第9話 呪いとはなんぞや?

「妃の元へ間に合ってくれて嬉しいよ、陳(チェン)先生」

太子はそう言うと、熱で顔を赤くしている女の頬を優しく撫でた。

 ――この人、太子殿下の妃嬪なのか。

 雨妹(ユイメイ)は女の正体に納得する。

 考えてみれば女が溺れていた所は、太子宮だと教えられた場所に近かった気がする。

「こちらが先んじられて、本当によかったです」

真面目な顔で告げた子良(ジリャン)を太子が振り返り、驚きの発言をした。

「陳先生、彼女をここで預かってもらえないだろうか」

子良は眉をひそめる。

「宮に連れ帰らないんで?」

「連れ帰っても、世話する者がいなければ可哀想なことになる」

子良の疑問に、太子が表情を陰らせた。

 ――世話する人がいない?

 頭を上げる間がわからずにずっと下を向いていた雨妹は、「そんなわけないだろう」と内心ツッコむ。

「呪いのせい、でございますか?」

「そう、忌々しいことにね」

けれど暗い表情で、太子と子良は通じ合う。

 一人話についていけない雨妹は、とうとう顔を上げた。


「あの、さっきから言ってる呪いってなんですか?」

雨妹は二人の話をズバッとぶった切って質問する。

 お供の宦官が「太子の話を遮るな!」と睨んでいる気がするが、聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥というではないか。

 病気に関することなら、ちゃんと聞いておかないと後で取り返しのつかないことになる。

「なんだお前、知らないのか?」

「最近入った上に初っ端から忙しくて、井戸端会議に参加する暇がなかったんです」

呪いについて知らないと言われた子良が驚いた顔をするのに、雨妹は正直に答える。

 無知な雨妹を宦官も信じられない顔をし、太子が興味深そうに見て来る。

 寂しい奴だと言うことなかれ、つい昨日まで本当に忙しかったのだから、仕方ないではないか。

 子良が大きく息を吐いて、語ってくれた内容によると、そもそもの始まりは風邪の大流行だという。

「この冬の時期に風邪が流行るのは毎年のことだが、今年のは酷くてな」

いつもの風邪にくらべて高熱になりがちで、全身の倦怠感や吐き気を訴える者が多いらしい。

 果てには拗らせて肺炎になり、庶民の間では対処が遅れてかなりの死者が出ているほどだという。

 その風邪を後宮に持ち込まないようにと厳重な管理をされていたというが、流行り病というのはある種の生き物。

 人間に完全に管理できるはずがなく。

「出入りの商人が持ち込んだ風邪が、あっという間に広まったのさ」

それでも医局で事前に風邪の薬を大量に用意していたらしいが、その薬の効きが悪く、それも流行の歯止めができない要因だという。

 現在症状に合った薬を慌てて量産している最中だそうだ。


 ――ちょっと待ってよ、なんか覚えがある流れじゃない?

 子良の話を纏めると、今年の風邪は感染度が高くて重症化しやすく、主な症状は風邪よりもひどい高熱に倦怠感に吐き気。

 ひどいと肺炎を併発し庶民の間では死者も出ている。

 風邪薬が効きにくい上に、異常行動が見られる。

 これはまさに、インフルエンザの症状ではなかろうか。

 風邪は接触感染なのに比べて、インフルエンザは場合によっては空気感染もあり得るので、広がるのは一瞬である。

 それに用意していた薬が効かないのも、違う病気だからだ。

 前世では西洋薬でも漢方薬でも、風邪とインフルエンザでは処方される薬の種類が違った。

 つまりは後手後手に回ったおかげで、宮城ではインフルエンザが大流行しているというわけだ。

「それで、呪いの話はどこから出たんですか?」

前世の日本だって、大昔に病気は鬼の仕業だとされていた時代があったが、この崔の国はそれよりも近代的で、医療もそれなりに発達している。

 どこで呪いだなんてことになったのだろう。


 この雨妹の疑問に、子良が肩を竦めた。

「熱に浮かされておかしな行動をとるのは、医者の間では昔から報告されていることだ。

 けれどそれに慣れない連中が気味悪がってな、なにかに憑りつかれているいると騒ぎ、それが広まった」

信心深いというか、要はビビりな奴の声が大きかったというわけか。

 それを子良はきちんと説明して鎮めようとしたが、パニックになっている者の耳に届くことはなく。

「そこにしゃしゃり出てきた道士たちが『呪いだ』と言い立てて、皇太后様がその意見を支持したんだよ」

 ――うわぁ、最悪な人!

 雨妹は内心の吐露をなんとか喉元で寸止めした。

 皇太后とは皇帝の母、後宮の女たちの頂点にいる人である。

 その皇太后は、どうやら宗教に傾倒しがちであるようだ。

「道士たちのせいで、患者の治療もままならない。

 今回急いでいたのも、道士に身柄を取られる前に患者を確保するためだ」

道士に先に患者を確保されると、呪いを祓うという名目で長時間の祈祷をされる。


 もちろんそんなものでインフルエンザが治るはずもなく、症状が進行してしまう。

 たまたま体力がある人が辛うじて助かった例があるらしいが、道士はそれを「祈祷が効いたのだ」と主張しているとか。

 インフルエンザは個人差が大きい病気なので、そういうこともあり得るだろう。

 ――むしろその助かった人って、早く薬を飲めていれば軽い症状で済んだんじゃないの?

 さらに悪いことに、道士に呪いと認定されるのが怖くて、症状が出ても隠しておき、手遅れになって発見される例が増えているという。

「そのせいで、薬が間に合えば死ななくてもよかったであろう者が、大勢死んでいる」

おかげで宮城全体がインフルエンザで大打撃を受け、いろいろなことが機能していない状況らしい。

 当然後宮も人出不足なわけで。

 ――道理で慌てて宮女を集めるはずだよ。

 今回の宮女募集は美女狩り的なものではなかったのだ。

 父親(仮)の女好き疑惑が薄まり、雨妹は少しだけホッとする。

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