いたいのだろう。

 助手の女官がいないのであれば、雨妹に助けを求めるのも仕方ない。

「わかりました、こうなれば付き合いますよ。

 代わりにそっちから上に事情を言っておいてくださいよ。

 けどその前に」

太子の前に立った雨妹は、腕を組んで告げた。

「殿下とそちらのお付きの方は消毒しましょう。

 このままだと感染します。

 先生もです!」

「消毒、かい?」

聞き慣れない言葉なのか、不思議そうな顔をする太子に説明する。

「消毒とは、身体に付着した菌――病気の元を退治することです」

元々雨妹は、アルコール消毒液を作るための工用酒精を手に入れに来たのだ。

 ここで巡り巡って元の目的が生きてくるとは。


 というわけで雨妹は子良に工用酒精を貰い、アルコール消毒液を作る。

 作り方は簡単で、酒精と水を七対三の割合に混ぜるだけ。

 保管を考えた場合、本当は余計な混じり物無しの精製水がいいのだが、今回は大量に作って保管するわけではないので、井戸水でよしとする。

 これを噴霧器に入れれば完成だ。

「酒精の斬新な使い方だな」

酒精を傷口の消毒程度にしか使っていなかったらしい子良が、感心した風に言う。

「ではまず、私から」

雨妹が真っ先に消毒をする。

 毒ではないことを示すというより、つい先程インフルエンザの患者に人工呼吸をしたからだ。

 ――絶対に感染しているって、これ。

 なので感染防止に太子の前だとてマスク布が外せないため、さっきから宦官に怪しい目で見られているが、こればかりは仕方ない。

 後で子良から薬を貰い、早めに飲んでおきたい。

 インフルエンザは早期の服薬が対処の分かれ目なのだ。


 雨妹はまずはなにより、両手の消毒を入念にする。

 両掌に消毒液を刷り込んだら、指の一本一本とその付け根、手の甲や手首まで丹念に消毒液を刷り込む。

 手の消毒が終われば、衣服を着替えることができないので、念のために全身にも振りかけてもらう。

 それから仕上げにお茶でうがいだ。

 お茶には抗酸化作用に抗ウイルス作用があるので、意外と効くのである。

 次に太子と宦官の番だ。

「私がしたやり方と、同じようにしてください」

二人に手の消毒の際、指輪や腕輪などの装飾品を外してもらう。

 そして必要な時以外は、手に装飾品を付けない方がいいと忠告する。

「装飾品にも当然病気の元が付着するので、こまめに消毒しなければなりません。

 ならばいっそ外しておきましょう。

 この病気は温かくなればおさまりますから、それまでのことです」

「危険は少しでも減らした方がいい、そう言いたいんだね?

 わかったよ」

太子の了解を得たところで、次に雨妹は消毒液を全身に思いっきり振りかける。

「雨妹、お前すごいことするな……」

太子に酒をぶっかけるも同然の行為に、子良がドン引いている。

 だが医者がそんな態度でどうするのだ。

 太子も庶民も、インフルエンザの前では危機の度合いは平等だ。

 それに振りかけたばかりでは酒精臭くても、そのうちに臭いは飛ぶだろう。ほんのしばらくの我慢である。

 その後二人にもお茶うがいをしてもらう。

「病気の元を殺すのに、お茶はとても効果があるんです」

「へえ、そうなんだね」

雨妹の説明に、太子が一々感心する。

「お茶を良く飲む人ほど風邪をひかないのは、医者の間で言われていることです」

お茶の効能はこの世界でも発見されているようで、子良も雨妹の説を補強する。


 そんなこんなで最後に子良が消毒とうがいをして、ついでに全員が触った医局の戸の取っ手にも消毒液を振りかけ、感染拡大を防ぐ。

「感染しないためには、部屋の換気と湿度が大事です。

 この病気は淀んで乾燥した空気を好みますから。

 こまめに空気を入れ替えて、部屋の中でお湯を沸かして湿度を上げてください」

宦官にそう注意をする。

 宦官は雨妹を医局付きだと思っているのか、怪しむ視線はともかく、話は素直に聞いてくれているので、敢えて下位の宮女だという真実は言わないでおく。

「そう言えば父上の妃の間で今、部屋で湯を沸かすのが流行っていると聞いたな」

太子が思い出したように零す。

 それは恐らく、王美人発の流行だと思われる。

 ――そうか、流行っちゃったのか。

 確かにあの時、風邪予防になると説明した。

 あの時はこんな状況だと思わなかったのだが、なにが幸いするかわからないものだ。

 妃嬪たちは皆綺麗な器にいくつも湯を張り、せっかくだからと香油を垂らして楽しんでいるという。

 妃嬪たちもインフルエンザにかかると命が危うくなるのだから、どんな些細なことでも試さずにいられないのだろう。

 高級な薬を取り寄せるのに比べれば、お手軽な手段であることも一因だろう。

「そういうことなら、私も宮に戻ってやってみようかな」

太子はなにやらノリノリだ。


「ところで、きみは名を雨妹というのかい?」

「そうですけど」

突然太子に聞かれ、雨妹は嘘を言うこともなかろうと素直に頷く。

「もしかして、雨の日に生まれたのかい?」

雨はそのまま雨、妹は女の子の意味である。

 名前を書けば一発で由来がわかるとういものだ。

「雨の日に生まれた女の子だから、雨妹ですよ。

 我が親ながら、もう少し捻って名付けて欲しかったものです」

ムスッとした顔で愚痴る雨妹に、太子は目を細めている。

「おい、その消毒液とやらを持ち帰りたいのだが」

「いいですよ、作りましょう」

一方で一連の行為に乗り気な太子の様子を見た宦官の申し出に、雨妹はもう一本消毒液噴霧器を作ってやり、作り方も教えた。

 というか、この宦官は少し違和感がある。

 宦官は去勢された男であるため、ホルモンバランスが崩れて女性的な外見と声になる。

 けれど太子の連れる宦官は、綺麗な顔立ちではあるものの、逞しく精悍な雰囲気で、声も美声ではあるが低い。

 ――深く考えないようにしよう。

 そのあたりを突いたらいけないと、雨妹の華流ドラマオタクの魂が叫んでいる。

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