第6話 李梅の野望
雨妹(ユイメイ)が後宮へやって来てから、半月が経った。
王美人の屋敷を掃除して以来、雨妹は掃除依頼が殺到して引っ張りだこだ。
どうやら皆、王美人から話を聞いたらしい。
そして掃除に行った先には共通点があった。
全部雨妹の世話役である女、李梅(リー・メイ)の担当だった場所ばかりなのだ。
――あの人、どんだけ仕事していないのよ。
さらに初日のあれから、彼女の姿を見ていない。
それでも要掃除物件はだいたい一巡したようで、雨妹は一日中掃除するということはなくなり、今日ようやく昼過ぎに宿舎に帰れるようになった。
仕事終わりの雨妹が、掃除道具を抱えて歩いていると。
「おいで、麻花(マーホア)があるよ」
雨妹を手招きしたのは、後宮に着いた初日にゴミ置き場近くで休憩していた女だった。
彼女は台所仕事をしている路美娜(ル・メイナ)といい、三十代半ばくらいの宮女である。
そして今日も手ごろな石に座って休憩中だ。
「ほら阿妹(アメイ)、出来立てだよ」
美娜が雨妹を愛称で呼びながら差し出す麻花とは、中国版かりんとうのようなもので、甘くてサクッとして美味しい。
前世ではよく中国の屋台で買って食べたが、今世ではいまだ口にできていなかった。
辺境では甘いものは贅沢品なのだ。
そして美娜が台所仕事であるので、出来立ての麻花を持っているのだろう。
美娜から麻花を一つもらい、口に放り込む。
「んー、甘い、美味しーい!」
口の中の幸せ具合に頬を緩ませる雨妹に、美娜が苦笑する。
「アンタも不幸だねぇ、梅(メイ)の尻拭いをさせられてさ」
美娜がそう言って雨妹の頭を撫でた。
自分でもそうかなと思っていたが、他人からも尻拭いに見えていたらしい。
「あの人、なんでしょっぱなから喧嘩腰だったんですか?」
この素朴な疑問に、美娜が笑いながら説明する。
梅は国の各地から集められる宮女の中でも、ここ梗の都の生まれであるらしい。
ほとんどの宮女は気にしないのだが、都生まれの宮女は威張り散らす傾向があるのだとか。
――なるほど、それで「田舎者のくせに」か。
どうやら宮女の間にもヒエラルキーがあるようだ。
そして梅は働くためというより、宮女から出世してゆくゆくは妃嬪の仲間入りをするのが目的で後宮入りしたらしい。
なので普段から仕事を全くせずに、美しさを磨くことばかりをしているという。
あの王美人の屋敷の掃除も、梅が頼まれた仕事だったのに無視し続けた。
それは自分より美しくない女が、妃嬪であることが許せなかったのだろう。
他にも同様の理由で、ほったらかされている建物がいくつかある。
――確かに、埃まみれなのは下位の妃嬪のお屋敷ばっかりだなとは思ってた。
どうやらそれは、梅の嫉妬心の結果であるようだ。
それでもあまりに仕事をしないと叱られるので、どうでもいい場所を手抜き掃除する程度はしているという。
「でも未だに陛下のお声がかからないんで、焦っているんだろうねぇ」
皇帝の妻である女たちに下っ端宮女が対抗するには、珍しい特技を持っているなら話は別だが、そうでなければ若さ溢れる肉体で勝負するしかない。
けれど特技などない梅は年齢が二十代後半に差し掛かっているため、若さで勝負というわけにはいかなくなる。
それで下位の妃嬪に当たり散らしているというわけか。
なんとも恐れ知らずな女である。
――たぶん、皇帝の好みと外れているんじゃないの?
梅の野望が叶っていない理由を、雨妹はそう分析する。
男が好む女なんて十人十色であり、必ずしも美女がモテるというわけではない。
前世の日本でも、案外ふくよかな女がモテたものだ。
上位の妃嬪や皇后の姿を見たことないが、少なくとも掃除先で出会った妃嬪たちの容姿は皆華やかというより、おしとやかというか、穏やかというか、正直に言うならば地味であった。
後宮の顔というべき皇后や上級の妃嬪は美しい女を揃えているのかもしれないが、もしや皇帝の本当の好みは地味顔か、と雨妹は密かに思っている。
――そうなると、母さんが美人だったのも納得できるかも。
だとすると、華やかな美人顔の梅は不利なわけだ。
今まで美貌が自慢だったであろう本人はさぞ悔しいだろう。
そんな梅のことは置いておくとして。
雨妹はずっと誰かに聞こうと思っていても、朝から日暮れまで掃除していたせいで、聞けずにいたことを口にした。
「美娜さん、医局ってどこですかね?」
医局とは後宮勤めの医者の常駐する所だ。
医局の医者の仕事は後宮の宮女や宦官、女官、下級の妃嬪たちを診ることで、皇帝や皇后、上級妃嬪などは皇帝の侍医が診ているのだが。
「なんだい、具合が悪いのかい?」
雨妹の唐突な質問に、美娜が眉をひそめる。
「違います、工用酒精が欲しいんです」
工用酒精とは工業用アルコールのことである。
そう、雨妹はアルコール消毒液を作りたいのだ。
そのためには工用酒精が必要で、工用酒精を使う仕事といえば、やはり医者だろう。
「まさか、飲みたいのかい?」
「違います、ちょっと掃除に使いたいんです」
胡乱気な視線を向けて来る美娜に、飲兵衛だと思われたくないのできっちりと言っておく。
それにしても工用酒精を飲みたいだなんて、中毒症状の末期である。
自分は断じてそんな廃人カテゴリーに入る人間ではない。
「ならいいけど」
というわけで美娜に医局の場所を教えてもらえたので、掃除道具を片付けた雨妹は行ってみることにした。
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